第3話 訓練校:初日
一週間後、朝日は訓練校の教室にいた。
教室は大きなビルの中にあった。
「はい、それでは自己紹介をどうぞ。」
「安城、朝日です。よろしくお願いします。」
新しい苗字に抵抗があるからか、名前を言うのに戸惑った。
20人もいない生徒たちのまばらな返事の後、先生が言う。
「じゃあ、あそこの席に座ってください。」
「はい。」
示されたのは最後方の席。
席に着くと隣の詰襟を着た男子が話しかけてくる。
「僕は横田熱男だ。よろしく。」
「よろしくお願いします。」
「で、君の前に座っているのが西東恵君だ。」
前を見るとピンク髪の美少女が小さく手を振っている。
控えめに会釈する。
「はい、じゃあ授業を始めます!」
こちらのやり取りを見て少し待っていてくれたようだ。
初回の授業は殺し屋という職業の成り立ちについてだった。
「昔の殺し屋は直接依頼人と交渉し一人で仕事をしていましたが、現在は優秀な仲介業者を挟むのが一般的です」
教師、鯉口美穂がホワイトボードに大きく『路地裏』と書く。
「この日本で今最大の組織が『路地裏』です。
この訓練校も『路地裏』の設備を借りています。
起源は五百年前とも千年前ともいわれていますが詳細は不明です」
教師がホワイトボードをひっくり返し、仕事の内容の説明に入る。
最初は権力者の諜報員としてだったが、次第に殺しがメインに、
今は諜報員や護衛のような仕事が増えてきているらしい。
「殺し屋業界と言っても、殺人依頼は減少傾向にあります」
鯉口はホワイトボードに円を書き、四等分にする。
「去年の殺人依頼がおよそ25%と言われています。20年前は8割だったそうです」
円グラフの右上に『殺』と書き込む。
「そして護衛依頼が25%です。業界の人間の直接戦闘能力を買われた結果、増加しています」
円グラフの右下に『護』と書き込む。
「25%はその他色々です。貴重な物品の輸送依頼、裏の事件の捜査依頼、捕縛、捜索依頼など殺し屋への依頼は様々です」
円グラフの左下に『他』と書き込む。
「殺し屋の仕事はここに書いただけではありません。依頼のサポート、業界の設備の管理、『裏路地』の運営......あなた達がどうなりたいかをよく考えて勉強、訓練に励んでください」
「鯉口先生」
朝日の前に座るピンク髪の美少女が手をあげる。
背中越しに見える胸の膨らみについ目が行く。
「左上の1/4は何でしょう」
鯉口はペンを手に取ると円グラフの左上を塗り潰す。
「守秘義務によって依頼内容が外部に伝わらなかったり、依頼を受けた本人でも全容がつかめない。そういう依頼があります」
緑色のペンで大きく『?』と書く鯉口。
「というわけで『不明』です。もちろん私も経験はありますが、大抵厄介としか言えません」
静まり返った訓練生が唾を飲む音がする。
その雰囲気を感じ取ったのか鯉口は笑顔になる。
「信用と実力を兼ね備えた優秀な殺し屋に回ってくる仕事ですから今は心配するだけ無駄です。では......」
濃口美穂がサポートの役割について話すのを聞きながらも朝日は仮次の事を考えていた。
一流の殺し屋と自称していた彼はどうなのだろう。
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一方その頃、仮次はスーツに身を包みとある大企業の副社長室にいた。
怯える女性の腕を掴み、もう一方の腕でナイフを構えた状態で『裏路地』のオペレーターとの通信を行う。
その女性はおびえた様子で仮次の様子をうかがっている。
「副社長を確保。護衛しつつ屋上へ向かいます」
『急いでください。すぐ迎えが行きます』
「確保ってどういう事!私はどうなるの!」
「予定変更です。元からそうだったのかもしれませんが」
「どういう事!?」
「まずここから出ます」
仮次は女性を促し廊下に出る。
『屋上までのルートを表示します』
変装用に支給された眼鏡のレンズに会社の建物の図とそれに重ねて脱出ルートが表示される。
「こっちです」
非常階段を登り始める。
「逃げるって、なんで上に行くの!?」
「タクシーが来ます」
「何を言って、きゃぁ!」
銃声が階段室に響く。追手が迫っている。
「いいから急いで!」
「ああもう、なんでこんなことに......」
屋上に二人がたどり着くとヘリコプターが着陸しようとしていた。
しかし銃器で武装した殺し屋がすぐそこまで迫っている。
乗り込むのに間に合わないと判断した仮次は眼鏡に手を当て、オペレータへ指示を出す。
