第12話 ヘルメスとのピクニック

ヘルメスに治療代としてお金を渡そうとするロビンを丁重に断って、ユティアとヘルメスは帰路につく。折れないロビンに対して、ヘルメスはロビンのパン屋が始まったら、焼きたてのパンを持ってくるように言ってその場をおさめた。その時には、ロビンはユティアにもパンをくれるらしい。食べきれないぐらいのパンがヘルメスの家に送られてくるのを想像して、ユティア思わず口元に笑みを浮かべる。

 今日も、二人で食べてほしいと、試作中だというパンを大量にもらってしまった。


「こんなに多くもらってしまうとはな……」

 家の外まで送ってくれたロビンに手を振り返すと、ヘルメスが困ったような顔でつぶやいた。

「でも、とても美味しそうですよ?」

 ユティアはバスケットの中身を見ながらヘルメスに言った。中には、これまで食べたことがないような色とりどりのパンが入っている。ぐるぐるの渦巻きのような形をしたようなパンや、果物が上にのったようなパン。ユティアはこれまでこんなに美味しそうなパンを見たことがなかった。

――食べてみたい。

「どこかで食べていきませんか? とても、心地よい日ですし」

 そんな気持ちが先行してか、ユティアは思わず言葉を口走っていた。ユティアのお腹がそれに合わせて、ぎゅるると鳴った。ヘルメスがじろりとユティアを見る。恥ずかしさに自分の頬が急速に赤くなるのを感じた。

「あ、あの。やっぱり大丈夫で……」

 顔を横に振りながら言った言葉を、ヘルメスは静かに遮った。

「――いや、どこかで食べるのも悪くないだろう」

「えっ?」

 思わずユティアがヘルメスを見ると、ヘルメスは口元に小さな笑みを浮かべていた。

「私も腹が減った。一仕事終えたところだし、休憩するのも悪くない」

 ヘルメスは伸びをする。

「このところ、依頼続きだったから、たまの息抜きもいいだろう。付き合ってくれるか?」

「いいんですか? 帰って寝たほうが……」

「いいもなにも、最初に誘ったのは君だろう」

 何も言い返せず、ユティアは押し黙った。ヘルメスは、ユティアの抱えたバスケットをさらりと抱えると、こっちだ、と言って歩き出した。



 ヘルメスが案内してくれたのは、町から少し外れた小高い丘だった。丘にはたくさんの花々が咲いている。その中には、ユティアの好きなアネモネの花も咲いていた。

 びゅう、と風が吹くとさわさわと花々が揺れた。春のあたたかい陽気に照らされた花々は、きらきらと輝いて見えた。二人の他には誰もいない。この素敵な景色を見ながらパンを食べられると思うと、ユティアは自分の胸が高鳴るのを感じた。


「ヘルメス、こことっても素敵です!」

 思ったことを素直にヘルメスに伝えると、ヘルメスは嬉しそうにほほ笑んだ。屈託のない笑顔に、ユティアは思わず見惚れてしまう。ヘルメスは自分の顔の綺麗さを自覚してないのだろうか、なんてことさえ思ってしまう。

「以前通りかかった時に見つけた場所だが、喜んでもらえてよかった」

「私のために、ここに連れてきてくれたんですか?」

 ユティアが尋ねると、ヘルメスは不思議そうな顔をした。

「君は花が好きだろ? だからここならきっと喜ぶだろうと思ってね」

「私、花が好きだなんて言いましたっけ?」

「一番最初に私の家に来たとき、棘があるにも関わらず触ろうとしていただろう」

「た、たしかにそうでしたね」

 何とも言えない気まずさに、ユティアは何も言い返すことができなくなった。

「……それに、〝君〟に花を見せたかった」

 ヘルメスがぽつりと言った。何を言ったかまでは聞こえなかったが、ヘルメスの瞳がどこか遠くを見ていることは分かった。聞いてはいけないもののような気がして、ユティアは聞こえなかったふりをする。

「ここに座りましょう」

 ユティアは町を一望できる場所にある大きな岩に腰かけた。ヘルメスも素直にそこに座った。ヘルメスがバスケットをあけて、ユティアに傾けて見せる。どれが良いだろうかとユティアは手を伸ばしかけ、ヘルメスにたずねた。

「ヘルメスはどれがいいですか?」

「私か……? 私はユティアが選ばなかったものでよい」

 ユティアは散々に迷って、カットされた果物がのっているパンを手に取った。ヘルメスは、ぐるぐるの渦巻きの形をしているパンを手に取る。まだまだパンは大量に残っている。ヘルメスは一度バスケットを片付けようと岩の下に置いた。

