第21話 悪魔の見せた世界

 ユティアが次に目をあけた瞬間、目の前にいたのは初めて見る女性だった。

 茶色の髪を一つに縛っており、大きなエメラルドの瞳は意志の強そうな光を灯している。はっとして隣をみると、ヘルメスと悪魔も同様に隣に立っていた。

「ここは……?」

 ユティアが呆然とつぶやくと、悪魔は笑った。

「ここは、過去の記憶の世界」

「過去の記憶……?」

 たしかに、女性がいるのはヘルメスの家だった。ヘルメスの家の書斎に、彼女は1人で座って、何かの本を読んでいる。

「あの人は誰なんでしょう?」

「おそらく、我が師匠アリカだ」

「えっ!?」

「私が師匠に出会った時はもう老婆だったが、あの意志の強そうな瞳は間違いない」

 ヘルメスは確信を持ったような声で言った。

「あれが、ヘルメスの師匠……」

「なんだって師匠の過去なんて」

 ヘルメスは困惑したようにつぶやいた。

「こちらは見えているのでしょうか?」

 ユティアはたずねる。誰かの夢を盗み見ているような感覚だった。ヘルメスは眉根を寄せて答えた。

「見えてないだろう。ここが過去の記憶の世界だというなら、私たちがそこに干渉することはできないはずだ」

 悪魔は、なぜ私たちにこんなところを見せているのだろう。そろりと悪魔を見ると、悪魔もユティアをみていた。悪魔と視線がぶつかる。悪魔はユティアの視線を受けてにやりと笑った。

「どうだ、楽しいだろう」

「なんで私たちにこんなところを見せるの?」

「それは、楽しいからに決まっているであろう」

「楽しい……?」

「我は退屈しておるのだ。元の世界に戻ろうにも、帰り方が分からぬ」

 悪魔はヘルメスの師匠を指さした。

「楽しそうだと思うてこいつらの口車にのってしまったのが運の尽きじゃった」

 まあ、それもそれで楽しい時もあったがな、と悪魔は大きなあくびをしながら言った。自分と同じ顔をしている悪魔が粗野な言動をすると、なぜか自分がしているような気恥ずかしささえある。当の本人は全く気にしていないような素振りではあったが。


 その時、アリカの元に、1人の男が現れた。男の姿を見たユティアは、思わず心臓が飛び出そうになった。

「アレス……!?」

 そこにいたのは、アレスに瓜二つの男だった。柔らかい茶色の髪に、夏の新緑に似た緑の瞳。屈託のない笑顔を浮かべた男は、本を読んでいるアリカに話しかける。

『また、本を読んでいるの? 研究は進んだ?』

 声も、アレスと全く一緒だった。男の人にしては少し高い、それでいて柔らかい声。あまりの出来事に、理解が追い付かない。

「知っているのか?」

 ヘルメスが不思議そうにたずねた。

「はい。私の幼馴染なんです」

「これが師匠の記憶だとしたら、そんなはずがあるわけがない」

 困惑して言うヘルメスに、ユティアもうなずいた。ユティアとて、同じ気持ちだった。アレスの容貌は、ユティアの知っているアレスと変わらない。よく見ると、少し大人びたような気もするが、その程度だ。

 アレスはユティアと同い年のはずだ。そうして、ユティアと同様に過ごしてきた。それなのに、過去の世界でこうして生きているはずがない。

「……師匠は、とうに寿命で死んだ。もし師匠と彼が同年代に生きていたとしても、彼がユティアと幼馴染というのはあり得ない。子孫か、よく似た他人ではないのか」

「そうだと思いたいです。でも――それにしては、あまりに似すぎているんです」

 ユティアはアレスから目を離せないままに言った。ユティアとて、信じられない気持ちは山々だった。


『アレス。研究の邪魔をしないでって言ってあるでしょう』

 その時、アリカが読んでいた本から目をあげて言った。ユティアは固唾をのんで見守る。

『ごめんね、アリカ。君が真剣そうな顔をしているから、つい』

 男は困ったような、嬉しそうな表情をして笑った。ユティアはふと、2人の関係性が気になった。ただの友人、にしては少し親しすぎるようにも感じた。恋人、と言われればしっくりくるような気がする。

『……賢者の石を作る決意は固まったかい?』

『アレス、そのことなんだけど。やっぱりやめましょう』

 アリカはページをめくるのをやめて、男に向き合って言った。

『なんで?』

『だって、あまりに危険すぎるわ。叡智の詰まった石なんて、そんな虫の良い話があるわけない』

『でも、アリカだって知りたいだろう。この世のすべてを。もしそれらを知ることができれば、僕たち錬金術師はさらに強大な力を持つことができる。僕らの技術を盗む、魔術師たちの好きにさせないさ』

 男は、アレスとは似ても似つかないような、すごみのある笑顔で言った。背筋が凍りそうになる。

『私だって、この世の全てを知りたくないとは言わない。それがあれば、もっと救える人がいるはずだわ。でも、力を誇示するために叡智を使うのは反対よ。』

 そう言って、アリカは一旦口をつぐんだ。そして、男の目をじっと見つめる。

『あとは、信じてくれないかもしれないけど、なにかとてつもない代償を払う気がするの』

『……代償?』

 男は鼻で笑う。

『君はいつも根拠を元に自論を展開してくるのに、この件に関しては曖昧なことばっかりだ』

『笑いたければ笑えばいいわ。でも、とにかく私はこの件に関しては反対よ』

 アリカは、語気を強めて言った。

『アリカ。根拠はなんだい?』

『根拠? 私の勘が言っているのよ。なにか途轍もなく悪いことが起こると。あなたには分からないでしょうけど。根拠なんてそれで十分よ』

『そんなに怒らなくてもいいだろう』

 アリカはきりりと男を睨んだ。

『この件に関して、もう私の手助けを得られるとは思わないで』


 ぴしゃりと師匠が言い放った瞬間、ユティアの視界が揺らいだ。まるで目の前に陽炎がが起こったかのように、ぐにゃりと視界が歪む。

 目を瞬くと、次の瞬間にユティアたちは別の場所にいた。きょろきょろと辺りを見渡すと、そこはどこかの地下室のような場所だった。薄暗い部屋の中で、ろうそくの光だけがぼんやりと光源になっている。ゆらゆらと光るろうそくが何だか不気味に見えた。

『これで……成功だ』

 低い声が聞こえて、ユティアがそちらを向くと、そこにいたのはアレスによく似た男だった。ユティアは息をのむ。


 男はゆらゆらと立ち上がる。その手からは、ぽたぽたと雫が滴っていた。よく見ると、床一面に魔法陣のようなものが書いてある。魔法陣の色は――黒に似た赤。

 ユティアははっとした。彼は自分の血で魔法陣を書いているのだ。彼は手首を抑えながら、おぼつかない足取りで魔法陣の中心へ向かった。


 そこに置いてあるのは、大きな石や、何かの粉や、液体だった。これが何なのか、ユティアには分からない。

「賢者の……石を作ろうとしている!?」

 隣のヘルメスが驚きの声をあげた。ユティアの脳裏にも、賢者の石のことを書いてあった紙が思い浮かぶ。その紙には、人間のようなものが書かれていた。もしや、人間の血が必要ということだったのか。

 その瞬間、目をあけていられないぐらいの光と、轟音があたりに響き、ユティアは思わず目をつぶった。

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