第41話 時戻しの錬金術師は花を捧ぐ

 以前と同じはずの小高い丘は、すでにアネモネの花が枯れ始めてしまっていた。すこしがっかりしたが、ヘルメスとの思い出の場所に来れたと思うだけで感慨深い。


 あの時と一緒の、岩の上に座って、ユティアたちはパンを頬張りはじめる。ロビンのパンは、やはり頬っぺたが落ちるぐらいに美味しかった。

 パンを食べながら、ユティアはマルロの母のことをヘルメスに伝えた。マルロの母の『魂の濁り』はもしかしたら完治したのかもしれない、とヘルメスは言った。

「子を思う親の想いが、奇跡を起こしたのかもしれない」

 そう言った時のヘルメスの横顔は、思わず見惚れてしまうぐらいに美しかった。優しげで、それでいて少し儚げな表情。ユティアが何も言うことができずヘルメスの横顔を見ていると、ヘルメスはユティアの視線に気づいた。

「なにか、私の顔に付いているか?」

 きょとん、とした顔でヘルメスは問う。

「なんでもありません!」

 恥ずかしさも相まって、ユティアは思わず大きな声をあげてしまう。ヘルメスはそんなユティアを不思議そうに見つめた。

「そうだ」

 ヘルメスは言って、立ち上がった。

「君にあげたいものがあったんだ」

「……?」

 ユティアは疑問に思って、ヘルメスを見つめる。

 

 そうして、ヘルメスはユティアの前に跪いた。

「ど、どうしたんですか? ヘルメス!」

 ユティアは慌てて声をあげる。ヘルメスは何も言わない。ユティアはおろおろしてヘルメスを見ることしかできない。

「君へのプレゼントを、受け取って欲しい」

 そう言ったと思うと、いきなり大きな風がびゅうと吹いた。何事かと思ってユティアが辺りを見渡すと、足元に咲いていた枯れかけのアネモネの花が、一斉に淡い光を放ち始めた。

 ユティアがあっけにとられている間に、アネモネの花は生気を取り戻す。そして、アネモネの花からきらきらとした光があふれはじめた。幻想的な光景に、ユティアは息をのむ。

「これは……?」

 茫然と、ユティアはヘルメスに問う。

「どうか、受け取って欲しい」

 ヘルメスはそう言って、ユティアにアネモネの花束を渡した。ユティアは花束を受け取る。ふわりといい香りがユティアの鼻をくすぐる。

「以前私は君に言ったな。私が悪魔と契約して失ったものは、君への恋心だと」

 ユティアはうなずく。

「正直な話をすると、君への恋心を失ってよかったと、ほっとさえしたんだ」

 ヘルメスは目を伏せた。

「君を失って、心が壊れてしまうのではないかと思った。悔恨だけが私の心にはあった。だからこそ、君への恋心を失って、解放されたと思ったんだ」

 ざぁ、と風が吹いてアネモネの花々が揺れる。それと同時に、アネモネの花が放つ光も揺れた。

「でも。再び君と出会った。君とは、今度は関わらない方がいいとさえ思った。でも、君と一緒にいれることが嬉しかったんだ。……気づいたら、また君に恋に落ちていた」

 ヘルメスの深い青の瞳が、ユティアをとらえた。まっすぐな瞳に、捕らわれそうになる。まさか、ヘルメスからそんなことを言われると思わず、ユティアの胸の中は混乱していた。

「……それって、ヘルメスが私を好きってことですか」

 思ったままの疑問を口にする。ヘルメスは静かにうなずいた。

「わ、私もあなたが好きです」

 ふっと、ヘルメスが微笑んだ。

「ありがとう」

 ヘルメスがユティアに手を差し出す。ユティアのはその手をとった。


 ――あたたかい。


「ヘルメスの手はあったかいです」

「……? それはよかった」

 恥ずかしさからか、ヘルメスの顔を見ることができない。


 その時、ぽん!という音が響いた。

「ユティアとヘルメスばっかり仲良しなの、ずるいの~!」

 そこに飛び出してきたのは、リリィだった。

「ヘルメスったらひどいわ。ワタシも手伝ったのに、自分一人の手柄みたいにするんだから!」

「手伝ったってどういうこと?」

 ユティアがたずねると、リリィは咲き誇るアネモネを指さした。

「これ、ワタシの元素も使ったのよ。それなのにぃ」

 ぷくう、とリリィが口を膨らます。

「そうだったのね。リリィ、ありがとう」

「そうよ。ヘルメスもワタシにお礼を言うといいの!」

 えへん、と言うようにリリィが腰に手をあてた。

「ありがとう、リリィ」

 ヘルメスが言うと、リリィは嬉しそうにうなずいた。そして、ユティアとヘルメスのつながれた手を見やる。

「2人は仲良しなのね?」

「そうよ。仲良しなの」

 ユティアは答えた。リリィは嬉しそうに一回転をする。

「2人が仲良しなら嬉しいの!」

「そうだ、リリィ。私たち旅に出ることになったの」

「旅……?」

「あなたも、一緒に来ない?」

 ユティアは言った。リリィはぱあっと顔を輝かせる。

「ワタシも一緒にいいの?」

「いいですよね? ヘルメス」

「リリィが良いなら、それで良いのではないか?」

「どうかな? リリィ」

 リリィはしばし考えこみ、そしてとびきりの笑顔でうなずいた。

「ワタシも、一緒に行くの!」

 少し騒がしくも、頼もしい旅の仲間ができた。


***



 それから長い年月が経ち、賢者ヘルメスの名は、貴族も平民も誰もが知ることとなった。彼は出会った人々の病気を立ちどころに治した。そして、その傍らには風の女神と称されるほどの魔力を持った女性がいたと言う。

 彼らは貧しい人々を積極的に救った経歴を国王に認められ、この国の政にも関わるようになった。国の発展のため尽力した彼らは、最期まで仲睦まじかったことも有名であり、同じ日に息を引き取った。今は、深い森の奥深くに2人で眠っている。




Fin.

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時戻しの錬金術師は花を捧ぐ 花橘 しのぶ @Myosotis_moon

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