第35話 アネモネの花
悪魔はユティアの顔を見て笑った。
「我の力が必要だと、そういうことだろう?」
「そう。私の大切なものと引き換えに、アレスを救ってほしいの」
「……アレス、悪しき魔術師のことか?」
そう言って、悪魔は首を傾げた。
「そう呼ばれることもあるらしいわ」
ユティアはうなずいた。納得したように、悪魔はうなずく。そして、ヘルメスに声をかけた。
「ヘルメス。おぬしはそれでいいのか?」
「なにがだ」
「おぬしは賛成しているのか」
「……ユティアの決めたことだ。私はユティアの信じる道ならば否定しない」
「ほう?」
悪魔は驚いたような声を漏らした。
「おぬしのことだから、止めると思ったんだがな」
にやりと、悪魔は唇の端を吊り上げて笑った。それでも何も答えようとしないヘルメスとユティアを見て、すこしがっかりしたような顔をする。
「まあ、2人で話したということだろう。ユティア、我の力を使うことで、おぬしの大切なものを1つもらっていく。それでも、アレスを救うという道を選ぶのか?」
「はい」
ユティアは力強くうなずいた。悪魔はまた驚いたように、きょとんとユティアを見つめた。
「おぬし、本当にユティアか? だいぶ、顔つきが変わったような気がするぞ。なんというか……少し大人びたというか。いや、今はこんな話どうでもいいな。アレスを救う、その選択に後悔はなさそうだ。我はおぬしの選択を尊重しようぞ」
「ありがとう」
「私がユティアの魂からアレスの魂を取り出す。そしたら、アレスが消滅する前に救ってくれないか?」
ヘルメスが補足した。
「あの、再びアレスを人間にしたりすることはできるの?」
ヘルメスが、驚いたようにユティアを見つめた。
「ユティア、それは危険ではないのか。アレスは、師匠が封じた錬金術師だ。何を起こすか分からない。もしかしたら、また戦争を起こそうとするかもしれない」
「……じゃあ、私がアレスと話してから決めても良いですよね? アレスと話しをしてから、それから決めます」
ヘルメスは、呆れたような声を漏らした。
「もし、アレスに不審なところがあれば、遠慮なく消滅させるぞ? それでいいだろ」
ユティアはうなずいた。ヘルメスの判断はもっともだ。ユティアとて、自分がわがままなことを言っているのは分かっていた。ユティアの知るアレスは、戦争など起こそうとするような人ではない。それでも、父を殺したのはアレスだ。それを思えば、警戒して損はない。
「……アレスの魂をユティアの魂から離したあと、ユティアの判断を待っておればいいのだな?」
悪魔は静かに言った。
「もし、ユティアが大丈夫だと判断すれば、我はアレスを人間に戻す。一方、ユティアがだめだと判断した場合は、我は何もせぬ。そうなった時には、契約は不成立と判断してユティアからは何も取らぬ。それで、良いな?」
ユティアとヘルメスは同時にうなずいた。
「久しぶりに力を使うな。楽しみだ」
悪魔はそう言って、大きく伸びをした。楽しみ、と言う割には怠そうにも見える。
「さて、どこでやる? 庭か?」
悪魔に促され、ユティアとヘルメスは庭に出ることにした。
*
ヘルメスの家の庭は、いつ見ても綺麗だ。色とりどりの花は、静かに風に吹かれている。
「ヘルメス。今度、庭のお手入れをさせてくれませんか?」
ふと思い立って言うと、ヘルメスは微笑みながらうなずいた。
「良いだろう。ユティアなら、綺麗にしてくれそうだな」
「もちろんです。私、花が好きなんです。きっと綺麗に手入れしますよ」
こんな時にも関わらず、花の話をしてしまうなんて、きっと自分は少なからず怖いのだろう、とユティアは思う。何を失うのか、ユティアには分からない。もしかしたら、今まで通りの生活をおくることができない可能性だってある。それでも、ユティアはアレスを救いたいと思った。もしアレスが一人ぼっちでいるのならば、助けるのが幼馴染としてのつとめだろう。たとえ、”悪しき錬金術師”であっても。
「ユティア」
ふと、ヘルメスがユティアの名を呼んだ。ヘルメスを見ると、ヘルメスの手には紫のアネモネの花があった。
「君は、アネモネの花が好きだろう?」
「はい! 1番好きな花です」
ヘルメスは、泣きそうに顔をくしゃくしゃにした。
「では、これをあげよう」
ヘルメスの手が、ユティアの髪に触れた。そして、髪に口づけをして、ユティアの髪にアネモネを飾った。
「綺麗ですか?」
自分ではどうなっているか分からなくて、そうたずねる。
「ああ。君は綺麗だ」
アネモネの花が綺麗かどうかをたずねたつもりなのに、そんなことを言われてユティアは顔に熱が上るのを感じた。眼前にいるヘルメスの目を見ることができなくて、ユティアは思わずうつむく。この瞬間が、もっと続けばいいのにと、胸に染み渡る幸福感を感じながら、ユティアは思う。
「では、まずユティアの魂からアレスを取り除く。……目をつぶって」
ヘルメスに言われるままに、ユティアは目をつぶった。これから、ユティアはアレスと会わなければいけない。もしかしたら、アレスとは最期の別れになるかもしれない。
ユティアが、アレスの命を握っていると言っても過言ではない。そう思うと、手が震えてきそうになるのがわかる。
ふと、ヘルメスのあたたかい手がユティアの手をとった。
「今から、魂の様子をみていく。ユティアも、自分でできそうであれば自分の魂の様子を見ると良い」
ヘルメスの声が聞こえる。ユティアは、自分の意識を集中させた。アレスに、会うために、自分の魂を見に行くのだ。
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