第26話 はじめてのしゅうげき(虎藤組)
4階建てのビルの最上階にある組長室のソファで、金髪の男が愛用のナイフの刀身に自らの整った顔を写して悦に浸っている。
彼こそが藤虎組組長......ではなくその実子である藤虎和之である。
20代の若さで父親の子会社を一つ任されその成果も上場。
八百長なしの喧嘩でも負け知らずの上美青年な彼は藤虎組の将来を担って余りあるものと内外の評価も高い。
いや、高かった、と明日からは評価を改めることになるかもしれない。
ことの始まりは警報装置の作動だった。
一階の窓が割られたようで、階下の部下たちが一階に降りていく声が聞こえる。
どうせ誤作動かそれとも下っ端が何かヘマをしただけだろうと思いソファに深く身を預ける。
階下から物音と男の悲鳴が聞こえてくる。
あの声は下っ端の、確か伊藤だったか佐藤だったか。そいつが窓でも割ってその落とし前をつけられているのだろう。
和之は灰皿を引き寄せ、煙草に火をつける。
普通なら部屋を出て下に降りるだろうが、彼にとってこの程度の騒ぎは慣れたものだった。
「......長いな。まだやってんのか」
ドタバタという物音は彼が点けた煙草が二本目になっても治まることがなかった。
耳を澄ませると男達の野太い悲鳴が聞こえる。
彼はソファから立ち上がり様子を見に行きたい衝動に駆られた。
しかし組織の後継者としては「物音や悲鳴に動揺して部下の様子を見に行くような小心者」の姿を晒せないのも確かであった。
数秒考えた後、彼は三本目を口に咥えた。
「本当に行く気ならこれを付けろ」
藤虎興行のビルの前で安城仮次が安城朝日に手渡したのは黒縁の伊達眼鏡だった。
「流石に建物の中には気付かれずに着いていくことはできないからな。代わりに超小型カメラが内蔵されたそれを付けていけ」
朝日は素直に眼鏡をかけるとビルの正面玄関に足を踏み入れる。
階段は入口の付近にはない。
無人の受付の後ろに衝立があり部屋の中は見えないが、話し声からして男が数人いるようだ。
受付のカウンターにあるベルを鳴らすとともにカウンターの陰に隠れる。
「はいはいっと」
衝立の奥から現れたのはジャージを着た坊主頭の男。
「あ?誰もいねぇぞ?」
「んなわけねえだろ!」
衝立越しの会話に意識が向くのを察し、カウンターの陰から飛び出る。
「な、なんだお前!?」
坊主頭の男が行動を起こす前に、カウンターに置いていた手の平にナイフを深々と差し込む。
「うぎゃぁぁぁ!」
その悲鳴に衝立の左右から男達が出てくるが、彼らは次々と投げナイフの餌食になる。
縦横無尽に動き回る敵ならともかく衝立の右から、もしくは左から出てくるだけの男たちはただの的でしかなかった。
「こ、このガキが!」
しかし実戦に不慣れなためかそれとも命を奪うことへの忌避故か、ナイフの刺さりが悪い。
太ももに刺さったナイフを意に留めない一人の男が長めの刃物(彼らがドスと呼んでいるであろうもの)を振りかぶる。
朝日はそれをナイフで受け止めようとするがあっさりと弾かれ、朝日の頬を薄く切り裂いた。
朝日は出血に怯まず新しいナイフを手にする。
「はっ。なかなかいい見た目の女だな。
若すぎるがそれはそれで高く売れそうだ」
男は刃物を大上段に構えて近づいてくる。
朝日は男からは見えない左足でカウンターを蹴って倒す。
「っ!っ!あああっ!
