第10話 ロビンとアンナ


 ロビンに案内されるまま、ユティアたちはロビンの家へ向かう。ロビンの家は町の片隅にあり、お世辞にも大きい家とは言えない。しかし、掃除が行き届いていて、清潔感のある部屋は居心地がよさそうに見えた。

 寝室の一角にあるベッドには、女が寝ている。豊かな赤髪の女は、まるで安らかに眠っているようにも見える。この人が、ロビンの婚約者アンナだろう。


 ヘルメスがアンナの腕をとって脈を測った。そして、体に異常がないかを一通り調べる。

「特に体には異常はないな。これから魂の様子を見ていく」

 ヘルメスはそう言ってアンナの額に手を置き、目をつむった。すると、手が触れている部分がぼうっと光を放った。アンナとヘルメスの周りをその光が取り囲む。


 ロビンが固唾をのんでその光景を見ている。握りしめたロビンの手が少し震えているようにも見えた。先日の母の体調不良を経て、ただ見ているだけの自分がどんなに無力に感じられるのかは痛感していた。

 ユティアはロビンの背にそっと手を添えた。同じく無力なユティアにできることはそれだけだ。

 ヘルメスは静かに目をつむったままだが、ヘルメスの体を取り巻く光は徐々に光を増していく。ユティアがその光景を見ていたその瞬間、ふっと蠟燭の炎が消えたかのように、闇の世界にユティアは投げ込まれた。


 いきなりのことに、ユティアは目をぱちぱちと瞬かせる。先ほどまで部屋の中にいたはずなのに、ユティアはただ闇が続く空間にいる。まるで水の中にいるように、音が聞こえてこない。周りを見渡すと、闇の中でも、ぼんやりと光が見えた。


――これはなんだろう。


 ユティアは混乱していた。この闇はなんだ。私はどこにいるのだろう。

 頭の中に、ぐるぐると疑問が回る。さきほどまで、部屋の中にいたはずなのに。ユティアは自分の手のひらを見つめようとした。しかし、自分の手元ですら見えないほどの暗闇が阻む。

 もう一度視線をあげる。ぼんやりとした光は、変わらずに目の前にある。この状況のユティアにとっては、まるで希望の光に見えた。何が起こっているのかを確かめるのは、あの光に近づいてからだ。


 ユティアはそこに向かって歩みを進めた。地面を蹴るような固い感覚がないことに気づく。まるで、自分の背中に羽が生えているかのように、体が軽い。歩く、というよりは飛んでいるのかもしれない。それでも、足を進めると、光にどんどん近づいていっているのが分かる。


――近づいた先、淡い光の中にいたのは、アンナだった。


 木漏れ日のような光が、どこからかアンナの姿を照らしている。アンナの髪は風も吹いていないにも関わらず、ゆらゆらと揺れていた。アンナはここでも眠っているようで、目を閉じたまま、少し体をまるめた形でふわふわと宙に浮いている。


 ユティアは信じられない気持ちでアンナに手を伸ばした。すると、アンナの瞳がぱちりと開いた。ゆるゆると、視線がユティアに合う。

「あなたは?」

 高い声が、ユティアに尋ねた。

「わ、私はユティア」

「あなたがユティアね」

 アンナは小さく微笑んだ。

「ロビンに聞いたことがあるわ。あなたでしょう? お隣に住んでいた女の子っていうのは」

 ユティアは小さくうなずいた。アンナはふふふ、と声をあげて笑った。

「あなた、すごく頭がよくて、ロビンはたじたじだったって言っていたわ。自分の知らないことを何でも知っていて、それで外の世界へ興味を持つようになったんだって」

 ロビンが外に出るきっかけが、自分だったなんて。

「ありがとう、ユティアちゃん。私とロビンを引き合わせてくれて」

 幸福そうに、アンナはユティアにほほ笑みかけた。

「そんな、お礼を言われるようなことじゃ……」

 ユティアは言いかけ、そして口をつぐんだ。アンナはユティアにほほ笑んだまま、すでに瞳を閉じていたのだ。


『ユティア。君は今アンナの魂の核を見ている』

 その時、脳内にヘルメスの低い声が響いた。

『驚かなくていい。私が側にいる。君の体に害はない』

 ヘルメスの心地よい声にそう言われると、妙に安心して、ユティアは知らないうちに体に感じていた緊張がほぐれていくのを感じた。

 ヘルメスは、今目の前にいるのはアンナの魂の核だと言った。となると、ユティアは先ほどアンナの魂と話したことになる。

『アンナの姿が見えるか?』

 ユティアがうなずくと、「さすがだ」とヘルメスの声が響いた。目の前のアンナは、今もほほ笑んだままで、目を閉じている。

『アンナの姿はどう見える?』

 ヘルメスの声に誘われ、ユティアはもう一度アンナを見つめるも、どこも変わらないように見える。念のため全身を見渡すと、足の先のほうから黒いオーラが渦巻いているのが目に留まった。背筋が凍る。生理的な嫌悪感を抱いた。

『足元から……何か黒いものが見えます』

『そうだな。あれが『魂の濁り』だ』

『これが……』

 ユティアは茫然とつぶやいた。生理的な嫌悪感を抱くほどに、禍々しいオーラをまとったものだ。人体に悪影響がないはずがない。

『どうしたら治せるんですか』

 ユティアは思わず泣きそうになりながら尋ねた。

『自分の魔力を注ぎ込むことで、『魂の濁り』を晴らすんだ』

『自分の魔力を……?』

『私がやってみるから、どうなったか見ていてくれ』

 ヘルメスが言うや否や、アンナの体からあわい橙色の光があふれはじめた。陽光のようなその光は、徐々にアンナの体を包みはじめる。それと同時に、先ほどまであったアンナの足元の黒いオーラが消えていくのが見えた。あたたかい橙色の光がユティアまで辿り着くと、ユティアの体も軽くなっていくのを実感した。

『すごい……!』

 この橙色の光が、ヘルメスの魔力なのだろうか。とても、あたたかくて心地よい。ヘルメスの魔力の勢いは止まらず、確実に黒い光が遠ざけられていくのが分かった。そして間もなく、黒い光が全部消えていく。

「終わった。これで『魂の濁り』は晴らせたはずだ」

ヘルメスの声が響いたと同時に、ユティアの視界もぼやけていき、次にまばたきをした時には元の部屋に戻っていた。

闇の中で手を動かしたはずだが、ユティアの手はロビンの背中に添えられたままだった。まるで、ユティアの魂だけが先ほどの闇の世界に行っていたかのような、そんな感覚。ユティアは不思議さに手のひらを握って開いてを繰り返す。


 ヘルメスを見ると、先ほど一仕事を終えたはずなのに、全く堪えていないような涼しい顔をしている。ヘルメスがなにをしたのか、知識のないユティアには詳しく分からなったが、普通の医者ができない治療をさらりとやってのけたのだ。

 さらに、ユティアをあの闇の空間にいれたのも、魔術の類に違いなく、ヘルメスに負担がかかっていないはずがない。それにも関わらずヘルメスは何でもないような顔をしている。

 ——やはり、ヘルメスは「賢者さま」なのだ、とユティアは当たり前のことを痛感した。

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