第23話 決意

 ヘルメスとともに村に行くことがあるなんて、ユティアは信じられない気持ちで、横を歩くヘルメスを見上げた。内心緊張しているユティアと違って、ヘルメスは何でもないような顔をしている。

 ヘルメスにとって、ユティアの村に行くことなど、この間町へ行ったのとそれほど変わらないのだろう。ユティアの村がどんな村か、なんてきっと知らないに違いない。

 家から数歩出たきり、ユティアの足は動かなくなってしまった。

――怖い、と思った。

「ヘルメス、あの、言っておかなきゃいけないことがあります」

 勇気を振り絞って言った声は、震えていた。

「私の住む村は、よそ者にとても厳しいです。私の父は村の出身じゃありませんでした。だから、私も小さい頃からいじめられていました」

「……よそ者である私が行くことで、ユティアにつらい思いをさせてしまうということだろうか?」

 困ったように眉を下げて、ヘルメスは言った。

「そう……かもしれません」

「では、私は行かないほうがいいだろう。その他の方法でユティアを助けられることは――」

「あの、それでもヘルメスに来てほしいんです」

 ヘルメスの言葉を遮って、ユティアは言った。

「それでは、ユティアがつらい思いをしてしまうのだろう?」

 諭すように言ったヘルメスの言葉に、ユティアはぶんぶんと顔を横に振った。

「つらい思いをするかもしれないけど、それでもいいんです」

 ユティアは口を切った。


 外の世界は、綺麗だと改めて思う。ヘルメスとともに行ったあの丘のことを、ユティアは忘れることはないだろう。

「私は、自分の村が怖くてしかたなかった。波風立てないように、静かに過ごしたいって、そう思っていました。でも、そんな自分を変えたいんです。ヘルメスが悪い人ではないってことを、私が村長に伝えます。そうすれば、きっと村の人たちも許可してくれるはずです」

 啖呵を切った癖に、ユティアの声はまだ震えていた。無意識に、先日村長の家の扉で挟んだ手をさすっていた。ヘルメスがそのしぐさを見つめる。

「私の家に最初に来たとき、君は手を怪我していた。それも、君の境遇のせいなのか?」

 ユティアはうつむいた。

「君はずっとそういう世界にいたのだろう。怖いと思うのは当然だ」

 そっと、ヘルメスはユティアの手をとった。最初に出会った時と同じだ。

――あたたかい。

 ヘルメスの手のひらのあたたかさが、ユティアの手のひらにも伝わってくる。

「ユティア、私は嬉しかった。君が、私の弟子になると言ってくれた時」

 はっと、ユティアはヘルメスの顔をみあげる。ヘルメスの顔は、泣きそうに歪んでいた。こんなヘルメスの表情は見たことがない。ユティアは自分の胸がどきんと跳ねるのを感じた。

「師匠が亡くなってから、私は1人だった。皆私の薬や私の治療を喜んでくれるとはいえ、それに賛同してくれる人は誰もいなかった。だから、ユティアが弟子になりたいと言ってくれた時、やっと仲間を見つけられた気がした」

 ヘルメスの瞳をみつめる。頭上に広がる青空よりももっと深い青の瞳は、ユティアだけを映していた。

「大切な仲間ができたと、そう思った」

「……ヘルメス」

「私は君の事情をよく知らない。だから、君がそんな辛い境遇にいたということにも気づくことができなかった」

「そんな、あまり気持ちよくない話ですし、私が勝手に話していなかっただけで。こんな話、聞いても楽しくないですし」

「それでも、今こうして話してくれたじゃないか」

 だから、私は君の力になりたい、とヘルメスは力強く言った。

「……でも正直、私にはあまり常識というものがないのかもしれない」

 ヘルメスは少し気まずそうに言う。

「師匠にもよく怒られていた。だから、君が村長に話してくれている間、なにか検討違いのことを言ってしまうかもしれない。それでもよければ、私は君の仲間として、君とともにいよう」

「ヘルメス、本当にいいんですか?」

「ああ」

 ヘルメスは力強くうなずいた。涙腺が思わず緩んで、ユティアは目じりを拭った。

「ありがとうございます」

 ユティアの涙に、ヘルメスはびっくりしたように目を瞬いた。

「すまない、何かしてしまっただろうか。痛かったか!?」

 そう言ってぱっと手を離した。温もりが消えてしまったことに、少しさびしささえ覚える。慌てているヘルメスの姿がおかしくて、ユティアは思わず噴き出した。

「な、なにがおかしい?」

「ヘルメスがものすごく慌てているから」

「女性を泣かせてしまったとなれば、誰だって慌てるだろう。……もし師匠に見られたら、今すぐ肘を入れられるところだ」

 ふふ、とユティアは笑い声をあげた。たしかに、あの過去の記憶で見た師匠は厳しそうに見えた。きっとかくしゃくとした老女になったのだろうとユティアは思わず想像する。

 いつの間にか、涙は嬉し涙から笑いの涙に変わっていた。

「そんなに笑うことはないだろう。……でも、ユティアが少しでも元気になったならよかった」 

 ヘルメスはほほえんだ。ユティアもそれに微笑み返す。

 まだ恐怖はある。それでも、今のユティアには、ヘルメスがついている。きっと、大丈夫だ。

 ユティアとヘルメスは2人揃ってユティアの村へ向かって歩き出した。

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