第7話 アレスの想い

 母とマーナが待つ家に帰ると、マーナがユティアを迎えてくれた。

「ユティア、どうだった?」

 ユティアは手に持った瓶をマーナに見せる。そして、未だに寝込んでいる母に薬を飲ませた。琥珀色の液体を母に飲ませると、幾分か荒い呼吸が収まったような気がする。傷を治してくれたヘルメスの力を見ているからこそ、ユティアには母が絶対に治ると確信があった。

「これでもう大丈夫」

 ユティアの言葉に、マーナはほっとしたように息を吐いた。

「よかった……。ユティア、ありがとうね」

「マーナおばさんこそ、ありがとう。これ、返すわ」

 ユティアはマーナからもらった袋を手渡した。中にはお金が入っている。

「これ……!? 使わなかったの?」

 驚きの声をあげたマーナに、ユティアは事の顛末を話す。ユティアが精霊を見ることができたことは伏せた。自分自身でさえ信じられないのだ。マーナに話してもきっと信じてもらえないだろう。

 賢者さま――ヘルメスの手伝いをすることになったことを告げると、マーナは少し複雑そうな表情をした。

「それって危険じゃないの?」

「大丈夫よ。雑用ぐらいって聞いているし、私も手伝えてうれしいの」

 ユティアの返答を聞いたマーナはまだ合点の行かない顔をしたまま言った。

「それならいいんだけど……」

「マーナおばさん。私はきっと大丈夫よ。お母さんもきっとよくなるから、何も心配することはないわ」

 ユティアが諭すと、マーナは小さくうなずいた。もしかしたら、ユティアがどこか遠くに行ってしまうと思っているのかもしれない。マーナの息子は、この村を出ていってしまった。――マーナをこの村に残したまま。マーナの息子はたまにこの村に帰ってきているとはいえ、マーナはやはり寂しいのかもしれない。

 ユティアがもしこの村を出たとしたら、母はマーナのような気持ちを味わうのかもしれない。ユティアは胸の中にもやもやしたものを感じながら、眠る母の顔をみやった。ふと、アレスの言葉が浮かんでくる。


 ――僕と一緒に、この村を出ない?

 

 ユティアは考えを振り払うように、首を思わず横に振った。考えても仕方ないことだ。ユティアにこの村から離れる勇気などない。この窮屈な村の中に、病弱な母を1人置いていくことはできなければ、母とともに外の世界へ行くことも、ユティアには選択できなかった。母に無理をさせたくはない。ユティアは母の顔をみてやはりそう思う。


 その後しばらくして、母の額に手をやると、母の熱はだいぶ下がったようだった。それを見届けて、マーナは自分の家へ帰っていく。ユティアもほっとして、久しぶりにぐっすり眠ることができた。


 次の日に目を覚ますと、すっかり元気になった母が朝食を作ってくれていた。

「お母さん、もう大丈夫なの?」

 ユティアがたずねると、母はいつもより血色のよい顔でほほ笑んだ。

「すっかり元気になったわ。ユティア、ありがとうね。おぼろげだけど、聞こえていたわ。あなたが薬をもらってきてくれたんでしょう? 心配かけてごめんね」

「お母さんが元気なら、それでいいの」

 ユティアは首を横に振った。母とともに久しぶりの食卓を囲む。その中で、ユティアはマーナにも話したように、ヘルメスのもとでお手伝いをすることになったことを伝えた。すると、母の顔が曇った。

「もしかして、あなた魔力があるの……?」

 おそるおそる、といった様子でユティアにたずねる。言葉に詰まったユティアをみて、肯定ととらえたらしい。

「お父さんの力を継いだのね」

「お父さんは、魔力があったの?」

「お母さんには魔力はないわ。きっとお父さんの力よ。ユティア――それを誰にも言ってないわよね?」

 ユティアがうなずくと、母はほっとした様子で息を吐いた。

「ユティア。あなたに魔力があることは誰にも言ってはだめよ。分かった?」

 有無を言わせぬ響きに、ユティアはうなずくことしかできなかった。ユティアは小さい頃から父の話をほとんど聞かずに育った。父がどこの出身なのか、父と母がどう出会ったのか、ユティアは知らない。父の顔さえも、ほとんど覚えていない。父に魔力があったことも、もちろん知らなかった。

 ヘルメスは、ユティアは滅多にない魔力の持ち主だと言ってくれた。あの力強い言葉が嘘だとは思わない。もしユティアの魔力が父譲りだというのであれば、父は一体どんな人だったのだろうと、ユティアの心に疑問が湧き上がる。


「お母さんの薬を作るための約束だから、賢者さまのところへは行ってもいいわ。でも、村の人たちに見られないようにしなさい。もし村の外に頻繁に行っていることが分かったら、何を言われるか分からないから」

「わかった」

 ユティアは素直にうなずいた。この狭い村の中で、何か起こしてしまったら、どうなるかは目に見えている。今でも村長に嫌われているのだから、これ以上となったら面倒なことになることは分かっていた。頼もしかったという父は、ずっと昔に死んでしまった。ユティアたち親子を守る人は、この村にはいないのだ。


 朝食を食べ終わったユティアは、ヘルメスからもらった本を持っていつもの場所に向かった。普段のように大木に背をあずけて本を読もうとするも、アレスのことを考えると集中することができない。

 アレスへの答えは、もうとうの昔に決まっていた。それも悩みの種ではあったが、それよりもアレスからユティアへの想いにどう向き合えばいいのか分からなかった。これまでただの幼馴染だと思っていたのだ。男女という関係を超えた、友情だと思っていた。それはユティアだけだったのかもしれない。熱のこもった目でユティアを見つめていたアレスの様子を、ユティアははっきりと覚えていた。


 その時、声が響いた。

「ユティア! お母さんの具合はもういいの?」

 アレスの声だった。ユティアはそちらに目を向ける。

 まだ日が高いうちは来ないだろうと思ったにも関わらず、アレスはユティアに手を振りながら近づいてくる。すこし、息苦しささえ感じてしまう自分がいた。

「……ありがとう、アレス。もうお母さんは大丈夫よ。今日はずいぶん早いのね」

「それは良かった。まだ畑仕事が終わってないんだけどね。ユティアのことが気になってきちゃった」

 そう言ってアレスははにかんだような笑みを浮かべる。普段と何も変わらない、朗らかな笑みだった。いつものようにアレスはユティアの隣に腰を下ろした。そして、たわいもない雑談に花を咲かせる。

 アレスは、この間の話をなかったことにするつもりだろうか。

 ユティアがそう思っていると、アレスはそれを察したのか、姿勢を正してユティアを見た。

「アレス、あの――」

「ユティア。無理に答えを出さなくていいよ。きっとまだ考えているだろうなって思ってたし」

 それに、とアレスは続ける。寂しそうな顔だった。

「ユティアは僕の気持ちに、ちっとも気づいてなかったんでしょう?」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。――君のことをずっと見ていたから、ユティアが僕のことを想ってないことなんて分かりきってた」

 アレスは、なんでもないようにほほ笑んだ。

「さて、今日はまだやることが残っているから僕は行こうかな。またね」

 そう言って立ち上がったアレスを、ユティアは追うことができなかった。ただ手を振りながら去っていくアレスに、ユティアはただ手を振り返した。

 この胸の痛みはなんだろう。そう思いながら。

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