第37話 分断

「僕がなぜ封印されたのか、教えてあげようか」

 アレスは悲しげに笑う。

「僕は、戦争がしてみたかったんだ。僕の錬金術を使って、戦争をしてみたらどうなるか知りたかった。魔術師たちに手柄を奪われるのはもう懲り懲りだったんだ」

「戦争なんて……。何も得るものなんてないじゃない!」

 ユティアは半ば叫ぶように言った。まさかアレスがそんなことを言うなんて、信じられなかった。幼い頃から一緒に遊んできた。ユティアのことを一番に理解しようとしてくれた。そのアレスの口から、戦争の言葉が出てほしくなかった。ユティアの思い出の中で、アレスはいつも楽しそうに笑っていた。

「そうだよ。僕は私利私欲のために、戦争を起こそうとして、気づいたら暗い闇の中に放り込まれていた」

 アレスは目を閉じる。閉じ込められた闇の中を思い出しているようなしぐさだった。

「闇の中で、僕は気が狂いそうになった。ここから出して欲しいと、ずっと願い続けた。誰かに襲われて、あそこに入れられたのだと最初は思っていたが、気づいた。きっと、アリカが封印したのだと。アリカのような腕のいい錬金術師でなければ、僕に打ち勝つなんて無理だからね」

 悪魔に見せられた、過去の記憶を思い出す。アレスとアリカの様子は、まるで恋人のようにも見えた。それほどまでに、お互いを信頼しているようにも思えたのだ。

そんな人に封印されたのだと分かった時、アレスはどんな思いだったのだろう。

「……僕は、ずっと謝りたかった。アリカに。もう、いないけれど」

「……」

 ユティアは何も言うことができなかった。アレスの経験した悲しみを思うと、どんな言葉も気休めに思えた。

「だからと言って、お前がユティアの魂を喰らっても良いはずがない」

 ヘルメスが鋭い声で言った。

「僕も、これ以上生き長らえたいとは思わない。でも、苦しいんだ。ずっと、喉が渇いている気がする。このままだと、ユティアのことを喰らってしまう」

「……あなたのことは助けるわ、アレス」

 ユティアはアレスをまっすぐ見て言った。アレスはぽかんとした顔でユティアを見ている。

「どういうこと?」

「悪魔の力を使って、あなたを、元に戻してみせる」

「悪魔……?」

 アレスは一瞬たずね返して、そして合点が言ったようにうなずいた。

「賢者の石の力を使うんだろう?」

「うん。それがあれば、きっとあなたを元の人間に戻せるわ」

「ユティア、そんなことをしてはいけない」

「どうして。あなたは大切な幼馴染じゃない」

 アレスの表情が、泣きそうに歪んだ。

「……僕は、そんな君のことが大好きだったよ」

 かすれた声で言ったアレスの姿が、ぼろぼろと崩れていく。

「アレス!」

 ユティアは叫んだ。まるで、アレスの身体という殻を破るかのように、崩れ落ちた中から黒い影が姿を現した。黒い影は、まるで一匹の大蛇のように、するするとユティアの魂の核に巻き付く。

「これが、アレスの正体か」

 ヘルメスが、小さくつぶやいた。

「ユティア、ここは私がなんとかする。アレスの魂と、君の魂を切り離す」

 ヘルメスはそう言って、ユティアの核を目指して走り出した。


 ヘルメスの手から、炎が噴き出す。あれが、ヘルメスの魔術だ。ユティアは我を忘れてヘルメスの一挙一動を食い入るように見つめた。

 黒い影が、ヘルメスを喰らうかのようにヘルメスに迫る。ヘルメスはそれを紙一重のところでかわした。いや、紙一重だったのではない。わざと、攻撃を引き付けたのだ。黒い影がまた魂の核に戻る前に、ヘルメスは炎を黒い影にお見舞いした。炎は見事黒い影に命中し、影はぐらりとよろめく。ヘルメスから遠く離れているというのに、炎が当たったところから、髪が焦げるような、不快な香りが漂ってくる。

 黒い影は、また大蛇の形を作った。そして、再度ヘルメスに向かってくる。ヘルメスはまたもそれを交わすと、炎を大蛇に当てた。大蛇はさらによろめく。ユティアの目には、弱っているようにも見えた。

――このままだと、アレスは死んでしまうのではないか。

 ユティアの心にそんな焦りが浮かぶ。ヘルメスはユティアの魂の核に辿りついたようだ。魂の核を返せと言わんばかりに、黒い影はさらに勢いを増してヘルメスに迫る。

 ヘルメスは今度は真紅の盾を出して、攻撃を防いだ。真紅の盾は、ヘルメスと魂の核を覆うように展開されている。ヘルメスは、その中でユティアの魂と、アレスの魂を切り離そうとしているようだった。黒い影が盾を攻撃すればするほど、真紅の盾は炎とともにそれを跳ね返す。まるで大蛇だった黒い影は、見る間に勢いをなくしていく。

 ユティアは思わず、黒い影に向かって走っていた。もしアレスが苦しんでいるのであれば、ユティアに何かできることはないだろうか。無我夢中で、黒い影を守るヴェールのようなものをイメージする。ユティアの手から翡翠色の光が放たれて、黒い影を包む。そして、黒い影が弾けとんだ。

「アレスっ!」

 ユティアは悲鳴にも似た声を出した。黒い影があったところに駆け寄ると、そこにはアレスの姿があった。

「ヘルメス、アレスは大丈夫なんですか?」

「今のところは大丈夫だ」

「殺しませんよね?」

「……ああ。ユティアがそう望むなら」

「ありがとうございます」

 ヘルメスの手が柔らかいな橙色の光を帯び、倒れているアレスの上にかざした。橙色の光がアレスの身体を包み、アレスの身体が光で包まれていく。アネモネの花の花弁が、はらりとアレスの顔に落ちた。

「これで、ユティアの魂から切り離されたはずだ」

「じゃあ後は、悪魔の力を借りるだけですね?」

「そうだ」

 ヘルメスはうなずく。ここから先は、ユティアの正念場だ。

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