第11話 幸福とパン

「アンナは助かるんですか?」

 泣きそうな声でロビンが言った。

「大丈夫だろう。幸い、そこまで進行していなかったようだ」

「ありがとうございます……!」

 ロビンは感極まったようにお礼を言う。ユティアも寝ているアンナの顔をみると、たしかに先ほどよりは顔色が良いように思えた。

 よかった。ユティアもほっと息を吐く。

「『魂の濁り』は取り除いたが、再発しないとも限らない。あまり無理をさせすぎないことだ」

 ヘルメスはそう言って立ち上がった。

「なんとお礼を言っていいものか」

 ロビンが言うとヘルメスは小さく首を横に振った。

「完治させたわけではない。……もしかしたら、次は助からないかもしれない」

 そう言うヘルメスの瞳は、はっとするほど悲しい光を帯びていた。ユティアが思わず息を呑んだのと同じく、ロビンも何かを感じ取ったようだ。

「『魂の濁り』は体内の四大元素の均衡が崩れることで起こる。四大元素のバランスを崩さないようにするためには、無理をさせないことが一番だ。生まれつきの四大元素の量を超える速度で元素を消費することで、『魂の濁り』が起こるとされている。気をつけるに越したことはない」

「分かりました。彼女には少し無理をさせてしまっていたところもあるかもしれません」

 彼女と一緒に、小さいながらも店を開こうと思っているんです、とロビンは少し恥ずかしそうに言った。

「その準備に奔走していて、いつの間にか彼女の体調の変化を見ていなかったこと、反省しています。今後は気を付けます」

「そうだな」

 ヘルメスはそう言って柔らかく笑った。ロビンの瞳は、先ほどまでとはくらべものにならないぐらいの輝きを取り戻していた。彼女の存在が、ロビンの生きる気力になっているのかもしれない、とユティアは思う。

 そして同時に、アンナにとってもロビンの存在は大切なものなのだろう。アンナの魂は、ユティアに対してありがとう、と言ったのだ。あれはアンナの心からの想いだったと、ユティアは思っている。

 ロビンは、外の世界へ出たことで幸せを——アンナを掴んだのだろうか。

 まさかユティアが、ロビンが外の世界に出るきっかけとなったとは、考えたこともなかった。家族に対して不満があったから外に出たのではなくてよかった、とユティアはほっとしていた。


 ユティアはほとんど何もできなかったが、それでもアンナが回復するのは嬉しい。そして、元気を取り戻したロビンの姿を見ることも素直に嬉しかった。

「ユティアも、ありがとうな」

 ロビンがふとユティアの手を取っていった。

「わ、私? 私は何もしてない」

「そんなことない。ユティアがいてくれたおかげで、気分が紛れた。ありがとう」

 ロビンの瞳は、少し潤んでいた。ユティアがしたことと言えば、ただロビンの背中に手をまわしたことぐらいではあったが、それでもロビンの力になれたのだったら、それ以上に嬉しいことはなかった。

 ユティアの胸にじんわりとあたたかいものが広がっていくのが分かった。こんなに純粋に嬉しいと思ったのは、はじめてかもしれない。誰かから言われるありがとうが、こんなに嬉しいものだったなんて、はじめて知った。思わず涙がこぼれそうになって、ユティアは必至で堪えた。



 ヘルメスに治療代としてお金を渡そうとするロビンを丁重に断って、ユティアとヘルメスは帰路につく。折れないロビンに対して、ヘルメスはロビンのパン屋が始まったら、焼きたてのパンを持ってくるように言ってその場をおさめた。その時には、ロビンはユティアにもパンをくれるらしい。食べきれないぐらいのパンがヘルメスの家に送られてくるのを想像して、ユティア思わず口元に笑みを浮かべる。

 今日も、二人で食べてほしいと、試作中だというパンを大量にもらってしまった。


「こんなに多くもらってしまうとはな……」

 家の外まで送ってくれたロビンに手を振り返すと、ヘルメスが困ったような顔でつぶやいた。

「でも、とても美味しそうですよ?」

 ユティアはバスケットの中身を見ながらヘルメスに言った。中には、これまで食べたことがないような色とりどりのパンが入っている。ぐるぐるの渦巻きのような形をしたようなパンや、果物が上にのったようなパン。ユティアはこれまでこんなに美味しそうなパンを見たことがなかった。

――食べてみたい。

「どこかで食べていきませんか? とても、心地よい日ですし」

 そんな気持ちが先行してか、ユティアは思わず言葉を口走っていた。ユティアのお腹がそれに合わせて、ぎゅるると鳴った。ヘルメスがじろりとユティアを見る。恥ずかしさに自分の頬が急速に赤くなるのを感じた。

「あ、あの。やっぱり大丈夫で……」

 顔を横に振りながら言った言葉を、ヘルメスは静かに遮った。

「――いや、どこかで食べるのも悪くないだろう」

「えっ?」

 思わずユティアがヘルメスを見ると、ヘルメスは口元に小さな笑みを浮かべていた。

「私も腹が減った。一仕事終えたところだし、休憩するのも悪くない」

 ヘルメスは伸びをする。

「このところ、依頼続きだったから、たまの息抜きもいいだろう。付き合ってくれるか?」

「いいんですか? 帰って寝たほうが……」

「いいもなにも、最初に誘ったのは君だろう」

 何も言い返せず、ユティアは押し黙った。ヘルメスは、ユティアの抱えたバスケットをさらりと抱えると、こっちだ、と言って歩き出した。

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