第6話 訓練校:実地訓練 その2

「君たちがナイフの初心者だと思って一から教えましょう。」

講師として呼ばれた老人、紙谷源太は黒いローブの袖をまくりナイフを持った左手を掲げる。

「まず第一にナイフは利き腕と逆の手に握ること。

 ナイフは殺傷能力が高い。筋力で力任せに突き刺すことなど考えなくてよろしい。むしろ器用な利き腕で相手の行動を制限することが好ましいと考えること。

 そのためナイフは一本が好ましい。」

その言葉に何人かの生徒がナイフを持ち替える。

朝日も右手に持っていたナイフを左手に持ち替える。家での訓練の時にはあまり意識していなかったが確かに利き手である右手に持っていることが多いことに気づく。

「第二にナイフを親指の力で固定するため順手で握りなさい。

 ナイフを落とさないようにすることは意外と大事です。」

その言葉でまた何人かがナイフを持ち替える。

「第三に、軽々にナイフを投げないこと。

 投げナイフは有効な技術でもありますが、一時的にでも手元から武器がなくなることはあなたたちにとって大きなデメリットです。

 自棄にならずしっかりと握ったままでいなさい。」

アドバイスを聞くごとに生徒たちの表情が引き締まっていく。

もうこのローブの老人を軽んじる生徒はいなかった。


少し離れて見ていた鯉口が近づく。

「それではここで模範指導とします。皆さんは5歩下がってください。

 では源さん、お手柔らかに。」

そういうと鯉口はキッチンタイマーをスタートして床に置き、木製ナイフを構える。

その瞬間紙谷はローブの裾から出した木製ナイフを両手に構えて叫ぶ。

「いいからかかって来なさい......!」

豹変した紙谷は犬歯をむき出しにして笑う。

右手に木製ナイフを持った鯉口は紙谷に飛び掛かる。

紙谷はその両手に持ったナイフを空中の鯉口に投げる。

そのナイフをかろうじて弾くがその先には紙谷が別のナイフを持って鯉口を待ち構えている。

体制を崩した鯉口の体重の乗っていないナイフをハイキックで払いのけ、その勢いそのままに回転。勢いそのままに逆手に握ったナイフの切っ先を右のこめかみに突き刺す。

左手を紙谷のナイフを持つ手の手首と頭の間に挟み込むことで鯉口は致命傷を避けるが少し刺さっているのか右のこめかみから血が垂れる。

そのまま左手で紙谷の腕をつかみ、先ほど払いのけられた右手に握ったままのナイフの切っ先を脇腹に当てる。

ピピピピピピピ ピピピピピピピ ピピピピピピピ

アラームが鳴ると二人はさっと離れる。

紙谷はその場で膝をつくが鯉口は立ったまま朝日たちのほうを向いて話し始める。

「今のを見て何か気づいた人はいますか」

何人かが手を挙げる。

「森原君」

当てられたのは森原という男子生徒。

「はい。

 紙谷さんの動きなんですが、両手にそれぞれナイフを持つし投げるし逆手に握るし、

 さっきの話と違う気がしますが。」

「当然です。さっきのアドバイスはあなたたちに向けたもので、あくまで基本です。一流に近いナイフ使いが同格かそれ以上の相手と戦う場合はナイフ投げはむしろ基本の技に入ります。