「ドアを開けたまま出発してください」
『了解。離陸させます。』
ヘリコプターが上昇を始める。
背後から迫る殺し屋にナイフを投擲し牽制しながら仮次は走る。
「ちょっと!飛んでっちゃうじゃない!?どうするの!?」
ナイフをヘリコプターに向けて投擲する仮次。
気づけば屋上の端まで追い詰められていた。
「じゃあ行きましょうか。腕を離さないで下さい」
「へ?」
仮次は女性を抱き抱えたまま屋上の端から飛び上がる。
「きゃあぁぁぁ......」
ヘリコプターのスキッドに巻きついたワイヤーに吊られる仮次の腕の中で女性は気絶していた。
屋上から銃声が聞こえるが弾は届かない。
別のワイヤーで女性の体を固定してよじ登ろうとした時、ワイヤーが機械で上から巻き取られる。
見る見るうちにヘリコプターに接近、スキッドに捕まり搭乗する。
「遅れてすまない」
「いえこちらこそ。仮次サン」
ドアが閉まる。
操縦士はワイヤーを巻き取った機械を床に置き操縦席に戻る。
「今日は本タクシーをご利用頂きありがとうございます。運転手の神崎です」
「殺し屋の安城仮次です」
「お久しぶりです。行き先は聞いております。どうかクソッタレな空の旅をお楽しみ下さい」
「どうぞよろしく」
仮次は眼鏡の端を指で触る。
「オペレーター、こちら仮次。タクシーに乗車した」
『お疲れ様です。裏路地のフロント企業の屋上まで飛ばしますので専用エレベーターで地下まで降りて下さい』
「了解」
通信を切ると女性が目を覚ました。
「こ、ここは?」
「安全な所まで空路で移動中です」
「な、何で私がこんな目に......!」
座席で頭を抱える女性。
仮次はため息をつくと女性の方を向く。
「あなたの会社の社長が関わった事件についてご存知ですね」
仮次の隣に座る彼女はその言葉に息を飲む。
「!............ええ。それが?」
「それを知ったあなたは公表しようとした。そうですね」
「そうよ!当然でしょう」
仮次は改めて副社長を見る。
歳は30代。若くして副社長になった割には真っ直ぐな善人に見える。
いや、娑婆というのは案外そんなものなのかもしれない、と仮次は思った。
「しかし今回に限っては誤りでしたね。それを知った社長によって私含め複数の殺し屋があなたを殺すために雇われました」
「!じゃ、じゃああなたは私を殺すの?」
「それが厄介な話でね。あなたの部屋に入るまではそのはずだったんですが、依頼に変更がありました。私は今あなたを護衛中です」
副社長は何も言えず固まっている。
「恐らくですが事件を表沙汰にしたい人間がいるんでしょう」
「い、一体誰が......」
「さあ?私は知りませんし、知る必要も無いし、知りたくもありません。あなたも知るべきでは無いかもしれませんよ」
仮次は伸びをして座席に深く腰掛け直し、窓の外を眺める。
朝日のことを考えている。
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朝日は最初の授業を終え、生徒に囲まれていた。
「さっき熱男君が話してくれたけど、私、西東恵。恵でいいよ」
「君と僕の二人が一般人、いや元一般人かな。」
「そうなんですか。それにしては皆さん仲がいいですね。」
周りの殺し屋の息子、娘たちも話に加わる。
朝日から見てだいたい同学年の少年少女たちだ。
「ああ。俺らは殺し屋一家の中でも問題児だからな。」
「そうそう」
「倫理観がありすぎるらしい」
「あー俺も言われた」
「私も」
「俺は殺し屋としての在り方がなってないらしい。」
「在り方とは一体。」
「とまあそんなわけで、価値観はあまり変わらないようなんだ。僕も意外と気楽にやっているよ」
横田が締める。
「急な転校で不安だったので安心しました。ありがとうございます。」
「ああ、朝日ちゃんかわい~」
朝日は恵の胸に抱き寄せられる。身長差、いや体格差から顔が埋まる。
「いや、おそらく同い年ですが。」
朝日の頭頂部に頬擦りする恵以外の動きが止まる。
「皆、私のこと何歳だと思ってました?」
「12歳?」
「小3」
「13歳」
「いや、もっと小さいだろ。11歳」
「9歳?」
「小4」
「中学1年生?」
「飛び級の8歳と見た。」
実家殺し屋組、全員不正解。
「ううん......中学校一年生かな?」
横田も不正解。
「え~こんなにかわいいんだよ。もうどうでもよくない?」
恵は朝日を抱きしめたまま言う。