いでえぇぇぇ」
「うおっ!?」
ナイフで手が繋がれたままの坊主頭の男がうめき声をあげて倒れる。
それに気を取られた男の隙を見逃さず、ナイフを4本(一度に投げられる限界数)投擲するとともに姿勢を低くして素早く近づく。
2本のナイフは外れて男の背後の窓ガラスを破り、1本のナイフは男の脛に浅く刺さった。
そして残り1本のナイフが腕に命中し、痛みで刃物を落とす。
「痛っ!舐めんなガキ!」
それでも握った拳を叩きつけようとする男。
しかし身を屈めて突進する朝日を一瞬だが視界に捉えることができなかった。
「はあああああっ!」
懐に入り込んだ朝日は男の急所に下から拳を突き上げる。
「うぐぅぅぅ」
思わず腰を折って前屈みになる男の両足を抱えたまま立ち上がると後方で顔面が床に衝突する少し湿った音が聞こえる。
気絶した男の両腕を後ろ手にし、親指同士を発信器付きの手錠で固定する。
刺さったナイフの痛みで立ち上がれない男達は顔面を蹴る殴るなどして気絶したところを同じように拘束した。
「さて......」
部屋の奥にある階段を朝日は登り始める。
「......静かになったな」
4階の社長室でくつろぐ藤虎和之は空になったグラスを置く。
長く続く部下達の悲鳴と物音から、部下への仕置きが行き過ぎたわけではなく何者かの襲撃であることはわかっていた。
そしてその何者かのターゲットが自分であることも。
しかしこの建物には階段は一つしかなく隠し通路もない。
確実に忍び寄る死を酒精で誤魔化すことには成功したが事態が好転したわけではない。
「こんなことなら銃の一丁くらい親父に貰っておけばよかったか」
装備を確認しながら遅すぎる後悔をした時、
部屋の扉が開かれる。
黒いワンピースのところどころを返り血で装飾した朝日は部屋に男がいることを確認するとナイフを逆手に構える。
「殺し屋......!」
男は壁に飾られていた日本刀を鞘から抜き、殺し屋に鋒を向ける。
普通ならば中学生ほどの背丈しかない朝日は殺し屋として認識されないだろう。
たとえその服が血で染まっていたとしても。
実際、階下で拘束されている男達はそうだった。
しかし男......藤虎和之は少女から立ち昇る闘気のような何かを察知した。
「へへ......ガチの殺し屋を見たのは二回目だな。」
彼は幼い時、祖父が殺し屋に襲われたのを目にしていた。
「だが、そん時は爺さんと護衛が追い返したんだよなぁ」
昔を懐かしむように目を細めるが、その目に油断はない。
刀を両手で握り直し、八相に構える。
朝日は挨拶がわりに両手でナイフを投擲する。
「フン!」
しかし男の胴体目掛けて放たれた四本のナイフは藤虎の日本刀に全て弾かれてしまった。
その時初めて、朝日は背中を伝う汗の冷たさを感じた。
「オラァ!」
大上段からの斬撃を横に跳んで辛うじて避ける。
「チッ。うろちょろするな!」
木製のローテーブルを蹴り上げて視界を封じるが藤虎の日本刀に一刀両断され、残骸が床に転がる。
その隙に今度は両手で持てるだけのナイフを投擲する。
両手でのナイフの投擲。練習の時の命中率はせいぜい60%だったが、命のやりとりという状況がなせる集中力なのか、全てのナイフは標的に向かって飛んでいく。
「これで......!」
この数には対応できまい、と朝日は勝利を確信した。
しかし朝日の必殺の一撃(八撃?)はあっさりと避けられた。
素人ならともかく視線でどこを狙っているか読み取る達人相手には、避ける可能性を考慮してわざと狙いを散らす技術が必要になる。
「その程度か。」
後退りしながらナイフを次々と投げるが、それらは全て避けられ、いなされ、弾かれた。
投げるナイフが無くなり壁際まで追い詰められた朝日は藤虎を睨み、右の握り拳を震わせる。
「そう悔しがるな。
俺の部下は大して強くはないが、それでも全員をのして見せた。」
朝日は脱力したように壁に背中を預ける。
「どうだ?俺の部下にならないか。
そうすれば生かしておいてやる。」
「まだ......」
強く握りすぎた拳から血が滴り落ちる。
「まだ終わってない!」
朝日は自分の右拳を左肩に叩きつけるように強く引く。
朝日の右拳に握られている細いワイヤーの先は藤虎に避けられ床に落ちていたナイフに括り付けており、朝日の拳の動きで朝日の右手......ではなくその途中に立っている藤虎の背後に襲い掛かる。
「なっ!?」
朝日の不審な動きか背後の風切り音か、それとも殺気か直感か。兎にも角にも藤虎は振り返り、ナイフを眼前に捉える。
「うおおおおお!」
左に避けた藤虎和之を誰が責められよう。
背後にはまだナイフを持っているかもしれない殺し屋の少女、眼前には弾き飛ばすには近すぎるナイフ。
ナイフを投擲する相手を前(後ろだが)にして跳んで避けるは愚策。身動きの取れない空中に身を置くのは危険すぎる。
かといって蹲ったり伏せたりしては次の行動が遅れてしまう。
それならばと右手に持った日本刀を相手に向けて牽制した状態で左に避ける。
ならば彼の不幸は右利きであったことなのか。
いや。不幸だけではない。
投げナイフのような重くない物体を引き寄せるのに爪が食い込む程手に力を入れる必要があったのか。
それを考える余地が彼にはまだあった。
「うおっ!」
ワイヤーが彼の左足に引っかかり転倒する。
朝日の左手にさりげなく握られたワイヤーは床に刺さったナイフにつながっていた。
立ちあがろうとする彼の左掌にナイフが深々と突き刺さり床に縫い止められる。
「グっ......ううっ」
刺さったナイフを抜こうと右手の日本刀を手放そうとするがナイフを構えたままの朝日を見て思い直し、仰向けに倒れたまま日本刀の鋒を彼女に向ける。
「ワイヤー付きのナイフか......姑息な手だ」
「日本刀を捨てなさい」
藤虎の嫌味に構わず淡々と要求を告げる。
「ケッ。誰が、」
言い終わる前にワイヤーで回収したナイフが投擲され、右手首に当たり日本刀を取り落とす。
日本刀の背を蹴って部屋の隅に転がすと、伊達メガネの通信機能がブブッと音を立てる。
『よくやった。藤虎和之は殺しておけ』
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