第15話 弟子入り

「お母さん……!」

 マルロの声が響いた。ユティアが目を瞬かせると、マルロが母の胸の中に飛び込んだのが見えた。どうやらマルロの母は目を覚ましたようだ。

 彼女の周りには、先ほどまであったはずの深い闇の跡形もない。

「マルロ……」

 彼女が小さな声でマルロの声を呼ぶ。しわがれた声ではあったが、マルロはその声に嬉しそうに答えた。彼女はマルロをいとおしそうに抱いている。その顔は、まるで憑き物が落ちたような、晴れやかな表情をしていた。


 ふと、彼女がユティアの視線に気づく。

「あの……ありがとうね」

 小さく、どこか気恥ずかしそうに、彼女は言った。その瞬間、ユティアの胸に歓喜の感情がなだれ込むのを感じる。


――ユティアの言葉は、きちんと聞こえていたのだ。


「あなたが賢者さまですよね。本当に、ありがとうございました」

 そして、彼女は礼儀正しくヘルメスに向き合って言った。ヘルメスもそれに答えて大きくうなずいた。


 マルロが家の外まで送ってくれる。ユティアは嬉しそうな顔をしているマルロの頭を撫でた。

「お母さんがよくなって良かったわね」

「うん。ありがとう、おねえちゃん。賢者さま!」

 喜びが抑えられない、といった声でマルロは答えた。

「お母さんの具合をちゃんと見るのよ」

「もちろんだよ! 僕がお母さんを守るんだ」

 ヘルメスはマルロの目線にかがんで、マルロの瞳を見据えた。

「マルロ。もしつらいことがあれば、私を頼りなさい。ネローネの森に行けばきっと私の元に辿りつく」

 諭すような口調に、マルロはきょとんとした表情をした。ヘルメスの表情はどこか暗い。

「君は強い子だ。きっと、お母さんを守れるよ」

「? ありがとう、賢者さま」

 ヘルメスはそう言って立ち上がった。ユティアもそれに合わせて立ち上がる。ユティアたちはそうしてマルロに別れを告げて、ネローネの森へ帰ることにした。

 マルロは、ユティアたちが見えなくなるまで、手を振り続けていた。



 ヘルメスの家に帰ってから、ユティアはヘルメスに今日のことを尋ねることにした。そもそも口数の少ないヘルメスではあるが、マルロの家での出来事以降さらに口数が減った気がする。

「ヘルメス。どうして最後にあんなことを言ったのですか?」

 マルロに挨拶をしていた時のヘルメスの表情は、今回の件を手放しで喜ぶことができないことを示していた。ざわざわと、ユティアの心に不安が這い寄るのを感じる。

 ユティアの顔を見つめて、ヘルメスは観念したように口を開く。


「……きっとあの母親は助からない」

 ヘルメスの言葉に、ユティアは思わず絶句した。

「どうしてですか? 闇は払ったはず……ですよね」

「それも一時的なものだ。もう彼女には『魂の濁り』を自力で浄化できるほどの力がない。彼女の体の中の四大元素はもはや底が尽きていた」

「そんな……じゃあ、死を待つだけって言うんですか?」

 思わず出した声は震えていた。

「端的に言えば、そうなる」

「何とか、できないんですか」

「私にできることがあればしている」

 ヘルメスは沈痛な面持ちで言った。

「魂と体の繋がりには分からないことが多い。もし魂の謎を解明することができていれば、救えた命はたくさんあるだろう。……私はまだ、未熟だ」

「――私にもその手伝いをさせてくれませんか?」

 思わず、ユティアの口から言葉が飛び出していた。自分から出てきた言葉とは思えずに、ユティアの心臓がどくどくと大きな音を立てている。しんと静まり返った部屋の中で、ヘルメスはユティアの言葉を待つようにユティアを見つめていた。

「私、誰か一人でも救える人がいるのなら、救いたいです。そのために私の力が使えるのであれば、その手助けがしたい。お願いです、ヘルメス。私を弟子にしてくれませんか?」

 ユティアの提案に、ヘルメスは考え込むように口元に手をあてた。

「確かに君の持つ魔力は稀にみるものだ。訓練を積むことで才能は開花していくと思う。それでも、人にない力を持つということは、その分だけ責任も増える。知らなければよかったと思うことも増える。――いいことばかりではない」

「それは……」

 自分にその覚悟があるのだろうか、とユティアは自問自答した。ユティアはこれまで村の中でしか生きてこなかった。閉鎖された村で、ただ静かに暮らすだけでよかった。それで良いと思っていた。それが、自分の幸せだと思っていたのだ。

 それでも、ユティアは気づいてしまった。

 自分の力で、誰かを救いたい。そのために、自分のできることがしたい、という気持ちに。今のまま、何もしないまま傍観しているのは嫌だった。

「私は自分の意志で何かを考えたことがなかった。……それで良いと思っていたんです。どうせ、この村から出ることもないって諦めていました。でも、私にできることがあるなら、やりたい。このまま、何もしないまま終わるのはいやだ」

 言い切ったユティアの顔を、ヘルメスは静かに見つめていた。

「……以前の私自身を見ているようだな」

 ふっと、ヘルメスは表情を緩めた。

「私も、ユティアと同じことを思った。自分の力が、誰かのためになるのだろうか、と毎日悩んでいた。――それで、師匠に弟子入りしたんだ。誰かを救うために」

 ヘルメスは口を閉ざす。そして、ユティアの目をまっすぐにみた。

「ユティアがそこまで言うのなら、弟子入りを認める。私に教えられることはすべて教えよう」

「ありがとうございます……!」


 こうして、ユティアはヘルメスの弟子となったのだった。

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