「16歳です。転校前は高校一年生でした。」
「「「「年上かよ!」」」」
数人の男女が驚きの声を上げる。
「僕よりも一歳上だね。学年は同じだけど。」
「私同い年だね。学年も一緒~」
「私は16歳にしてはちょっと色気がないですからね。」
恵の柔らかさを感じてため息をつく。
「色気っていうか~」
「背じゃね?」
「背だな。」
「あとおっぱいだな。」
「教室では慎め。」
「失敬。胸部装甲だな。」
「ああ。恵ちゃんが抱えているから一層...」
「ちょっとみんなやめないか!」
「横田君......」
朝日は抱きしめられたまま首を回し横田を見る。
「気にしてるかもしれないんだ!目の前で言うな!」
横田は善良な人間だが嘘はつけないようだ。
「男子はみんなあんな感じで楽しそ~だよね~」
「あの、西東さん、そろそろ離してください」
「え~」
「その、息が苦しくて」
「恵って呼んで~?」
「......恵さん、はなしてください?」
「あーもうかわい~~!」
「むぐっ」
朝日の呼吸器が本格的に埋没しそうだ。
「恵君!離れるんだ!」
横田が恵を止める。
朝日はクラス全員と話し親睦を深めた。
どうやら生徒の年は様々のようで、
授業の内容によっては20歳以上の大人も出席することが多く、今日は新人のための座学だったため参加者が少なかったようだ。
訓練校の授業の後、恵に寄り道に誘われた。
一応仮次に連絡するとポップな顔文字で了承してきた。
朝日は仮次のそういうところにいちいち殺意を募らせる。
そんなに時間がないので喫茶店でちょっと話をするくらいらしい。
初日の緊張と質問攻めで疲れていたのでありがたい。
飲み物が運ばれてきたあたりで横田が改めて話を始める。
「どうだった~?初日は~」
「まだ戸惑っています。」
「突然異世界に迷い込んだようなものだしね~」
糖分がたっぷり入っていそうなチョコレートドリンクをおいしそうに飲む恵。
「でも、思ったより穏やかでよかったです。その、」
朝日はごまかすように紅茶を飲む。
「もっと殺伐としてる、って思った?」
「まぁ」
「ところで朝日ちゃんはなんで殺し屋になったの?」
朝日はどこまで話していいか躊躇する。
「私は両親が殺されました。」
恵の動きが止まる。
「その犯人、安城仮次に復讐するために殺し屋になりました。」
「安城仮次!?」
「ご存知ですか?」
「もちろん!
超一流の殺し屋だよ。知らない人のほうが少ないんじゃないかな。
そんな人に復讐なんて......」
「でも、あきらめるわけにはいきません。」
「そっか、それもそうだね。ごめん。
何か手伝えることがあったら言ってね」
「ありがとうございます。
ところで恵さんは......」
「私は本当は西東家の子じゃないの。
西東家の遠縁の双葉家にいたんだ」
「それで、なぜ西東家に?」
「知らな~い。
年に一回親戚の集まりがあるんだけど、
そこで西東の当主がうちに来いって。
ママも喜んでたし、ま~いっかな。って」
「家族から離れて寂しくはないんですか?」
「そりゃ寂しいよ。
でも、」
恵は笑顔を曇らせ俯き加減になる。
「?」
「新しいママもお姉ちゃんも優しいし、何より朝日ちゃんに会えたしね」
顔を上げて恵は言った。
その後、西東家から呼び出しがあったらしく二人はそれぞれ家路に着いた。
朝日は正直まだ打ち解ける気にはなれなかった。
しかし積極的に話しかけてくるクラスメイト達を嫌うのは朝日には難しかった。
新しい出会いが気を紛らわせるのにちょうどよかったのもあったが。
「おかえり。どうだった?学校は」
朝日が安城家のセーフハウスに帰るとエプロンを着けた仮次が奥から出てくる。
朝日は答えずに仮次をにらみつけ、階段を上り自分の部屋へ。
朝日が二階に上がるまで笑顔だった仮次はキッチンに戻る。
「まあ初日はこんなものだろう」
夕食を作りながら真顔に戻った仮次は一人ごちる。
彼は朝日との親子関係を築くことは難しいとわかっていた。
彼の目的において、朝日と親子のきずなを結ぶのは絶対条件だった。
夕食を済ませた二人はふとした瞬間に目が合う。
朝日は仮次を睨むが小動物が威嚇しているようにしか見えない。
「そうだ、今週末なんだが予定をあけておいてくれ」
「何でですか」
威嚇続行中。
「安城家の本邸に行く」
「何でですか」
「お前の正式な紹介だ。望むなら当主に稽古をつけてもらうといい」
「......わかりました」
朝日は不承不承うなずく。
