第32話 首飾り
ユティアは、眠ったまま動かない。ユティアの表情は、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな顔をしていた。ヘルメスはそっと眠るユティアの手をとる。
――あたたかい。まだ、生きている。
それだけが、ヘルメスにとっての救いだった。
「ヘルメスさん。ユティアは私が見てますから、少し眠ったほうがいいですよ」
ユティアの母親であるシャリーが言った。倒れたユティアを抱えてやってきたのがここだった。シャリーの手にはマグカップが握られていた。
「これ、どうぞ飲んでください」
シャリーから手渡されたマグカップを受け取る。あたたかさがヘルメスの手のひらにひろがった。マグカップの中に入っているのはホットミルクだった。
「……ありがとうございます」
いつぶりに飲むだろう。ヘルメスはお礼を言って、マグカップに口をつける。
ホットミルクの素朴な味が口の中に広がる。落ち着く味だ。病弱だった幼い頃、不安で眠れない夜には、母がこうしてホットミルクを持ってきてくれた。それを思い出す。
シャリーは、ヘルメスから少し離れた椅子に腰をかけた。ユティアと同じ紫の瞳は、心配そうにユティアの寝顔に注がれている。しばしの沈黙が2人の間におりる。
「ユティアに、異常はないっておっしゃってましたよね」
シャリーがそっと口を開いた。
「はい。私に見れる範囲ではありますが」
「そうですか」
言葉少なに、シャリーはうなずいた。"以前"も、こうだった。彼女が亡くなった時、シャリーはヘルメスを責めなかった。何もできなかったヘルメスを責めるでもなく、ただ彼女は泣いた。それが、ヘルメスを苛んだのだ。自分の無力さを、痛感した。だから、彼女には少なからず苦手意識がある。
「村長さまの説得ができたとか」
再び、ぽつりと彼女はつぶやく。
「……はい」
「ユティアは、いつの間にか強い子になっていたみたいですね」
小さく、シャリーは微笑んだ。
「私が病弱なばかりに、ユティアには苦労をかけています。あの子にはたくさん我慢をさせてしまいました。……もう亡くなった父が、この村でない南の方の出身なんです。だからか、あの子もいつか行ってみたいと思っているんじゃないかと思ってます。でもね、あの子は優しいから、私を1人にはできないと思っているみたいで」
「そう、ですね」
たしかに、ユティアは自分の村のことを怖がっていた。よそ者のヘルメスが村に足を踏み入れることで、ヘルメスが嫌な思いをしてしまうのではないかと。
実際ヘルメスはそんなことは気にしないのだが、ユティアのこれまで感じていた恐怖を思うと、胸が痛んだ。きっと、ユティアはこの閉じた村の中で、いろんなことを諦めながら過ごしてきたのだろう。
「ヘルメスさん、ユティアを頼みます」
思ってもない言葉に、ヘルメスは目をまたたいた。
「どういうことですか」
「ユティアの師匠、なんでしょう? ユティアが、あなたのことを楽しそうに話してますよ」
「そんな、私など何もしてないに等しいです。ユティアには、もともと才能があった」
「才能?」
「類まれな魔力がある。私など到底追いつくことができません」
「……ユティアが、そう言ったんですか?」
「?」
ヘルメスは口を閉じた。シャリーの顔が、こわばっていることに気づいたからだ。ユティアに魔力があることを、シャリーは知らないのだろうか?
しばしシャリーは黙っている。ヘルメスは身じろぎせずにシャリーを見つめた。
「いえ、あなたのような人の前で隠すなんて無駄……ですよね」
シャリーはそう言って立ちあがった。首元からネックレスを取り出す。そこにあったのは、小さな鍵だった。ヘルメスが茫然と見ていると、シャリーは床をこんこん、と叩き始めた。一か所だけ、軽い感覚のあるところを探し当て、シャリーはそこをぽんと押した。すると、がこんと音が鳴り、一か所だけ床が抜ける。
驚くヘルメスをよそに、シャリーはその抜けた床の下から、何かを取り出した。小さなジュエリーケースのようなものだ。そして、首元のネックレスの鍵を使って、ジュエリーケースを開いた。その中に入っていたペンダントの意匠を見て、ヘルメスは絶句した。
――鷲が、一本の枝をくわえている紋章。
「これは……!? 王家の紋章!?」
平和を望んだ建国王、別名風の王が考案したと言われている紋章だ。鷲は風元素を扱う王族たちを示し、枝はこの国の平和と繁栄を望むモチーフとされている。建国までにたくさんの兵を犠牲にした風の王が、後世への自戒を込めて作ったとも言われている。紛れもない、王家の紋章が彫られたペンダントだった。
「そうです。もう亡くなったユティアの父は、王家の人間なのです」
静かに、シャリーは告げた。
「……まさか」
信じられない気持ちで、ヘルメスはつぶやいた。たしかに、ユティアの魔力はとてつもないものだ。風の元素に秀でている理由も、それなら理解がつく。風の王と呼ばれているほどの風元素の使い手だった建国者、その血をユティアが継いでいるというなら、おかしくはない話だ。
しかし、なぜ王族がシャリーと結婚し、ユティアをもうけたのだろう。少なくとも、今のユティアは王家に認知されていない王族ということだろうか。
ヘルメスの困惑を感じ取ったのか、シャリーは静かにほほ笑んだ。
「混乱するのも無理はありません。……わが夫ヘンリは、たしかに王家の血を引いております。しかしながら、ヘンリの母は、王族付きの召使だった。ここまで言えばもうお分かりでしょう? ヘンリの存在は、秘匿され続けました」
シャリーの手が、王家の紋章をなぞる。
「もし現王族になにかあった際の駒として、彼は生き長らえさせられた。しかし、あなたもすでに知っている通り、現王家には3人の男の王位継承者がおります。そのため、彼はもう用なしになった。……彼は殺される前にこの紋章を持ち、逃げました。そこで、私と出会ったのです」
「それで、この村に移り住んだと?」
「そうです。この村は、他の村との交流をできるだけ断ってきました。ここであれば、身を隠せると思っていたのです」
「……ユティアは、そのことを知っているのですか?」
シャリーは静かに首を横に振った。
「知りません。まだ知らなくてよい、とヘンリは考えていました。ユティアが成人したら伝えようと思っていた矢先、彼が亡くなったのです。それから、私はずっと隠してきました」
その時、ううん、とユティアが唸り声をあげた。ヘルメスとシャリーは、ユティアの周りを囲む。先ほどまで、静かに眠っていたはずだ。
「ユティアっ」
ユティアは何かにうなされているかのように、唸り声をあげている。
「どうした。どこか痛むのか?」
ユティアは目を覚まさないまま、暴れだす。それでも、ヘルメスはぎゅっと、ユティアの手のひらを握る。
「大丈夫だ。悪い夢だ。悪い夢だ」
ヘルメスは同時に自分に言い聞かせるように、ユティアに声をかけ続けた。
「お父さんっ!!」
いきなりユティアが絶叫して、そしてぱちりと瞳が開いた。
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