第5話 ユティアの力
洋館の中に入ると、ハーブのようなさわやかな香りがユティアの鼻をくすぐった。玄関を抜けると、吹き抜けの大きな部屋に通される。窓ガラスからは柔らかな日の光が差して、部屋の中はとても明るい。大きな窓からは、ユティアが先ほどやってきた門や庭が目に入った。リリィから「錬金術師」と聞いていただけに、もっと釜のようなものがたくさん並んでいるものだと思っていたが、いたって普通の家だった。
「こっちだ」
突っ立ったまま部屋を眺めているユティアを見かねて、ヘルメスがユティアを呼ぶ。部屋の中央に来ると、窓があるのと逆の壁には一面の本棚が取り付けられていた。何百冊、いや、もしかしたらそれ以上あるかもしれない。本棚の中にはぎっしりと本が詰め込まれている。本好きなユティアにとっては、まるで夢のような本棚だ。
その隣の棚にはよくわからない瓶が綺麗に整頓されて並んでいた。黒だったり赤だったりと、毒々しい色の中身が入ってるのが見えた。何かの薬に使うのだろうか。
そして、窓の近くにある大きな机の上には、所狭しと、本やら紙切れが積まれていた。今まさに、ここで作業をしていました、というような雰囲気がある。ここが書斎なのだろうか。
ヘルメスは机へ向かってすたすたと歩いていき、机の上の本や紙切れを無造作につかむと、作業台と思しき棚の上にそれらをどさりと置いた。そして、椅子を引き、ユティアにここに座るよう手招く。
「ここに座って待ってろ」
ユティアはおずおずとヘルメスの指示した椅子に座る。ヘルメスはユティアが座るのを見届けて、奥の部屋に行ってしまった。1人残されたユティアが辺りを見渡すと、よく用途の分からないものがたくさん置いてある。ソファーや椅子にはヘルメスのものと思われる服が無造作にかかり、家の中だというのに植物の鉢がたくさん植えてある。そして、宝石や鉱物のような塊がごろごろと作業台のような棚に置いてあった。
落ち着かなく辺りを見渡していると、ヘルメスがカップを持ってユティアの前に現れた。ユティアの前に湯気のたつそれを置く。
「茶だ」
ヘルメスは素っ気なく言うと、自分は少し離れた椅子に腰かけ、自分も同じようなカップに入ったお茶をすすった。
カップの中を覗くと、茶色の液体が入っている。水面にユティアの陰が揺れた。カップからただよう香りはとてもさわやかな良い香りがした。この部屋に入ったときにした香りと一緒だった。
「言っとくが、毒は入ってないからな?」
ヘルメスが釘を刺すように言った。純粋なもてなしの気持ちからお茶を淹れてくれたようだ。ユティアは意を決してカップに口をつける。
「――美味しい!」
「そうか。それは良かった」
ユティアの言葉に、少しヘルメスの顔が緩んだ気がした。先ほどまでは夜の闇にきらめく刃のような、鋭さも兼ね備えた美貌だと思ったが、今こうして笑顔を見ると、もっと柔らかな美貌にも思えた。ユティアは、これほどまでに美しい顔立ちの人間を見たことがなかった。
そういえば、リリィは「あなたからヘルメスの香りがする」と言っていたが、ユティアはこれまでにヘルメスに出会ったことなどなかったはずだ。もし出会っていたとすれば、こんなきれいな人のことを忘れるはずがない。リリィの勘違い、にしては少し気にかかった。精霊の言うことが間違っている、なんてことがあるだろうか。
「あの……お茶ありがとうございます。もし間違ってたらごめんなさい。私たち、以前に会ったことがあったでしょうか?」
ヘルメスに問うと、ヘルメスは驚いた顔のまま固まった。明らかに表情がぎこちない。ユティアをじっと見て、ヘルメスは言った。
「……どうしてそんなことを思った?」
「ここに来るまでにシルフのリリィと出会ったんです。その子が私からあなたの香りがするって言っていました」
「リリィが?」
ヘルメスは考え込むように口元に手をやった。そして、何かに気づいたようにはっとしてユティアを見る。
「そういえば、君にはリリィが見えたのか?」
「はい。……なぜか」
ユティア自身でさえ、なぜ精霊を見ることができたのかを訝しんでいるのだ。高名な魔術師でもなんでもないユティアが精霊を見ることができるなんて、もしかしたら信じてもらえないかもしれない。ユティアは黙り込んでしまったヘルメスを見てそんな不安に駆られた。
「リリィが見えたということは、君にはかなり高い魔力があるはずだ。それも、滅多にいないぐらい強い力を持っていると考えていい」
ヘルメスは、しばしの沈黙のすえ、そう口を開いた。
「……え?」
まさかそんなことを言われるとは思わず、ユティアは困惑の声をあげた。ユティアはこれまで村の中でしか生きてこなかった。平凡に、静かに、つつましく。そんな日々をおくっていた自分に力があるなんて、そんなことを言われても信じられないというのが本音だった。
「私に力があるなんて、そんなことあり得ません」
反対の言葉をあげるユティアを、ヘルメスは静かに見つめた。
「信じられないかもしれないが、精霊であるリリィが見えるなんて、普通の人間ではありえない。君には強い魔力があると考えていい。ともすれば、私よりも強い力があるかもしれない」
力強い言葉に、ユティアは一層困惑する。ユティアよりも、ユティアの力を信じているような、そんな気さえした。やはり、ヘルメスと以前に会ったことがあるのだろうか。先ほどの問いには答えてもらえないまま、ユティアは疑問を深めた。
「そうだ。先ほど薬を作ってほしいと言っていたな」
「はい」
母の薬の話に変わり、ユティアは思わず姿勢を正す。もし断られたら――そう考えると胸が痛くなるほどに緊張してくる。
「薬を作るのは構わない。だが、一つだけ条件がある」
ヘルメスの答えに、思わず「え?」と声が漏れる。まさか、二つ返事で承諾を得られると思っていなかった。
「ここのところ、貴族連中やら王族連中の依頼が殺到していてな。正直手が足りん。もし手伝ってくれるのであれば、助かるのだが」
ヘルメスは淡々と言った。ユティアの緊張を裏切るように、まるで明日の天気でも言うような、軽い誘いだった。
「私にお手伝いなんてできるんでしょうか」
茫然とユティアが問うと、彼はうなずく。
「君の力を貸してほしい。精霊が見える君の力があれば、きっと研究も進む。――なに、そこまで難しいことはしない。雑用係とでも思ってくれればうれしい」
「それだけで良いんですか? お金は?」
「そんなもの持ってて何になる。今私が欲しいのは人手だ」
そこまで言われてしまえば、ユティアに断るという選択肢はなかった。
「分かりました」
ユティアが言うと、ヘルメスは満足そうにうなずいた。
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