「よし。で、今日はどうする?初日で疲れたからやめておくか」
「挑発のつもりですか」
「ふっくっく」
仮次は含み笑いをしながら自室に向かう。
朝日は後に続く。
仮次はクローゼットの奥にあるスイッチをオンにする。
朝日が床板を足で叩くと床の一部が跳ね上がり階段が現れた。
訓練校の教師は一人だけで、授業の際は現役の殺し屋を教師役として雇っている。
教師は鯉口美穂と言い、仮次と訓練校で同期だったらしい。
「あいつに教われば強くなる」
「優秀な殺し屋なんですか?」
「それもそうだが別の事情がある」
仮次は地下室で刃引きしたナイフを構える。
朝日はそれを見て同じようにナイフを構え直す。
「あいつが訓練校の管理人になったのは3年前。
就任からしばらくしてなぜか訓練校の校長になり、
その直後自分以外の従業員を全員首にした。」
「なぜそのようなことを?」
「.......訓練校は赤字で、その赤字を名家に補ってもらっていた。」
仮次は朝日に切りかかるが朝日は仮次の股の下を転がり避ける。
「名家というのは?」
「力がある家のことだ。安城、西東、森原、宮木」
「安城家もそうなんですか」
仮次はナイフを突き出し、ナイフで受け止める朝日の腕を掴んで投げる
「継承できなかった俺には関係ないがな」
朝日は仮次の手を取らずに立ち上がる。
仮次は鼻で笑って続ける。ナイフ同士の剣戟が再開される。
「まあその名家から金を受け取っていたため、訓練校は名家には逆らえなかった。」
「なぜ名家の影響から逃れたかったのでしょう」
「あいつの好みさ。自分の力を好きに振るいたいんだ。それだけの力があいつにある。そんなことより、」
仮次は朝日の右目を狙って右手に持ったナイフを突き出す。
刃引きしているとはいえ突き刺すことはできる。
実際朝日の腕には何か所かごく浅い刺し傷があり血が滲んでいる。
朝日はぎりぎりのタイミングで左に避けながら仮次の懐に飛び込む。
回避行動が最小限だったためこめかみをナイフが軽く抉り血が噴き出すが構わずナイフを仮次の首に突き刺そうと右腕を伸ばす。
その腕を仮次は左手で掴み捻り上げるがその寸前に左手にナイフが握られていないことに気づく。
朝日は右腕を掴まれた瞬間にナイフを左手にパスしていて、そのナイフは今まさに仮次の股間に突き刺さろうとしていた。
たまらず倒れこみながらその勢いのまま左手で朝日を後方に投げ飛ばす。
空中で回転し両足で着地した朝日は果敢に仮次に向かって走る。
仮次は前転しながら立ち上がりナイフを投げ捨てて朝日の方へ振り返る。
突き出されたナイフを最小限の動きで避けて距離を詰める。
脇腹を掠るが切り傷はできていない。そのままの勢いで腹部に掌底。
朝日は1メートルほど後方に突き飛ばされ、ナイフが床に落ちる。
「やはりおかしい」
ピピピピピピピピ ピピピピピピピピ ピピピピピピピピ
アラームが鳴る。部屋の隅の床に置いておいたキッチンタイマーに歩み寄り、アラームを切る。ついでに回収しておいた朝日のナイフと共に懐にしまう。
返事がないことを承知で朝日に話しかける。
「朝日、お前の運動能力、正確には戦闘能力か。それは異常に高い。二流の殺し屋ならば今の動きで殺し得るだろう。」
仮次は仰向きに倒れた朝日の顔を正面からのぞき込む。
「その力の源流は才能か?それともやはり、」
朝日は目を開けるのと同時に寝そべったまま仮次の顔に向かって拳を突き上げる。
その拳は届くことはなく、仮次は笑って上体を起こす。
「起きたな。今日の『刃引きしたナイフの時間』は終わりだ。
俺は先に上に戻るぞ。」
壁に手を押し込むと床が階段状にせり上がる。
仮次が地階まで上がるのを朝日はぼんやりと見つめる。
朝日はしばらく起き上がらぬまま今日の訓練を反芻していた。
仮次はあれだけの動きをしながら息も上がっていないし、おそらく汗もかいてはいないだろう。
それに比べて朝日は汗だくの上、息が乱れて起き上がれもしない。
限界を超えた運動に体が悲鳴どころか断末魔の声を上げているように朝日には思えた。
息を整えた三十分後やっとの思いで起き上がり、手すりのない階段を一段一段ゆっくりと踏みしめて上がった。
汗と流そうと風呂場に向かうと、脱衣所にパジャマと下着が置いてあった。
デリカシーのない仮次に対して苛立ちが募るが文句を言う体力もなく、服を脱いだ。
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