第13話 少年と母

 案外素直に男の子は名前を教えてくれた。

「マルロね、よろしくね」

 ユティアはマルロが取ろうとしていたバスケットを開いて、マルロに見せる。

「どれでも好きなものどうぞ」

 マルロは驚いた顔をして、ユティアとパンを交互に見た。

「これ……もらっていいの? ぼく、勝手に取ろうとしたのに?」

「ええ、いいのよ。好きなものをあげるわ」

「お母さんの分ももらっていい? ……お母さん、病気なんだ」

 消え入りそうなほど小さい声で、マルロは言った。

「お母さんの具合、悪いの?」

「うん。お母さん、ずっと目を覚まさない」

 ユティアははっとしてヘルメスを見上げた。

「ヘルメス、もしかして――」

「そうだな。『魂の濁り』かもしれない」

 ヘルメスはうなずいた。マルロは、いきなり話し出したヘルメスに怯えたような顔をしている。たしかに、ヘルメスはあまり表情が豊かな方ではないから、小さな子どもからみたら怖いのかもしれない。

「そのバスケットの中身を全部あげよう」

 ヘルメスは、ぶっきらぼうながらも言った。

「少しは、お母さんがよくなるかもしれない」

 マルロはヘルメスの言葉にぱっと顔を輝かせた。

「これ、全部もらっていいの?」

「ええ。全部お母さんに持っていってあげて」

 ユティアはバスケットをマルロに持たせた。

「ありがとう。おねえちゃん、おにいさん」

 マルロは目を輝かせながら、ぎゅっとバスケットを握る。マルロの小さな体とは釣り合わないバスケットの大きさ、そしてそれを握るマルロの腕の細さに、ユティアは不安をおぼえる。

 あまりご飯を食べることができていないのかもしれない。ぼろぼろの服の様子や、そこから出る足首の細さを考えると、あまり裕福な家の子とは言えないようだ。

「ヘルメス……マルロのお母さんを診ることはできませんか?」

 ユティアはおずおずと言った。

 ヘルメスはユティアを見つめる。青の瞳がきらりと揺れた。

「……君ならそう言うんじゃないかと思ってた」

 呆れたような、そんな声音でヘルメスは言う。

「私も、この子のことが心配ではある。マルロが許すのであれば、お母さんの具合を診てみよう」

「ありがとうございます!」

 ユティアはマルロに向き直る。

「マルロ、このおにいさんはね、すごく効く薬をつくれるの。もしかしたら、お母さんに効く薬がつくれるかもしれない」

「えっ!?」

 マルロはヘルメスの顔をびっくりしたように見つめた。

「もしかして、おにいさんが賢者さま? 賢者さまはすごい人だって、みんな言ってる」

「私のことを知っているのか」

 ヘルメスがつぶやくと、マルロは大きくうなずいた。こんな小さな子どもでさえもヘルメスのことを知っているのだと、ユティアは驚いた。

「おにいさん、お母さんを助けてくれるの?」

「お母さんのためにできることはしよう。マルロ、道を教えてくれるか?」

「うん!」


 ユティアたちはマルロの後についてマルロの母の元へむかった。マルロの家は、町のはずれのほうにあると言う。

 町を囲む外壁に近くなるにつれ、家々の様子が古びていくことにユティアは気づく。町の中心地は、村で過ごすユティアにとってはきらきらと輝いて見えたのに、今ユティアの目にうつる家々はどれもぼろぼろで、今にも崩れ落ちそうにも感じた。


 大通りから外れた路地を曲がると、くたびれた服を着た人々が地べたに座りこんでいるのが目につく。ぎらぎらとした目で、ユティアたち一行を睨みつけるように様子をうかがっている。その瞳からは、村の人々がユティアたちを見るような、余所者は出ていけと言わんばかりの雰囲気を感じる。目を合わせないようにして、ユティアは歩みを進めた。目が合えば、何を言われるか分からない。

 雰囲気に気圧されおどおどとしてしまうユティアと違って、そんな中でもヘルメスは堂々と歩いている。颯爽と風に吹かれる黒髪を見ながら、ユティアはヘルメスの背をとても頼もしく思った。


「ここが僕の家だよ」

 マルロが示したのは、ぼろぼろの家の一角だった。外壁はところどころに穴が開いていて、屋根は少し傾いているようにさえ見えた。マルロはそんな家の中にすっと入っていく。ユティアもマルロの後に続いてそこへ入った。

 家の中は薄暗く、そして埃の香りがした。三人で入ると少し窮屈に感じるぐらいの家の中で、マルロの母と思われる女が床に伏している。家の中は何もなく、かろうじて、調理器具のようなものが置いてあるだけだった。がらんどうの家の中で、その女性の存在だけが異様な雰囲気を醸し出していた。

 あの闇の中にいなくとも、ユティアには分かった。女性の足元から、体の半分以上を覆う黒いオーラ。まるで夜をまとっているかのように分厚い闇が、彼女の体を包んでいた。

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