第34話 失ったもの
ユティアは、アレスとのお気に入りの場所に来ていた。大木にもたれて、上をみあげる。木はすでに濃い緑の葉をつけはじめている。もう、季節は夏に向かっている。柔らかい新緑の季節は、終わりが近い。
今後ユティアの身に何が起こるか分からない。最後に、ここに来させてほしいと、ヘルメスに無理を言って連れてきたのだ。以前はアレスといた場所に、ヘルメスがいるなんて。まるで夢のような現実だった。
ユティアはいつもそうしていたように、大木の下に腰を下ろす。揺れる木々の音にしばし耳を澄ましていると、ヘルメスがユティアの隣に腰を下ろした。
2人とも、何も話さない。それでも、ユティアにはとても心地よく感じた。
「ユティア、本当にそれで良いのか?」
唐突に、ヘルメスが言った。
「いいんです」
ユティアは静かに答える。なにが、とユティアは聞かなかった。
「君の本当に大切なものを失っても、悪魔の力を使うというのだな?」
「……はい。私の中にいるアレスを生かすためには、そうするしかないのでしょう?」
ヘルメスは渋い顔をして、ユティアを見つめた。
「君のお父さんを狙ったように、アレスは今も君の魂を食らおうとしているんだぞ? それなのに、そいつに情けをかける必要なんてないじゃないか」
「そう、だと思います」
返す言葉もなく、ユティアはうなずいた。
「では、なぜ?」
柄にもなく強い口調で、ヘルメスは問う。
「アレスは、私の大切な幼馴染でした。アレスが何をしようとして封印されたのかは分かりません。でも、少なくとも、私の目の前にいたアレスは悪い人ではなかった。何か、事情があったのだと思います。彼を少しでも救えるのであれば、私はその未来を選びたい」
「……ユティア」
「ヘルメス。アレスの魂を引き剥がすのは、頼みました」
アレスは、今ユティアの魂の中に隠れている。ユティアの高い元素量により、魂の核が隠れてしまっており、これまで発見することができなかったのだ。悪しき錬金術師だというアレスは、ユティアの魂を喰らおうと潜んでいるのではないか、というのがヘルメスの見立てだった。
アレスをそこから引き剥がすのは、ヘルメスにしかできない。そこまでは問題ないのだが、ユティアには懸念があった。
ユティアの魂から引き剥がされたアレスの魂は、その後消滅してしまう。ユティアにとって、それは本望ではない。だからこそ、悪魔の力を使ってアレスを救うことを決めたのだ。
母には言ってない。ヘルメスにだけ、これを伝えている。それは、母には余計な心配をかけたくないから、というのもあった。しかし、1番はヘルメスなら、自分の気持ちを分かってくれるのではないかと思ったからだ。
「ヘルメス。あなたも悪魔の力を使ったことがあるのでしょう?」
ユティアは、ずっと聞きたかったことを問う。
「だから、こんなに心配してくれるのでしょう?」
「……」
ヘルメスは、何も答えない。以前に聞いた時と同じ悲しそうな顔をして、彼はうつむいた。
「そうだ、私は以前悪魔の力を使った」
ぽつり、と彼は言う。
「悪魔の力を使って、私は何を手に入れたと思う?」
ヘルメスが何をしたのか、までは分からない。それでも、ユティアにはうっすらと検討がついているものがあった。彼はきっと、今でも忘れられないといった人のために、力を使ったのだろう。それは、ユティアにとってほとんど確信に近いものだった。
ユティアの視線を受け止めて、ヘルメスは口を開いた。
「私は、悪魔の力を使って、時を巻き戻した」
「時を……?」
悪魔は何でもできると言っていた。それでも、時を操ることが可能だなんて。
「時を戻して、私は”君”を救おうとしたんだ」
ヘルメスの瞳が、まっすぐにユティアを見つめる。
「……どういうことですか?」
「言っても理解してもらえないかもしれないが、私と君が出会うのは、二度目だ」
ユティアは絶句した。
――思い出した。
たしか、はじめてリリィやヘルメスに出会った時のことを思い出す。会うのは二度目か、と尋ねた記憶がある。
「”君”も、今の君と同じく、母の薬を求めてやってきた。そして、いつの間にか私の家に遊びに来るようになった。弟子という関係でもなく、ただの友人として。君と過ごす日々はとても楽しかった。でも……”君”は、死んでしまった。突然に。なんの兆候もなく」
ヘルメスの顔は悲痛な色をしていた。
「今思えば、魂がアレスに食われてしまったことが死因なのだろう。でも当時の私は、それを知ることができなかった。ただひたすら、”君”が死んでしまったことを悔いた。だから、私は悪魔の力を使って、時を巻き戻した」
そして、君と出会った、とヘルメスは言った。
「以前の君とは、少し違った。以前の君は、よき友人だったが、今の君は良き弟子だ」
彼は微笑む。
ユティアには過去の自分の記憶はないけれど、それでもヘルメスの友人になりたいと願った気持ちは分かるような気がした。不器用で、仏頂面だけど優しいヘルメス。きっと、そんな彼をもっと知りたいと思うようになったのだろう。昔の自分の記憶もあれば、とユティアはふと思った。そうしたら、もっともっとヘルメスのことが知れるのに。
「……ヘルメスは、何を失ったんですか?」
以前もした質問だ。あの時は、答えてくれなかった記憶がある。それでも、ユティアが悪魔の力を使って何かを失おうとしている今ならば、答えてくれるのではないか。ユティアの心には、淡い期待があった。
「過去の君への恋心だ」
「えっ?!」
何か間違えているのではないかと、ユティアは茫然とヘルメスを見つめる。ヘルメスは、ユティアの視線を受け止めた。
「あ、あの。ヘルメス、それってどういうことですか」
「さぁ、行こうか。ユティアだって、過去の自分の話を聞いていたって面白いものでもないだろう」
ヘルメスはそう言って立ち上がる。ユティアも慌てて立ち上がった。
「い、いや。そんなこと、ないです。聞かせてもらえませんか?」
ヘルメスは立ち止まって、ユティアを見つめた。
「また、気が向いたらな。ほら、行くぞ?」
そう言ってヘルメスはさっさと歩いて行ってしまう。
「そ、そんな! ヘルメス!」
意識しているのか、していないのかは定かではないが、ヘルメスは物凄い速さで歩いていってしまう。ユティアは叫びながら追いかけるしかできなかった。
本当のことを言っているのか、言ってないのかは分からない。それでも、彼の1番大切だったものが過去の自分への恋心なのだとすれば、過去の自分とヘルメスの間の絆は、相当なものだったのだろう。そこに割って入れる気はしない。それでも、過去の自分がしたように、ヘルメスとの絆を育んでいきたい、とユティアは思った。
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