第9話 魂の濁り

ユティアがエントランスに近づくと、男の人の声が「賢者さま」と呼んでいるのが分かった。

「あの……何か御用ですか?」

 ユティアはそろりと扉を開いてたずねる。そこにいた人物に、ユティアは思わず驚きの声をあげた。

「ロビン……!?」

 そこにいたのは、いつもお世話になっている、マーナの息子ロビンだった。幼い頃ともに過ごしたロビンの姿に、ユティアは懐かしさを胸いっぱいに感じる。ロビンは今、村を出て、町に住んでいるはずだ。ロビンも驚いた顔でユティアを見つめている。

「ユティア!? ここは賢者さまの家じゃないのか」

「ここは賢者さまの家よ」

 ユティアが答えると、ロビンは不思議そうな顔をしたままユティアを見つめた。

「賢者さまの家になんでユティアがいるんだ」

「私、今賢者さまのお手伝いをしているの。呼んでくるわね」

 ユティアがそういってヘルメスを呼びに行こうとすると、そこに起きたヘルメスが現れる。幾分かは、顔色がすっきりしたように見えた。

「ヘルメス。お客様です」

「またか」

 ヘルメスは大きなあくびをして言った。

「入れてもらってもいいか? 話を聞こう」

「わかりました!」

 ユティアはうなずいて、ロビンを中に通した。先ほど綺麗に片付けをしていてよかった、とユティアはこっそり胸をなでおろす。もし「賢者さま」の家があんなに汚かったら幻滅してしまうに決まっている。


 困ったように立っているロビンをテーブルに誘導すると、ヘルメスはロビンの向かいに腰をかけた。ユティアがどうしようかと迷っていると、ヘルメスはユティアを自分の隣に座るように促した。ユティアも話を聞いていいらしい。ユティアは言われるままにヘルメスの隣に腰をおろした。


 今日はヘルメスのお手伝いとして来たのだから、少しでも貢献したい。そう思うと、背筋が自然と伸びるのを感じる。

 改めてロビンの顔をみると、ロビンも歳をとったことがよくわかった。ロビンが村を出たのは、今から5年くらい前だったろうか。記憶の中のロビンは、まだ線の細い少年という印象もあったが、今となってはがっちりとした体格の男の人になっていた。

「それで、何があったのだ?」

 ヘルメスは、憔悴しきった顔のロビンに話すように促す。ロビンは今にも泣きそうになりながら、婚約者の病状を語りだした。



「なるほど。眠ったまま目を覚まさなくなってしまったと、そういうことか」

 ロビンの話を聞いたヘルメスは静かに言った。

「そうです。いきなり倒れて、それきり目を覚まさないのです。熱もあるわけではなく、ただ眠っているだけで。町の医者にも見せたのですが……」

 そこでロビンが言い淀む。どうせ何も変わらなかっただろう、とヘルメスが促すと、ロビンは沈痛な面持ちでうなずいた。

「特に異常はない、とお医者様は。でも、もう四日も目を覚まさないのです」

 ヘルメスは考えこむように口元に手をあてた。

「『魂の濁り』が起こっているのかもしれないな」

「たましいの、にごり……?」

 ユティアは思わずはじめて聞く言葉をつぶやいた。ヘルメスは口元に手をあてたままうなずく。

「我々の体は四大元素から成っているが、魂は違う。魂が何から構成されているのかは、未だ解明されていないのだが……。それでも、体内の四大元素のバランスが著しく偏ると、魂にも影響が現れ、『魂の濁り』と呼ばれる現象が起こる。『魂の濁り』が起こると、眠ったまま目を覚まさなくなる。治すためには、体内の四大元素のバランスを整えることが一番だが――それを診ることができる人間はほんの一握りだ。大抵は眠ったまま死に至る」

「そんな……」

「魂と体の繋がりについては、これまで幾多の人間が解明しようとしているが、誰も真理には辿りついていない」

 そう口を切ったヘルメスは、憂いを帯びた瞳でうつむいた。

「それで、婚約者は――アンナは助かるんでしょうか」

「確証はない。でも、私にできることはしよう」

 そう言って、ヘルメスは立ち上がった。

「今すぐ向かおう。道を案内してくれるか?」

「は、はい!」

 男も立ち上がった。

「ユティア。君の力も借りたい。ついてきてくれないか?」

 ヘルメスの言葉に、ユティアも飛び上がるようにして立ちあがった。まさか、自分の力を借りたいと言われるとは思わなかった。

「私が、ですか?」

 ヘルメスの瞳がきらりと光る。

「精霊の姿が見える君の力があれば頼もしい」

 そう言われてしまえば、ユティアに断るという選択肢はなかった。ヘルメスの体調が気にかかったが、急いで支度をしてロビンの婚約者の元に向かうことにした。



 ロビンの婚約者のいる小さな町に向かう道のりで、ユティアはこれまで出たことがない景色に感動を覚えた。たくさんの建物がある。これまで畑や森ばかりを見ていたユティアにとって、それだけでも興味深かった。

 建物の前に置いてある果物や野菜は何だとヘルメスにたずねると、ヘルメスはそれが「店」だと教えてくれた。村の人々も、たまに連れ立って村では手に入れられないものを買いに行っていたが、今見ている店に彼らは行っていたのだと思うと、なぜか感慨深いものがあった。

 自分がヘルメスやロビンとともに外の世界にいるということが、まるで夢のように信じられなかった。思えば、ロビンが外の世界へ出たことさえも、幼いユティアにとっては信じられないことだった。


 ユティアの記憶の中にいるロビンは、いつも朗らかな笑顔を浮かべていた。父を早くに亡くしているユティアにとって、マーナの家族は理想のように見えた。一人息子ということもあり、ロビンは両親に目一杯愛されているように、ユティアは思っていた。ロビンが家を出たのだと、憔悴しきったマーナに教えてもらった時、ロビンでさえも村に不満があるのだと、愕然としたことを覚えている。

 それからロビンは定期的にマーナの元に帰ってきているようだったが、ユティアは今日までロビンと顔を合わせたことがなかった。

 久しぶりに会うロビンは、少しやつれたような顔をしている。婚約者がそのような病状だとすれば、やつれるのも当然なのかもしれない。

 共に村を出ようと言っていたアレスの姿が思い浮かんで、ユティアはなぜか胸が痛んだ。またぐるぐると考えそうになる気持ちを振り払って、ユティアはただロビンの婚約者が待つ家への道を急いだ。

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