第33話 居場所

 心臓がどくどくとなっている。

 ユティアは荒い息を何度も吐いた。目を開くと、ヘルメスと母が心配そうにユティアを見ているのが分かった。

「ユティア、大丈夫か?」

 低く、ヘルメスが泣きそうな顔で問う。ユティアは荒い息を整えながら、かろうじてうなずいた。

「よかった……」

 母がほっとしたように言った。先ほどまで、ユティアはあの洞窟にいたはずだ。しかし、今いるのは自分の家ではないだろうか。

「なぜ、私はここに?」

 息が整うのを待ってから、ユティアはたずねた。ヘルメスと母が顔を見合わせる。

「君が、いきなり洞窟で倒れてしまったんだ。覚えているか?」

 ユティアは首を横に振った。箱を見つけたところまでは、覚えている。でも、その後の記憶がない。

「うっ」

 その瞬間、ユティアの脳裏に記憶が浮かんだ。もう忘れかけていた父の姿、箱から黒い影が出てきて、父が倒れたこと。背筋が泡立つような、恐怖を思い出す。

「ユティア、どうした?」

 ヘルメスの腕が、ユティアの体をそっと抱いた。ヘルメスの体温と、心臓のとくとくんという鼓動がユティアの体に伝わってくる。

「ヘルメス……」

 こわばっていた体から、徐々に力が抜けている。あれは、過去の記憶だ。今、現実のユティアはここにいる。

「大丈夫だ」

 耳元で、ヘルメスがささやいた。その瞬間、ユティアはヘルメスと抱き合っているという事実に気が付く。ぼん、と顔から火が出てしまいそうだった。ユティアの心臓の音が、先ほどとは違う意味でうるさくなりはじめる。

「あ、あの、私もう大丈夫です」

 ユティアは、恥ずかしさに耐えきれずに、ヘルメスの腕から出ようとする。ヘルメスは心配そうな目をしながら、ユティアを見つめた。意識しているのはユティアだけで、きっとヘルメスは普段の治療と変わらぬ心持ちだったのだろう。少しがっかりしたような、そんな気持ちの自分がいることに、ユティア驚く。


 その時、わざとらしい咳払いの音が聞こえた。はっとしてみると、母がどこか気まずそうにユティアたちを見ている。

 自然と、ヘルメスの腕が離された。

「ユティア、もう元気なのね?」

「うん。もう大丈夫だと思う」

 母の手には、過去の記憶の中で父が持っていたペンダントがあった。

「お母さん、それ……!」

 ユティアは思わず声をあげた。

「それって、お父さんの持っていたペンダントでしょう?」

 母は愕然とした。

「あなた、お父さんのことを思い出したの?」

「思い出した」

 ユティアは力強くうなずいた。

「お父さんが死んじゃったのって、あの洞窟が原因なんでしょう」

 隣にいたヘルメスが、息を飲んだのを感じる。

「ユティア、あなたどこまで知っているの?」

「……お父さんが、あの洞窟で箱を取った。そこから黒い影が出てきて、お父さんは死んでしまった。でも私だけ、生き残った。そこまでは分かった。そのペンダントは、お父さんが私にくれると言ってた」

「あの箱の中に、黒い影が……? それが、アレスの正体なのか?」

 ヘルメスが言った。ユティアは、ヘルメスの目を見てうなずく。

「私にも詳しいことは分からない。マーナおばさんもあの様子を見ていたはずだから、マーナおばさんを呼んできてもいい?」

 シャリーは難しい顔でうなずいた。



 ユティアにいきなり呼ばれたマーナは、気まずそうに目を泳がせた。

「あたしは何で呼ばれたんだい?」

「……お父さんが亡くなった時のこと、教えてくれる? あの時一部始終を見ていたのは、マーナおばさんだよね?」

 マーナは驚いたように目をまたたかせ、そしてうなだれた。

「そう。あの時、ヘンリが亡くなった時、あたしはあそこにいた。ヘンリが死んだのも、私のせいだよ」

 マーナは力無く言った。

「マーナおばさんのせいじゃないって、あの時私たちで決めたでしょう?」

 シャリーがマーナをかばって言った。しかし、マーナは静かに首を横に振った。

「あたしが、ヘンリに言ったんだよ。あの洞窟にはお宝でも眠っているんじゃないかって。あたしはただの噂話のつもりで言ってしまった。でも、ヘンリはそうじゃなかった。ヘンリは、あそこからお宝を掘り出せば、この村の連中に認めてもらえるんじゃないかと、本気でそう思っちまったんだよ」

 あの時、ユティアは6歳になっていた。もうこの村にきて6年も経つというのに、いつまで経っても馴染むことができず、父は焦っていたのかもしれない。

「ヘンリは、ユティアを洞窟の入り口に置いて、自分だけ洞窟の中に入っていた。そこには箱しかなかった。その箱が宝だと信じて、ヘンリは開けてしまった」

 マーナはそう言って口を切り、ぶるりと体を震わせた。

「……黒い影が出てきたんだ。黒い影が、ヘンリを見て言ったんだよ。俺を封じたのはお前か?、って。魂をもらう、とも言っていたと思う。誰も何も答えられないまま、ヘンリは倒れた。あたしは、ユティアだけを守ろうとした。でも、影はあたしには目もくれずに、ユティアを見てわらったんだ。そして、次の瞬間、眩しい光が降ったと思ったら、ユティアの中に、吸い込まれるようにして影が、消えていった」

 マーナの手が、ユティアを指す。

「私のなかに……?」

 ユティアは茫然としてつぶやいた。自分の心臓に手をあてた。規則正しく、心臓は脈を打っている。マーナの話からすると、やはり箱の中に封じられていたのはアレスで合っているだろう。

「……ユティアの中に入っていったというのは、本当なんだな?」

 静かにしていたヘルメスが、マーナに問う。マーナはうなずいた。

「アレスは、ユティアの中だ」

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