第31話 幼い夢
――夢を見ている。
ユティアはそう思った。ここにいるはずのない、父が目の前にいた。顔もきちんと覚えていなかったのにも関わらず、一瞬で父だと分かった。
父は、ユティアと同じ金髪の髪を揺らして、ユティアに笑いかけている。ユティアの体がふわりと浮いた。そして気づく。これは、自分がまだ幼い頃の記憶だ。
「お父さん」
父に抱き上げられ、幼いユティアは父にしがみついた。父の胸元にあるペンダントに触れる。
「お父さん、このペンダント何?」
「これかい?」
父は、ペンダントをユティアに見せた。ペンダントトップには、鷲をかたどった紋章がついている。鷲のくちばしは、一本の枝をくわえている。
「これはな、お父さんの大切なものなんだ。いつか、ユティアにこれをあげよう」
「いいの? お父さん」
ユティアは父の顔をみあげた。
「ああ。もともとはお父さんのものでもないからね。代々受け継いでいるものなんだ」
「? 受け継ぐってなに?」
父は困ったように頭をかいた。
「受け継ぐっていうのはな……。うーん、どう説明すればいいんだ。お父さんがユティアにペンダントを渡すみたいに、お父さんのお父さんが、お父さんにくれたんだ」
「お父さんがいっぱい!」
幼いユティアは、無邪気に笑う。
「いいかいユティア。いつか何か困った時には、このペンダントが役にたつはずだ。それまでは、大切に持っておくといい」
「うん! ありがとう」
*
次の瞬間、場所が変わる。ユティアの目の前にあったのは、あの洞窟だった。その目の前で、幼いユティアが立ちすくんでいる。
「お父さん、帰ってこない」
幼いユティアはぽつんとつぶやく。
その瞬間、ユティアは思い出した。ユティアは以前にも、この洞窟に来たことがあったのだ。幼い頃、父とともに。それはなぜだっただろう。思い出せない。
「ユティア!」
その時、林のほうからがさがさと音がする。幼いユティアが不安げに瞳を揺らす。すると、物音がしたところから、マーナが必死の形相で現れた。
「マーナおばさん。どうしたの?」
ユティアはたずねる。
「ヘンリはどこ?」
マーナは鋭い声で言った。
「お父さんなら、この洞窟の中だよ?」
ユティアは洞窟のほうを指した。
「……そんな、ヘンリがこの中に? あれだけやめておけっていったのに! あの大馬鹿者!」
マーナは今にもはぎしりをしそうなぐらいな勢いで吐き捨てた。幼いユティアは、いつも温厚なマーナの姿にきょとんとしている。
「大馬鹿者とは聞き捨てならないな」
その時、洞窟の中から父が出てくる。その手には、手のひらに収まるぐらいの箱を持っていた。ユティアは思う。あれは、ヘルメスが持っていたのと同じ箱だと。
「ヘンリ……! あんた、本当にこの洞窟に入ったのかい?」
「ああ。君が言ったんだろう。この洞窟の中にはお宝がありそうだって」
「そうだけど! まさかそれを鵜呑みにするなんて思わないだろう!」
ヘンリは黙ったまま、呆れたように肩をすくめる。
「でも、無事でよかった。……こんな古い洞窟なんだ。何か危険なものがあるかもしれない」
「あったのはこれだけだな」
そう言って、父はユティアの目線にかがみ、手のうえにある箱をみせた。古ぼけた意匠の箱は、なんの変哲もないただの箱に見えた。
「お父さん、これはなに?」
ユティアはたずねる。
「マーナ、これはなんだ?」
娘の質問に答えられなかった父は、マーナにたずねた。
「あたしが知ってるわけがないだろう。でも、ただの箱に見えるねぇ。そんな箱1つここに置いてあっても意味がないだろうに」
ヘンリも訝しげに首をかしげた。
「そうだな。何の箱なんだか、さっぱり見当がつかない」
ちょっと開けてみるか、とヘンリは言って箱に手をかけた。
「そんな、やめたほうがいいんじゃないかい」
「中にお宝が入ってるかもしれないだろう? お宝を見つけたってことを知れば、もしかしたら村の連中も認めてくれるかもしれない」
マーナは大きくため息を吐いた。
「村の人たちがヘンリによそよそしいのは、ヘンリのせいじゃないよ。もともとこの村は閉鎖的な村なんだ。だから、気にしなくていい」
「そうは言っても、ユティアがいる。ユティアの未来を考えると、きちんと村になじませてあげたいじゃないか。ユティアが生まれてもう6年が経つんだぞ? 物心もきちんとついてくる。それまでに、わだかまりを解いてやりたい」
「親として、ユティアを思う気持ちは分かるけど……」
マーナは心配そうに箱をみやった。
「だろう? だから開けてみる。それで、何も不満はないだろう?」
そう言って、ヘンリは箱をあけようとした。マーナが止める間さえなかった。しかし、箱はがっちりと閉まってあかない。
「あかないのなら、諦めたらどうだい?」
「なにを言ってるマーナ。こういう時にこそ俺の魔力を使わないでどうする」
そう言って、ヘンリは箱に手をあてた。ヘンリの手から、翡翠色の光があふれ出る。そして、箱がぱかりと音を立ててあいた。
「あいた!」
幼いユティアが、大きな声で叫んだ。その時、黒い影のようなものがぶわっと箱から飛び出した。
「な、なんだい!」
マーナが驚きの声をあげた。影がふわりと宙に浮き、あまりのことに動くことができない3人の元に近づいてくる。
髪の毛が焦げるような、不快な匂いが鼻についた。父がはっとしてユティアに黒い影を見せないように、腕の中に抱いた。幼いユティアは、思わず顔をしかめる。
影は完全に人の姿をとった。そのままゆらゆらとユティアたちの元に近づく。目などないはずなのに、真っすぐに父に向かって歩いてくる。
「お前は誰だ?」
影は、父に尋ねた。まるで老人のような、しわがれた声だった。顔があるはずの場所には何もない。それでも、声がどこからか聞こえてくる。
「アリカはどこだ?」
父が答えられないでいると、影はもう一度父に語りかけた。父は、言葉を失ったままでいる。黒い影はしびれを切らしたように、また距離を縮めて、父の顔をのぞき込む。
アリカはいないのか、と影はどことなく寂しそうに言った。なにかを確認するかのように、影は父をじっと見つめ、そして言った。
「お前の魂があれば、しばらくは自我を保つことができるな」
その瞬間だった。父の体から力が抜けた。まるで強制的に眠りにつかされているかのように、倒れこんだ。ユティアを抱きかかえていたはずなのに、その力さえなくなり、父は仰向けに倒れる。お父さん、と絶叫にも似た泣き声が響き渡った。
「ヘンリっ!」
マーナの悲鳴も響く。マーナは咄嗟にユティアをかばった。しかし、黒い影はマーナには襲ってこない。目がないはずのところから、視線を感じるのにも関わらず、黒い影は動かないままだった。
「ユティアは渡さないからね!」
マーナの出した声は震えていた。それをみて、影はくっくと笑い声をたてた。
「魔力のない女など要らぬ。我が欲しいのは、そこの娘の魂のみ」
マーナはぎゅっとユティアを抱く力を強める。その時、目の前が明るく光った。
次の瞬間、影はいなくなっていた。はじかれたように、幼いユティアが泣き出す。父は倒れたまま、ユティアの鳴き声だけが辺りに響き渡っていた。
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