 それでは次、横田君」

「その......紙谷さんは大丈夫でしょうか。

 あと最後の数秒、動きがやたらと鈍くなっていたように思うのですが」

「それは、」

「それは私から説明させてくれんか」

鯉口が話し始めようとした瞬間、紙谷が割って入る。

膝をついたときは荒かった呼吸もだいぶ落ち着いている。

「引退した理由もこれでな。

 息切れが激しく仕事の間は体が持たん。

 だから全力を出せるのはせいぜい一分でな。

 まあ今日はその一分も持たなんだが」

力なく笑う紙谷に、鯉口がパイプ椅子を持ってくる。

「おおすまんなぁ」

慎重に腰を下ろす姿は先ほどと比べてさらに老け込んだように朝日には見えた。

「ミス美穂のプレッシャーもあったからかな。

 気づいている者もいるかもしれないが、彼女はさっきのアドバイス通りに戦っていた。

 投げず、逆手で持たず、そして利き手で持つ一本のナイフで全盛期の私と互角に戦って見せた。やはり君が最高の殺し屋だ。」

照れながら笑う鯉口美穂は戦闘時の凄みを全く見せていない。

これも鯉口が最高の殺し屋といわれる由縁なのだろうかと朝日は思った。


一方そのころ、仮次は『裏路地』にいた。

手早く仕事を終わらせ、その報告と申請書類の提出に来ていた。

もうすぐ昼だったこともあり、仮次は先にカフェに向かった。

裏路地が所有する地下施設の中には疑似的な太陽光を浴びることのできる場所がある。

そこにあるオープンカフェの席に座り、ランチセットを頼んだ仮次は先に運ばれてきたコーヒーを飲みながら日光浴を楽しんでいた。

カップを置こうとしたソーサーの上を影が覆う。

仮次が顔を上げると前の席に見知らぬ男が座っていた。

身長は170体重は80程度、筋肉の付き方からおそらく右利き。

一目でそこまで感じ取った仮次はあたりを見渡す。

「相席というほど混んではいないようだが?」

「安城仮次だな」

怒気と殺意を隠そうともしない声色に仮次はむしろ安心し、にこやかに接する。

「悪いが君の顔に見覚えがない。

 裏路地前代表の関係者かな?それなら今の代表か兄貴に直接言ってくれ。

 俺はあの時はただの駒だったんだ。

 ほかの件ならまた後日時間をとって、」

「前者だ。悪いが死んで頂きいたい。」

仮次は席を立ち少し離れたテーブルのない庭に向かって歩く。

「手早く頼むよ。この後は面倒な報告に面倒な申請書、それから家での団欒が控えているんでな」

仮次が立ち止まりついてきた男のほうを振り返る。

「【手早く】という頼みだけは聞き入れよう。」

男は右袖から射出されたナイフをタイミングよく右手で掴み、仮次に向かって走る。

それに対して仮次はバックステップしながら両手で三本ずつナイフを投げる。

男はそれらを防御せず姿勢を低くして避けながら走る。

接近された仮次は舌打ちをしてナイフを右手で構える。

二人のナイフが衝突し火花が飛ぶ。

仮次が振るうナイフの範囲から引いた男に向かってナイフを投げようとするがその瞬間距離を詰められる。

投げようとしたナイフで迎撃するも不完全な姿勢で握りが甘かったのかナイフを弾き飛ばされる。

「取った」

そのアドバンテージを生かそうと男はさらに距離を詰めるがその瞬間弾き飛ばした仮次のナイフから閃光が発せられる。

男が思わず目をつぶった時、後頭部にナイフの柄がぶつかる。

目つぶしの隙をついて仮次が背後に回ったと判断して振り返ると閃光でかすんだ男の目にはナイフを投げようとする仮次の姿が映った。

投げナイフを防ごうと両手でそれぞれナイフを構える男の意識は後頭部への強い一撃で途絶えることになる。

閃光によって一瞬視力が封じられたとき、後頭部に向かって仮次がナイフを投擲したとしたらなぜナイフの刃が刺さらなかったのか。

彼はそこに思考を巡らせるべきだった。


ナイフと、それに取り付けたワイヤー、歩いている途中でこっそり地面に落としておいた小型の立体映像投射機を回収した後、ワイヤーで拘束した男を庭に放置し仮次はカフェの席に戻った。

もうすでに料理は運ばれていたがホットサンドイッチが温かいことを確認し彼は店員を呼ぶ。

「さっき何者かに襲われてね。撃退してあそこに放置している。

 悪いが代わりに裏路地の運営に連絡しておいてくれないか」

そう言って今日の仕事の報酬の半分の金額を書いた小切手を渡し、ついでにコーヒーのお代わりをもらう。

報酬の半分は迷惑料としては多いが、早く家に帰ることを考えれば安いものだと仮次は自分に言い聞かせた。

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