第20話 悪魔
ヘルメスの家の扉をノックするも、物音がない。ヘルメスは寝ているのだろうか。最初に会った時に、ヘルメスは庭にいたことを思い出す。ユティアは庭に回って確認してみることにした。
庭にはヘルメスの姿はなく、アネモネの花が風にふかれて揺れていた。
念のため、庭からヘルメスの家の中をそっと覗くも、いつもいる書斎の机にヘルメスの姿はなかった。本格的に寝ているのかもしれない。今日は諦めて帰ろうかと思ったところだった。
書斎に面した窓の側に、誰かの影があるのが見えた。開いた窓から風が入り込み、カーテンがぱたぱたと舞っている。カーテン越しにいるのは誰だろうかと目を凝らしたユティアは、思わず心臓が止まりそうになった。
――そこにいたのは、ユティアと瓜二つな外見をした少女だったのだ。
ユティアと同じ顔で、それでも瞳だけは真紅の色をしている。少女はユティアを見て、まるでおもちゃを見つけたような、楽し気な笑みを口元に浮かべている。怖いもの見たさもあるのだろうか。まるで鏡の中を見ているような気持ちで、ユティアはその少女に引きつけられた。
「あなたは誰?」
気づけば少女に声をかけていた。少女はユティアを見てにいっと笑う。
「我は悪魔」
ユティアと全く同じ声だった。それでも、話し方は少し古風で自分の声には聞こえない。
「……あくま?」
「そうだ。我は賢者の石の悪魔だ」
賢者の石、という言葉に引っ掛かりを覚えたユティアは、はっと思い出した。ヘルメスの家を掃除した際、落ちてきた紙に書いていた記憶がある。
「悪魔ってどういうこと? なんで私と同じ見た目をしているの?」
少女はユティアと全く同じ顔をして笑う。ユティアの背筋を何とも言えない悪寒が走るのが分かった。見た目は同じはずなのに、ユティアではない。どこか愉悦を浮かべる表情は、自分を見ているようで、他人を見ているような違和感があった。
「我は悪魔で実体がない。だからお主の心を反映させて身体にしている」
何を言っているか、ユティアには理解ができなかった。悪魔は困惑しているユティアを楽しそうに眺めている。
「私の心を反映させているってどういうことなの」
「我を見た各々の見たいものに姿を変えている。……お主は自分の姿を見たいのだな。ふむ、興味深い」
悪魔はころころと笑った。
「なに、お主に危害を加えるわけではないから安心せい」
そうは言っても、簡単にその言葉を信じられるはずがなかった。ユティアは疑いの目で悪魔を見つめる。
「ユティア……!」
その時、ヘルメスの声がかかった。家の中で、ヘルメスは驚いたようにユティアと悪魔を見つめている。
「大丈夫か、何もなかったか」
「は、はい。なにも」
ユティアは答えて、悪魔とヘルメスを交互に見やった。ヘルメスは気まずそうにユティアを見返す。
「”これ”に何か悪いことを吹き込まれてないか」
「”これ”とは失礼な」
悪魔が茶化した。ふてぶてしい笑みを浮かべた悪魔は、ヘルメスに”これ”と呼ばれたことを少しも気にしていないようだった。ヘルメスと悪魔の間には、少し親しささえ感じてしまい、ユティアの胸にふと痛みがはしった。それにユティアは困惑する。――なぜ、自分は悲しくなっているのだろう。
「何もされてはないですけど、今の状況を説明してくれますか?」
「……そうだな。家の中で話そう」
ヘルメスは観念したように言った。
家の中に入って、なぜか悪魔とともにお茶を飲む。自分と瓜二つの人間がいる光景というのは、あまりに居心地が悪かった。
「ヘルメス……悪魔ってどういうことなんですか? 賢者の石って?」
質問を繰り返すユティアに、ヘルメスは苦い顔でうなずいた。
「まず、賢者の石のことから話そうか」
真剣な顔をするヘルメスに、ユティアはうなずく。
「賢者の石とはこの世の叡智の詰まった石と言われていた。錬金術士の最終目標であり、誰もがこれを作ろうした。私も、そして私の師匠も同様だった」
「この間話してくれた師匠のことですか?」
「そうだ」
それから、ヘルメスはその師匠のことを詳しく語ってくれた。ヘルメスの師匠は、かつては名を馳せた錬金術師だったという。ヘルメスは生まれつき病弱で、それを治すために、師匠が幼いヘルメスの家に呼ばれたことがあった。師匠の作る薬であっという間に体は丈夫になり、ヘルメスは師匠のような薬を作りたい、人を救いたいと思うようになったという。
「幸い私には魔力があった。王都の魔術学院を卒業してから、師匠を探してそこらじゅうを走り回ったよ」
ヘルメスは懐かしむように、どこか遠くを見る。
「師匠を何とか探したと思ったら、弟子は取らないと言われてしまった。そこから何とか頼み込んで、私は師匠の弟子になった。その師匠が持っていたのが……こいつだ」
そう言ってヘルメスは悪魔を見た。
「師匠は、若い頃に賢者の石の作成に成功した。それは、叡智の詰まった石なんかじゃなかった。別の世界から悪魔を呼び出す触媒だったんだよ」
ユティアにはにわかには信じられなかった。ユティアと全く同じ容姿をしたこの人が、悪魔だなんて、いきなり言われてもすぐには飲み込むことができないというのが本音だった。
悪魔はきらりと目をきらめかせてくっくっと笑った。
「信じられぬか。では、久方ぶりに、我の力でも使おうか」
悪魔の真紅の瞳から光が放たれたと思った瞬間、ユティアたちはどこか違う場所に立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます