第15話 弟子入り
「お母さん……!」
マルロの声が響いた。ユティアが目を瞬かせると、マルロが母の胸の中に飛び込んだのが見えた。どうやらマルロの母は目を覚ましたようだ。
彼女の周りには、先ほどまであったはずの深い闇の跡形もない。
「マルロ……」
彼女が小さな声でマルロの声を呼ぶ。しわがれた声ではあったが、マルロはその声に嬉しそうに答えた。彼女はマルロをいとおしそうに抱いている。その顔は、まるで憑き物が落ちたような、晴れやかな表情をしていた。
ふと、彼女がユティアの視線に気づく。
「あの……ありがとうね」
小さく、どこか気恥ずかしそうに、彼女は言った。その瞬間、ユティアの胸に歓喜の感情がなだれ込むのを感じる。
――ユティアの言葉は、きちんと聞こえていたのだ。
「あなたが賢者さまですよね。本当に、ありがとうございました」
そして、彼女は礼儀正しくヘルメスに向き合って言った。ヘルメスもそれに答えて大きくうなずいた。
マルロが家の外まで送ってくれる。ユティアは嬉しそうな顔をしているマルロの頭を撫でた。
「お母さんがよくなって良かったわね」
「うん。ありがとう、おねえちゃん。賢者さま!」
喜びが抑えられない、といった声でマルロは答えた。
「お母さんの具合をちゃんと見るのよ」
「もちろんだよ! 僕がお母さんを守るんだ」
ヘルメスはマルロの目線にかがんで、マルロの瞳を見据えた。
「マルロ。もしつらいことがあれば、私を頼りなさい。ネローネの森に行けばきっと私の元に辿りつく」
諭すような口調に、マルロはきょとんとした表情をした。ヘルメスの表情はどこか暗い。
「君は強い子だ。きっと、お母さんを守れるよ」
「? ありがとう、賢者さま」
ヘルメスはそう言って立ち上がった。ユティアもそれに合わせて立ち上がる。ユティアたちはそうしてマルロに別れを告げて、ネローネの森へ帰ることにした。
マルロは、ユティアたちが見えなくなるまで、手を振り続けていた。
*
ヘルメスの家に帰ってから、ユティアはヘルメスに今日のことを尋ねることにした。そもそも口数の少ないヘルメスではあるが、マルロの家での出来事以降さらに口数が減った気がする。
「ヘルメス。どうして最後にあんなことを言ったのですか?」
マルロに挨拶をしていた時のヘルメスの表情は、今回の件を手放しで喜ぶことができないことを示していた。ざわざわと、ユティアの心に不安が這い寄るのを感じる。
ユティアの顔を見つめて、ヘルメスは観念したように口を開く。
「……きっとあの母親は助からない」
ヘルメスの言葉に、ユティアは思わず絶句した。
「どうしてですか? 闇は払ったはず……ですよね」
「それも一時的なものだ。もう彼女には『魂の濁り』を自力で浄化できるほどの力がない。彼女の体の中の四大元素はもはや底が尽きていた」
「そんな……じゃあ、死を待つだけって言うんですか?」
思わず出した声は震えていた。
「端的に言えば、そうなる」
「何とか、できないんですか」
「私にできることがあればしている」
ヘルメスは沈痛な面持ちで言った。
「魂と体の繋がりには分からないことが多い。もし魂の謎を解明することができていれば、救えた命はたくさんあるだろう。……私はまだ、未熟だ」
「――私にもその手伝いをさせてくれませんか?」
思わず、ユティアの口から言葉が飛び出していた。自分から出てきた言葉とは思えずに、ユティアの心臓がどくどくと大きな音を立てている。しんと静まり返った部屋の中で、ヘルメスはユティアの言葉を待つようにユティアを見つめていた。
「私、誰か一人でも救える人がいるのなら、救いたいです。そのために私の力が使えるのであれば、その手助けがしたい。お願いです、ヘルメス。私を弟子にしてくれませんか?」
ユティアの提案に、ヘルメスは考え込むように口元に手をあてた。
「確かに君の持つ魔力は稀にみるものだ。訓練を積むことで才能は開花していくと思う。それでも、人にない力を持つということは、その分だけ責任も増える。知らなければよかったと思うことも増える。――いいことばかりではない」
「それは……」
自分にその覚悟があるのだろうか、とユティアは自問自答した。ユティアはこれまで村の中でしか生きてこなかった。閉鎖された村で、ただ静かに暮らすだけでよかった。それで良いと思っていた。それが、自分の幸せだと思っていたのだ。
それでも、ユティアは気づいてしまった。
自分の力で、誰かを救いたい。そのために、自分のできることがしたい、という気持ちに。今のまま、何もしないまま傍観しているのは嫌だった。
「私は自分の意志で何かを考えたことがなかった。……それで良いと思っていたんです。どうせ、この村から出ることもないって諦めていました。でも、私にできることがあるなら、やりたい。このまま、何もしないまま終わるのはいやだ」
言い切ったユティアの顔を、ヘルメスは静かに見つめていた。
「……以前の私自身を見ているようだな」
ふっと、ヘルメスは表情を緩めた。
「私も、ユティアと同じことを思った。自分の力が、誰かのためになるのだろうか、と毎日悩んでいた。――それで、師匠に弟子入りしたんだ。誰かを救うために」
ヘルメスは口を閉ざす。そして、ユティアの目をまっすぐにみた。
「ユティアがそこまで言うのなら、弟子入りを認める。私に教えられることはすべて教えよう」
「ありがとうございます……!」
こうして、ユティアはヘルメスの弟子となったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます