第6話 村への帰還
「まずは母君の薬を作らなければな」
ヘルメスはそう言って、母の体調に関しての質問をユティアに繰り返した。いつから症状があるのか、その症状はどのようなものか、どれぐらい続いているのか――。
その1つ1つに答えるたび、ヘルメスはふむふむと相槌を打っては、手元にある紙に何かを書き込んでいく。
質問のすべてに答えると、彼は「今から作る」と言い残して、ユティアをおいたまま、先ほどと同じ奥の部屋に消えてしまった。
手伝ったほうがいいものか、と逡巡しているうちに、ヘルメスが瓶を持って来た。瓶の中にはきれいな琥珀色の液体が入っている。
「母君に持っていってやるといい。一日匙一杯、中身がなくなるまで飲めば体調も良くなるはずだ」
「ありがとうございます……!」
ユティアは瓶を大事に握りしめる。――これで、母が救える。そう思うと、胸がいっぱいになった。
「今日は早く帰ったほうがいい」
「まだ、何もお手伝いしてません」
ユティアが言うと、ヘルメスは静かに首を横に振った。
「また次来たときに頼む。今は母君に薬を飲ませるのが先だ。薬が切れたタイミングでまた来てくれればいい」
そうだろう、とヘルメスの優しく諭す声に、ユティアは思わずうなずいた。そろそろ日が傾きはじめるころだ。早めに帰らなければ、日が暮れてしまうかもしれない。
「外まで送っていこう」
ヘルメスは言って、ユティアを外へうながす。玄関まで来たところで、ヘルメスは「忘れ物をした」と言って部屋に引き返した。何か忘れ物をしただろうか、と焦ったが、ヘルメスは見たことのない本をユティアに手渡す。
「初級魔術の本だ。これを貸そう」
「え――?」
手渡された分厚い本の重みに、ユティアは思わず聞き返す。
「君には自分で思うより力があるはずだ。少し読んでみればいい。もしかしたら、自分の新たな一面に気づけるかもしれない。君は本が好きだろう?」
「なんで、知っているんですか?」
たずねると、ヘルメスは不思議そうに言った。
「最初にこの部屋に入ったときに、物欲しげに見ていたじゃないか」
たしかに、本は見ていたが、そこまでぶしつけに見ていただろうか。ほほに熱が集まるのを自覚する。
「返すのはいつでもいい。この本はもう私には不要だ」
ぶっきらぼうに、ヘルメスは言う。お茶を淹れてくれた時もそうだった。ヘルメスは、人に親切にすることに慣れていないのかもしれない。そう思うと、なんだか目の前のヘルメスがとてもかわいらしく見えて、ユティアは口元を緩めた。
「なんだ」
ユティアが笑ったのを目ざとく気づいたのか、ヘルメスが少し不機嫌そうな声で言った。
「なんでもないです。お母さんにお薬を飲ませたら、また来ますね」
「ああ。――そうだ。先ほど、これまでに会ったことがあるかと聞いていたな」
ヘルメスの瞳が、すこし悲しげな色を帯びた。
「少なくとも、"私と君"は今日会うのがはじめてだ」
「……?」
不自然な言い方に疑問を覚えてヘルメスを見つめ返す。ヘルメスも、どこか遠い目をして、ユティアを見つめた。ユティアを通じて、違う人物を見ているような、そんな不思議な感覚がする。悲しげにユティアを見つめるヘルメスの瞳がどこか懐かしい気持ちがして、ユティアは胸の中がざわつくのを感じた。
「さあ、早く帰らなければ、日が暮れてしまうぞ」
均衡した雰囲気を断ち切るように、ヘルメスが言った。これ以上ここにいても、きっとヘルメスは何も語ろうとしないだろう。ユティアはそう感じて、素直に引き下がることにした。またヘルメスと会う機会はあるのだから、徐々にヘルメスのことを知っていけばいい。
「そうですね。お暇します。本当にありがとうございました」
ユティアはお辞儀をして、ヘルメスの家を出る。思ったとおり、すでに日の光は夕暮れに近づいてきている。今の季節が一番日は長いとはいえ、少し長居してしまったかもしれない。今日中に帰らなければ、そう思いながらユティアは門を開ける。その途端、強い風が吹いてきて、ユティアはぎゅっと目をつぶった。びゅうびゅうと音を立てる風が通りすぎ、ユティアはゆっくりと目を開く。
すると、目の前には自分の村が見えていた。
「さっきまでネローネの森にいたのに……」
ユティアは茫然とつぶやく。後ろを振り向くも、そこにはネローネの森も、ヘルメスの家もない。ユティアは何度も後ろの光景と目の前の村の光景を見比べる。当たり前といえば当たり前だが、特に変なところもない、見慣れた光景だった。
これはヘルメスの魔術、とでも言えばいいのだろうか。信じられない気持ちだが、腕の中には先ほどヘルメスに手渡された本と、薬の入った瓶がすっぽりとおさまっている。瓶の中には、先ほどヘルメスが作ってくれた、琥珀色の液体が揺れていた。
早く母に届けなければ――。
きっと、ヘルメスが魔術でユティアを送ってくれたのだと、ユティアは思うことにした。「賢者さま」と言われるヘルメスだから、それぐらいは朝飯前なのかもしれない。ぶっきらぼうに、外まで送っていくといったヘルメスの顔が思い浮かぶようだった。
ユティアは村に向かって歩みはじめる。きっと、母もマーナも喜んでくれる。そう思うと、自然と足取りは軽かった。
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