第29話 気づき
洞窟の中に入ると、途端にひんやりした感覚がユティアの肌をくすぐった。かつん、とつま先が石に当たり、ころころと転がっていく。乾いた音が反響した。
緊張や恐怖のせいか、自分の感覚がいつもより過敏になっている。アレスの手がかりを探すために丁度よい。ユティアは気を引き締めたまま、歩みを進めた。
ユティアとヘルメスは、しばらく無言で歩みを進めていた。しかし、外から見た時の見た目とは裏腹に、洞窟は意外にも深いようだ。歩くごとに、地面が傾斜していることが分かる。このまま進めば進むほど、地下に潜っていくということになる。だんだんと空気が薄く、そして湿ってきた。カンテラの光だけが、ユティアたちの足元を照らしている。
「ヘルメス。あとどれぐらいでしょうか」
ユティアは思わず、ヘルメスに声をかけた。
「……分からん。というのが私の答えだ」
「そう、ですよね」
「怖くなったか?」
ヘルメスは、優しく尋ねる。
「そんなことないです! でも、不安はあります。このまま先に行っても、何もなかったらどうしよう、とか」
今のところ、ここがアレスとのつながりなのだ。もし、アレスとの手がかりがなければ、ユティアたちの捜索はまた振り出しに戻ってしまう。
「そうだな。分からないことは、怖い」
「ほんとうに、そう思います?」
ヘルメスは何事も動じないように見えます、とユティアは言った。かたん、かたん、とユティアの手にあるカンテラが歩くたびに音をたてる。
ヘルメスは、しばし黙っていた。
「……私にだって、怖いものはある」
「なんですか?」
「誰か大切な人を、失うことだ」
淡々と、ヘルメスは告げる。暗くて、ヘルメスの顔は見えない。でも、悲しげな顔をしているんだろうと思った。ヘルメスは表情に乏しいけれど、その分瞳が如実に感情を伝える。
「私は、これまでに色んな人を亡くしてきた。助けられなかった人、助けられなかった人。たくさんいた。だから、人の死には慣れていると思っていた」
ヘルメスはそう言って口をつぐむ。ユティアは、ヘルメスに弟子入りをしていた時に言われたことを思い出す。力を持つものは、それだけの責任が伴うと、ヘルメスは言っていた。その責任の分だけ、彼は苦しんできたのだろう。
「でも、1人だけ……耐えられない別れをした」
ユティアはその人のことを聞くべきか、否か逡巡する。ユティアの勘が、言っていた。その1人こそ、ヘルメスがいつも遠い目をする時に思い出している人物なのではないかと。ユティアは、ずっと気になっていたのだ。その瞳の先にいるのが、誰なのかを。
知りたい。ユティアの心が、そう叫んでいる。
「——今も、忘れられないんですか?」
ユティアは、心の思うままに、たずねる。
「そうだ」
ヘルメスは、言葉とともに、大きく息を吐いた。ヘルメスの声は、少し震えているようにも思えた。
ユティアは、自分の胸がずきんと痛むのを感じた。なぜ、自分はこんな感情を抱いているのだろう。それさえ困惑したまま、ユティアの口は勝手に動く。
「その人って、どういう人だったんですか?」
「どういう人、と言われると困ってしまうな。あまり長い間一緒にいたわけではなかった。風のようにやってきて、一瞬で去ってしまった。こんな変わり者の私のことを慕ってくれた」
ずきん、とまた胸が痛む。きっと、その人はヘルメスのことが好きで、そして、ヘルメスもその人のことが好きだったのだろう。そして、ヘルメスは今もその人のことを好きでいるのだ。
——なぜ、こんなに悲しいのだ。
心臓に、冷たい水を浴びせられたように、胸が痛む。そして、ハッとした。
自分が、その人を羨ましいと思っていることを。そして、自分がその人のようになれないことが、悲しいのだと。
「……彼女は死んだ。死因は分からん。きっと、『魂の濁り』だ。気づいた時には、もう手遅れだった。それを今も悔いている」
ヘルメスは、感情の読めない声で淡々と告げる。ユティアは、何も考えられなかった。
自分の気持ちに、気づいてしまったのだ。
——自分は、ヘルメスのことが好きなのだ、と。
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