 ユティアは大きく口をあけて、パンにかぶりついた。ふわふわのパンの触感に、甘酸っぱい果物の酸味が口の中に広がる。

「おいしいっ」

 こんなに美味しいパンを食べるのははじめてだった。ユティアは目を輝かせて、もう一口かじりつく。ヘルメスも一口かじり、大きくうなずいた。ヘルメスの口にも合ったようだ。

 ロビンがパン屋を開くなんて、昔は想像もできなかったが、これなら繁盛しそうな気がした。きっと、ロビンの母であるマーナも喜ぶだろう。次マーナに会った時にこの話をしようと、心に決める。


 また風が吹いて、花々が揺れた。ユティアの足元にも、赤いアネモネの花が咲いている。

「そういえば、ヘルメスはどこの出身なんですか?」

 町を見下ろしながらヘルメスに尋ねると、ヘルメスは少し苦い顔をした。

「私は、ここよりもっと南の方の出身だ」

「南っていうと……王都があるほうですよね?」

 ヘルメスはうなずいた。

「王都に行ったことはあります?」

「まあな」

「どうですか? やっぱり素敵なところですか?」

 矢継ぎ早に質問を繰り返すユティアを、ヘルメスは呆れたように見つめた。

「王都は建物ばかり多い。そのおかげで物はたくさんあるが、取り立てて良いところとは思わん」

「じゃあ、どうしてヘルメスはここに移り住んできたんです?」

「最初は私の意志ではなかった。……私の錬金術の師匠が住んでいたのがあそこだった。師匠が亡くなったあと、その家を譲ったような形になるな」

 たしかに、ヘルメスの家の外観などは、ヘルメスの雰囲気とは違う少しかわいらしい形をしていたようにも思える。師匠の趣味だと思えば、しっくりくる気がした。

「家を譲ってくれるなんて、ヘルメスを大切に思っていたんですね」

 ユティアがそういえば、ヘルメスは渋い顔をする。

「私のことを大切に思っていたかは別として、とてもよくしてくれた。何度もこっぴどく叱られたこともあったがな」

  いつも涼しい顔をしているヘルメスが怒られている様子が頭にぴんとこない。

「ヘルメスも叱られることがあったんですね」

 ふふ、とユティアは思わず笑い声を漏らした。

「それはどういうことだ」

「いや、いつも涼しい顔してるじゃないですか。だから、ヘルメスにできないことなんて、何もないんじゃないかと思ってました」

「私だって、失敗することぐらいある」

 すこしむくれたように、ヘルメスは言った。

「お師匠さんは、怖い人だったんですか?」

「まあ、怖い人だったかもしれんな。すっと芯の通った人で、自分の力を誰かのために使おうとしていた。時には厳しく叱られたこともあったが、それもその信念があってこそだと思えば、納得できた気もする」

「とても素敵な人だったんですね」

「まあ、そうなるな」


 その時、かさりと草を踏む音が間近から聞こえてきた。驚いたユティアとヘルメスが後ろを振り向くと、小さな子どもが、パンが入っているバスケットをとろうと、誰かが手を伸ばしているのが目に入った。

「だめ……!」

 ユティアが思わず声をあげると、子どもははっとユティアの顔を見た。

 まだ小さな男の子だった。ぼろぼろの服を着た彼の顔は、どこか薄汚れていて、ユティアを見上げるその瞳は少し潤んでいた。

「あ……ごめん……なさい。ごめんなさい、ごめんなさい。許してください」

 2人に見つめられた男の子は、バスケットから手を引っ込めて、ユティアたちに謝罪する。びくびくと2人を見ながら、何かから身を守るように、体をまるめた。ユティアたちが怒って殴るとでも思っているのかもしれない。

 ユティアとヘルメスは顔を見合わせた。その身なりや態度から、何か事情がありそうだと感じたのだ。ユティアは男の子に近づこうと、岩から降りる。その動作だけで、男の子はひっと体を縮めた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 悲鳴にも似たような声があがる。

「怒ってないわ。あなたには何もしない。だから安心して」

 今のユティアにできる限りの優しい声でうながすと、男の子はおそるおそるユティアをみつめた。

「私はユティアっていうの。あなたのお名前は?」

「……ぼくはマルロ」

 男の子はおずおずと名前を名乗った。

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