第38話 安城家本家駐車場の決戦
裏路地本部での報告を終えた安城朝日は家ではなく安城家へと向かっていた。
仕事を斡旋した安城竹継にも報告するためでもあるが、まだ午前中なので道場で訓練するためでもある。
しかし、裏路地が手配した車から降りて駐車場に降り立った朝日が最初に会ったのはスーツを着た安城仮次だった。
仮次は拍子抜けしたような顔をした後笑い出す。
「はっ
都合がいいのか悪いのか」
「何か用ですか。私は報告を」
「待て」
「!」
仮次が懐からナイフを取り出すのに応えて朝日は太ももに手を伸ばす。
「さぁてどう話したものか......
そうだな」
「?」
仮次は笑いながら言う。
「お前の相手をするのに飽きちまった」
「な、」
「殺した夫婦の娘を戯れに育ててはみたけどよぉ。てんで駄目だな」
「......」
ナイフを握る朝日の手に力が入る。
『マスター。落ち着いてください。ただの挑発です』
ラティーマの声は朝日に届いていない。
「お前じゃ百年訓練しても雑魚のままだ
所詮、雑魚の血筋だな」
「......」
握り拳から血がボタボタと垂れる。
『マスター!私の話を、』
「......うるさい」
朝日はラティーマを太もものホルダーから取り出し投げ捨てる。
「雑魚の血を絶やしてやるよ」
朝日の心臓の音が、仮次にも聞こえていた。
もちろんわざと朝日を怒らせている。
感情を爆発させて本来の肉体の限界を越える。その朝日の性質を見抜き殺し屋としての訓練を積ませることでさらに強くした。
復讐の機会を一方的に奪い朝日の激情の引き金を引くことで脳内では神経伝達物質が異常生成されている。
朝日の心臓は早鐘を超えた早さと力強さで動き、細い体に膨大な血が流れ体温の上昇により体が紅潮し、目は充血で真っ赤に染まって白目と黒目の区別ももはやつかない。
「ああああ゛!!!!!」
朝日は叫び声をあげ仮次に殴りかかった。
彼女からは考えられないスピードと威力の拳だが、仮次はそれを受け止め、受け流してさばいていく。
利き手を狙ったのか朝日の攻撃が仮次の右腕に集中するが仮次はそれを察し、後ろに跳んで距離を取る。
「もっと時間をかけたかったが、この分ならいけそうだな」
朝日は身を屈めて突進する。
「が、甘い。」
仮次の肘が朝日の鳩尾に叩き込まれる。
突き刺さるような感触に手応えを感じる。
重心を落とした仮次は地面に自らを固定し、朝日の突進を受け止めたのである。
自らの運動エネルギーを一点に受けた怪物はしかし、仮次のその肘を両拳で同時に打ち据え破壊した。
「!とんでもねえ膂力だな」
すかさず逆の手で掌底を放ち朝日を弾き飛ばし、距離を取りつつ損傷を確かめる。少し動きが鈍い。
損傷した右腕を庇うように左腕を前に構える。
怪物は頭上に迫っていた。
飛びすさりナイフを投擲する。苦し紛れの一撃は怪物の動力源である心臓へ向かうが腕に阻まれる。
着地した怪物は腕から血が噴出するのに構わず拳を握り仮次の腹部を打つ。
「ぐっ...ははは......」
血と共に笑いが喉から溢れる。
「ははははははははは!」
「あああああああ゛!!!」
怪物となった娘を前にして仮次は歓喜の只中にいた。
返す刀とばかりナイフを振るう。
狙うは首筋。
腕に刺さったナイフを抜いて逆手に握りその一撃を受ける朝日。
ナイフを雑に投げ、飛びかかる朝日に対し、仮次はスーツの前を力任せに開く。糸が千切れたボタンが宙を舞い、朝日がそれを見た瞬間ボタンに内蔵された爆弾が爆発し、辺りが煙幕に包まれる。
朝日は仮次のいた方向に駆け、煙幕から抜けるがそこには誰もいない。
何十本もナイフが飛ぶ風切り音が聞こえると共に仮次が突進してくる。
仮次の手に握られたナイフから繰り出される急所を狙った斬撃を捌きながら顔面や腹部に打撃を加える。
「ああああああああ゛!!!!」
ナイフが肉を抉るが怪物の動きは鈍ることなくむしろ速くなっている。
攻撃が途切れた隙に仮次の左側に回り込み、腹部にナイフを突き立てようとする。
仮次は腰を回転させ、損傷した右腕を怪物に叩きつける。
朝日はそれを左手でゆうゆうと受け止め、ナイフによる一撃を繰り出そうとするが動かない左手に体を引っ張られ動きが止まる。
見ると仮次の右掌が朝日の左掌に密着し、ナイフが貫通していた。
痛覚が麻痺しているが故に朝日は左手の異常に気付くことができなかったのである。
仮次はあろうことか右手にナイフを突き刺し、その右腕で朝日を攻撃したのだ。
焦りの表情を見せる朝日が仮次の腹部、顔面を殴打するも、密着した状態での重心の乗っていない打撃は仮次を揺さぶることさえできない。
怪物と仮次の頭上に数十本のナイフが降り注いだ。
辺りの地面に数え切れないほどのナイフが散乱している。
そんな中仮次は微動だにしなかったにもかかわらずかすり傷一つない。これまでの攻防でボロボロではあったが。
対して朝日の腕や背中には何本もナイフが突き刺さっていた。
