時戻しの錬金術師は花を捧ぐ

花橘 しのぶ

プロローグ

 ヘルメスは眠ったように目を閉じる少女の頬を静かに撫でた。


――つめたい。


 滑らかな頬は、ヘルメスの手に芯まで凍るようなつめたさを伝える。

 彼女はもう生きていないのだ。当たり前の事実を、ヘルメスは改めて痛感させられる。つめたい針のような痛みが胸に突き刺さった。


 少女は小さな笑みを口元に浮かべている。自分の身の上に何が起こったかなんて、ひとつも理解していないような、そんな純粋な笑み。今にも起き上がって、笑いかけてくれるのではないかと錯覚してしまうほど、少女の顔は安らかだった。


 ベッドサイドに飾ってあったアネモネの花が、ふいに吹いた風に揺れた。白いカーテンも同時にひらひらと揺れる。

 少女が好きだと言ったアネモネ。庭に咲いていたそれを、少女のために手折って飾ったのだ。もし少女が生きている間に手渡していたなら、どんなに喜んだだろうと、悔恨を胸に刻みながら。

 ヘルメスは少女の瞳の色と同じ、紫のアネモネを透明な花瓶から手にとった。


――後悔はすべて、ここで断つのだと、ヘルメスは決めたのだ。


「悪魔よ、どうかユティアを生き返えらせてくれないか」

 ヘルメスは部屋の隅にひっそりと控えていた悪魔に声をかける。

「もちろん。お主の一番大切なものと引き換えに願いを叶えてやろう」

 赤い瞳をきらめかせて、悪魔は低い声で笑った。

「ああ。私の大切なものなどくれてやる」

「本当にそれでいいのだな?」

 悪魔はヘルメスにたずねる。真紅の瞳がきらりと光った。ヘルメスはその瞳を見つめながら、静かにうなずいた。

「……契約完了」

 悪魔が答えた瞬間、ヘルメスの視界が揺らいだ。あまりの眩しさに目を閉じる。最後に見えたのは、アネモネの紫の花弁だった。

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