第17話 表と裏
山口は意外にも攻めあぐねていた。
スピードを重視したジャブで翻弄し、動きが止まったところを掴んで投げる。彼のプランは単純にして有効なものだった。
しかしそのジャブが全く当たらない。
なぜなら少女は距離を取り山口の拳の射程に近づこうとしない。
接近しようとするとローキックで機先を制される。
構わず前進しようと試みるが少女の蹴りは子供のそれではなく、無視することはできず退いてしまった。
結果、少女の隙を伺うようにじりじりと距離を詰めるしかない。
もしくは......
リーチを生かすことにしたのか繰り出される山口のローキックを、朝日は自分からうつ伏せに倒れこんで回避する。
頭上をかすめる足の勢いから一発でもあたってはいけないということを再認識する。
道場での訓練は攻撃することと攻撃を避けることに集中し、攻撃を受けることはほとんど考えていない。
小さい体格を生かして相手の攻撃に当たらないことに集中した方がいい、と岩岡が教えたからだ。
床についた両掌に力を籠めて右足で床を蹴り、左足を山口の腹部めがけて蹴りこむ。
倒れこんだ体勢での蹴りはしかし床を押す両手と右足の力が左足に乗っている。
黒いローファーの踵が山口の脇腹にめり込む。
これも鍛錬の賜物で、やわらかい関節と高密度の筋肉が力の伝達を可能にし、幾度となく行われる実戦形式の組手は型ではありえないアクロバティックな打撃を試す場になった。
体格の不利を補うための接触を完全に拒否する回避と回避の勢いをそのままに繰り出される普通ではありえない角度からの打撃。それが戦うことを職業とした男の脇腹を直撃した。
「ぐうっ!」
山口は片膝をつくが戦う意思は残っているようで、腕で朝日の足を取り押さえようとする。
朝日は両腕で床を強く押して跳ね上がり山口の頭上を飛び越え山口の後方に着地し、まだ動けない山口に背後から襲いかかる。
爪が食い込むほど拳を握りしめた朝日はその唇を歪める。
狙うのは無防備な首の後ろ、頸椎。
片膝をついたままの山口に手が届きそうになった時、後ろから右腕を掴まれる。
三木が掴んだ腕を無造作に後ろに振ると、最近筋肉で少し重くなったとはいえ40kgもない朝日の体はいとも簡単に後方に投げられて安城家の殺し屋たちに受け止められる。
「もう十分でしょう。本間警備保障さん」
大森がそばに寄り山口に手を貸す。
「ああ。こちらは安城朝日さんだったか、彼女の見学に異論はない。
そうだな山口」
「ぐっ......は、はい。しかし、なぜ止めた?」
脇腹を押さえた山口は大森の手を取り立ち上がる。
その言葉を聞かず三木は朝日の方に歩いていく。
「どうだ」
朝日は壁際に片付けられていた椅子に座らされていた。
「ひねってますね。
仕事まではまだ時間がありますから冷やせば問題ないかと。」
「やはりか。止めて正解だったな。」
ホテルの人間にもらっておいた保冷剤を取り出し私物のテーピングで朝日の足首に固定する。
「靴も脱いだほうがいいですよ」
その言葉に朝日は素直に従う。
「仕事の直前なのにこんなことになってすみません......」
「いえ、私の責任です。
お嬢の本気の動きに肉体が悲鳴を上げています。
まさか実戦でこれほどの動きをするとは正直予想外ですが、こればかりは実戦形式とはいっても組手ではわからない部分ですからね。いい経験です」
近づく足音に朝日が起き上がると、山口が近くまで歩いて来ていた。
山口もかなり鍛えているからかもう痛みはないのか脇腹押さえてもいない。
「なぜ止めた」
処置を終えた三木は振り返る。
「あの蹴りでお嬢の足首が限界なのは見て分かったから止めた。君の身を案じていたわけではない」
「......っ!
確かにあの勝負は俺の負けだ。しかし一撃で足首が負傷する人間が現場にいるべきとは俺は思えない」
三木は朝日の脱いだ靴の片方を手に取り、土踏まずのスイッチを入れると踵の部分を床に思いきり叩きつける。
「俺たち殺し屋は一撃で十分だ。
君も仕事まで休んでおくといい。プロフェッショナルならばな」
三木が靴を持ち上げると踵の部分から刃物が飛び出し分厚いカーペットに穴が開いているのを山口に見せる。
山口は何も言わず頭を深く下げ大森達のほうに向かっていった。
「それにしても......」
表の人間とは言え、戦うことを生業とした大人の男相手に一歩も引かず完全と言ってもいい勝利を修めた朝日に三木は末恐ろしさを感じた
しかしその一方負傷した足首をものともせず笑いながら敵に襲い掛かる朝日の姿に、恐怖ではなく危険を感じていた。
しかし三木が気にしているのはそれらではない。
「それにしても、『傷一つつけるな』と言われていたのに捻挫をさせてしまった......どう言い訳したものか。」
その言葉に他の三人もはっとして顔を見合わせた。
なお、護衛の仕事は何事もなく終了した。
「まあ何事もないのが一番です。
見学にはなりませんでしたがいい経験にはなったでしょう?」
とは三木の言葉である。
「当主」
竹継は安城家本家屋敷の当主執務室にいた。
座りの悪い椅子に座り書類にサインを入れていくという当主としてつまらない仕事の一つの最中だった。
「ああ、どうした」
開けっ放しの扉の前にいるのは黒い道着を着た青年だった。
「三木から連絡がありました。
護衛は終了し、お嬢が表のボディーガードと私闘になったとのことです」
「お嬢?ああ朝日ちゃんのことか。
道場では仲良くやっているようでよかった。
で、勢い余って殺しちゃった?」
「いえ、脇腹への変則蹴りの後、足首の負傷を見た三木が止めたようです。
判定勝ちとは言え完封勝利と言っていいとか。
動画を送ったのでそれで確認を、とのことでした。」
「ふふっ。そうかそうか。他には?」
「いえ。以上です。」
「ご苦労様。三木への伝言は不要だ。」
「はい。失礼します!」
竹継はタブレットで動画を確認する。
「うんうん。はいはい。おぉ~。うん。」
一度見終わったそれを何人かに送付する。
「いい調子じゃないか。さて、そうなると......」
そう言うと裏路地代表の宮木雄一と訓練校唯一の常勤講師であり校長の鯉口美穂に別のメールを送る。
「行きつく先がよくないことだとわかってはいるが、姪の成長はうれしいねえ」
竹継は書類のサインを再開するが気分は最高潮だった。
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