第3話 シルフとの出会い
ユティアはマーナに教えてもらった、「賢者さま」の住むというネローネの森へ向かって歩いていた。はじめて外に出るユティアにとって、見える世界はいつもより鮮やかに見えた。
自分がこれから「賢者さま」に会って、母のために薬をもらうのだ。託されたものの大きさに、自然と背筋が伸びるような気がした。
村から町につながる道をまっすぐに進み、そして大木のある分かれ道に差し掛かる。ここをまっすぐに行くと町へ、ここを右に曲がるとユティアの目的地であるネローネの森に着く。
別れ道からみえる森は、うっそうと茂った木々で少し暗く見えた。「賢者さま」の家は、森を歩いていれば見つかるだろうというあいまいな回答をマーナからもらっている。なんでも、看板も立て札もなにもない道を歩いていると、いつの間にか家が目の前に現れるのだそうだ。一抹の不安を覚えるが、これまで「賢者さま」に会った人は皆そうだったと言われれば、それを信じるしかない。
ユティアは意を決して、右の道を進む。最初は石ころだらけの土の道だったのが、進むごとに土が見えなくなっていき、そして最終的に木の根っこだらけの道に変わった。
こんなところに本当に人が住んでいるのだろうかと疑問に思ってしまうぐらいには、歩きにくい道だった。道を進むごとに、森は暗さを増していく。すこし肌寒いような気もして、ユティアは思わず肩をさすった。
その時、どこからか幼い少女の笑い声が聞こえ、ユティアは歩みを止める。そのまま耳を澄ませるも、聞こえてくるのは森のざわめく音だけだった。自分の聞き間違えだったのかと、ユティアは思うことにして、ふたたび歩き出す。
すると、もう一度、今度ははっきりとユティアの耳に笑い声が聞こえた。辺りを見回すも、見える範囲には誰もいない。
「誰かいるの……?」
ユティアはおそるおそる、森に向かって声をかけた。こんな森に子どもがいるなんて、ユティアには考えられなかった。それでも、あまりにはっきりした笑い声を、気のせいと済ましてしまうのは気が引けた。ユティアの問いかけに対して、森は何も答えない。
「気のせい?」
ユティアはぽつんとつぶやく。
「あなた、ワタシの声がきこえるの~?」
その時、ユティアの耳元で高い声が響いた。びっくりして後ろを振り向くと、そこにはふわふわと宙に浮かぶ小さな少女がいた。
金髪に、尖った耳をした少女は、若草色のワンピースを身にまとっている。幼い子どもというよりは、ユティアと同い年ぐらいの少女にも似た見た目をしている。しかし、その身長はユティアの手のひらぐらいの大きさだった。背中には透明な羽がついている。ユティアは驚きのあまり何も声を発することできなかった。
「あれ、もしかしてワタシの姿が見えてるの~?」
ころころと鈴の転がるような声で、少女は笑った。
「ワタシが見えるなんて、ふしぎぃ」
そしてひゅんひゅんとユティアの周りを少女は羽ばたく。少女が羽ばたくたびに、花のような香りがした。ふしぎ、ふしぎ、と少女は楽しそうに笑いながらユティアの周りをぱたぱたと飛び回った。
楽しそうな少女の様子を見ている限り、どうやらユティアに悪いことをする様子はないようだ。少しだけ、ユティアは肩の力が抜ける。
「あなたは誰なの?」
ユティアは少女に向かっておそるおそる尋ねた。
「ワタシはシルフ。ワタシはリリィ」
少女は歌うように答える。
「し、シルフ? リリィ?」
「リリィがワタシの名前」
リリィ、とユティアは反芻する。そういえば、シルフという名前を昔なにかの書物で見たような気がした。たしか、シルフは風の精霊の名前だったはずだ。
精霊はこの世界を構成している4大元素をつかさどる存在だ。精霊たちは無数にいて、人間が使った元素を循環させていると聞く。普通の人間の目には映らず、魔力が高い人間であれば見える人もいるらしい。高名な魔術師だったとしても、精霊が見える人はほんの一握りのはずだ。それが目に見えるなんて――。ユティアは信じられない気持ちでリリィを眺める。
すると、リリィもユティアをじっと見つめ返した。
「あなたからヘルメスの香りがするの。それに、あともう1人、懐かしい気配があなたからする。ワタシとあなた、もう会ったことあったかしら?」
「ヘルメス……?」
ユティアは聞きなれない名前を聞き返す。リリィは首をかしげた。
「あれ、ワタシの勘違いかしら? 懐かしい香りがするんだけどなぁ。あなたはここに来るのははじめて?」
問われるままに、ユティアはこくんとうなずいた。
「賢者さまに会いにこの森に来たの。リリィは賢者さまがどこに住んでいるか知ってる?」
「賢者さま……ヘルメスのこと? ヘルメスはすごい錬金術師!」
リリィはにっこりと笑って、また羽ばたいた。
「ヘルメスに会いにきたのなら、こっち。ワタシが案内してあげる!」
そして、ユティアを手招きしながらまた羽ばたいた。
「ヘルメスはワタシと遊んでくれるのよ。ワタシはヘルメスがだいすき!」
どうやら、賢者さまは「ヘルメス」という名前らしい。錬金術師と、リリィは言っていた。錬金術師と聞くと、何やら怪しげな釜をかき混ぜている印象がある。魔術にあまり詳しくないユティアの頭の中では、錬金術師と魔術師はほとんど同じように思えた。
よく分からないが、リリィの様子を見る限り、そこまで怖い人というわけではなさそうだ。高名な方だということだけを聞いているから、てっきり気難しい老人のような気がしていた。まずはそこにほっと胸をなでおろす。
リリィはユティアを先導してぱたぱたと羽ばたく。蝶のような羽が動くたびに、きらきらとしたものが流れ星のように落ちる。精霊は元素を循環させるというが、このきらきらしたものが元素なのかもしれない。シルフは風の精霊だから、この落ちているのは4大元素の中でも風の元素だろうか、とユティアはふと思った。
これまでの16年間の人生で、ユティアは精霊を見たことがなかった。精霊の存在も、今の今まで忘れていたのだ。まるで夢のような状況に、くらくらしそうだった。
「……あなたはなんていう名前なの?」
ふと、リリィが振り返ってユティアに尋ねた。
「私はユティアよ」
「ユティアね。ワタシの姿を見ることができる女の子なんて、とっても久しぶり。一緒に遊ぶお友だちができてワタシ今すごく嬉しいの! よろしくね!」
リリィはそう言ってくるりと宙で一回転した。同年代——と言っていいかは分からないが、こうして歳の近い女の子と仲良くなるのは初めてだった。自分が友達でいいのか、とユティアの胸に不安が生まれるも、リリィは上機嫌で鼻歌を歌っている。リリィは本当に喜んでくれているようだった。
「もう少しで着くの!」
リリィはそう言って笑った。すると、リリィの指さした先から光が見えてくるのがわかる。そこで森が途切れているようだった。ユティアはまぶしさに思わず目を細めた。
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