仮次は自分の右手と朝日の左手に刺したナイフを抜き、朝日の手を離す。
支えが無くなった朝日は立つ力も無くしたのか膝をつく。
「......残念だ。」
仮次がナイフを朝日の胸に突き刺す。
肋骨の隙間を抜け心臓に到達するその寸前、仮次はナイフから手を離し弾け飛ぶように後ろに退がる。
仮次の首があったところを朝日の蹴りが通過し、その動きで身体中に刺さっていたナイフが抜け落ちた。
脳内物質で痛みを感じない状態の朝日は空を切った足の勢いをそのままにかかと落としの態勢に入るが、数瞬早く仮次の掌底が鳩尾に入り、数メートル宙を飛ぶ。
仮次が左手を大きく振ると地面に落ちていたナイフが仮次の元に戻る。
回収したナイフを朝日の着地点の頭上に投擲するが、朝日は仮次から距離を取り、ナイフの落下地点から離れる。
仮次は朝日に向かって走りながら残りのナイフを数本投擲する。
朝日は心臓を狙う一本のナイフの軌道を腕で塞ぎ衝撃に備える。
仮次が水平方向に投じたナイフが朝日まで3メートルの距離に達した時にそれは起こった。
空から落ちてくるナイフとの衝突により、心臓に向かっていたナイフの角度が変わったのだ。
それは心臓狙いのナイフだけではなく、仮次が水平方向に投じたナイフは様々な方向から急所に当たるよう角度を変えていた。
無論偶然ではない。
この技はナイフ同士が衝突した後の動きを予測できる仮次の修練の賜物であり、この技を目にして生きているものはただ一人、仮次本人のみである。技を披露した瞬間二人になるがそれも時間の問題である。
相手と自分をナイフの降り注ぐ空間に釘付けにする技を仮次は序破離の破、「雨」と呼びこの技はその発展、離の「大嵐」と名付けた。軌道を変え吹き荒ぶナイフが怪物の息の根を止めようとしている。
この予想不可能にして絶大な威力を持つナイフ群を相手に怪物はなすすべがなかった。
怪物が選択した行動は『前進』。
距離を取ればナイフ投げに一日どころか千日の長がある相手に対して距離を取るのは愚策。急所を少しでも外すため頭部を守りながら全力で前進する。
朝日のとった行動は最善といっても良かった。しかしもう一歩踏み込んで考えるべきだった。
殺し屋の最高峰とも言える仮次の真の技が、大量のナイフを乱反射させる派手なものなのかという疑問。それを踏まえた上ならば危険を承知で視界を遮らず突進するべきだった。
頭部を守ることにより狭まった視界の外に出た仮次はスーツの内ポケットに左手を差し込む。
彼の真の技はナイフ投げではなく、左手に握られたそれにあった。
彼のターゲットは時折、一見傷一つない姿で発見される。
にもかかわらず犠牲者の心臓は一突きで破壊されており、傷口は胸に小さなものが一つのみ。
すれ違った瞬間にそれは行われ、犠牲者は歩いたまま通り過ぎ、曲がり角を曲がるまで気づかない。
犠牲者が死ぬまで間があるため誰による犯行かもわからず、その上武器は銃でもなくナイフでもなく針でもない。
その不気味さと安城家の祖先と噂される生物からその技は殺し屋業界ではこう呼ばれる。
【鬼の爪】
その鬼の爪が仮次の左手に握られている。理論上それは対象の死を意味している。
しかしそれも5分前までの話になった。
殺し屋としての教育と仮次との組み手から朝日は、仮次の動作の不自然さに気付くことができた。
仮次の娘だった時間こそが成し得た感覚、反応だと言えるだろう。
朝日のその反応が、体の動きを止めた。もちろん投げナイフは体に刺さることになったが致命傷は避けている。
前進する体を足の力で強引に止めたことで足の至る所からから異音がするがそれに構わず横に跳ぶ。
あまりの早さに仮次は左手を抜くことができない。首を動かし朝日の姿を見ようとするがそれよりも早く、朝日の爪先が左上腕を蹴り抜き、その機能を失わせる。
仮次は自分の娘と血で血を洗う戦いをし、死力を尽くしてなお勝てないかもしれないことに喜びを感じた。
仮次は左腕の機能を失い、朝日は四肢こそ無事だがナイフによる出血が激しい。
終わりがそこまで見えていた。
仮次の最後の攻撃は靴に仕込んだナイフを足の振りで射出、その振りの勢いを利用した胴回し蹴り。
それに対して朝日は地面に屈みこんだ状態でナイフを避け、そのままの体勢で軸足を狙い蹴りを放つ。
バランスを崩した仮次にマウントポジションを取った朝日は太もものホルダーからナイフを引き抜く。
仮次は瞼を閉じ、その時を待った。
人生で初めての充足感を得た仮次は、しかし最期の時が来ないことを不審に思い、目を開けた。
朝日はナイフを胸に突き立てた状態で停止していた。
感情の爆発によって引き起こされた異常な心拍と脳内物質の分泌が齎す身体能力の反動はたった数分の戦闘で朝日の体を蝕んでいた。
意識が闇に落ちる最中、朝日は自分の名を呼ぶ声を聞いていた。聞いたことがない声だった。
朝日は仮次が泣いた声を聞いたことがなかった。
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