千尋の海(ニ)
清元が彦島を去った数日後。
源義経の軍勢が、長門の奥津(満珠島)へ集結した。この日までに、源氏では熊野水軍や伊予水軍など、平家に対抗するために多数の水軍を従えてきた。
その報せを聞いた平家側も、同日の夕刻までには、太宰府落ちの際に与力した山鹿秀遠や、屋島で献身的に貢献してきた阿波民部の水軍とともに、彦島から豊前の田ノ浦へ舟を進めた。
このとき、源平の距離は三十町(約三キロメートル)あまり。両軍ともに舳先を相手へ向けたまま、翌日の決戦を迎えることになった。
玉虫は帝や女院とともに、御座船ではなく屋形のついた戦舟に乗っていた。大きな唐船を利用した御座船とはちがい、和舟は揺れも大きく、乗り心地もひどい。
それでも、源氏が帝と三種の神器を奪取するために御座船を狙うと見越して、雑兵を乗せた御座船へ群がってきたところを一網打尽にしようと一計を案じた。
夜霧が海面に立ちこめ、男たちが軍議を重ねるなか、女たちは帝のもとへ集められた。
帝は建礼門院に甘えるようにもたれかかり、東宮も乳母である知盛の妻に身体をあずけている。そばには、按察使局も帝と東宮を見守るようにすわっていた。
海上に逃れていた福原の戦とはちがい、今回は戦の只中に身を置くことになる。不安を隠しきれない女たちへ、尼僧姿の時子が毅然と言った。
「明日の戦は、源氏を迎え撃つのではありません、こちらから源氏へ攻めこむのです。帝をお守りするために、わたくしたちは
亡き清盛の妻、武門の妻としての時子の威厳ある声に、女たちは水を打ったように静かになった。それを見届けた時子は、重ねて言った。
「あなたたちも、覚悟なさい。福原で討ち取られた武将たちが、どのような目に遭ったのか……覚えていますね」
首を晒され、獄門に吊るされた武将たちを思いだし、ふたたびざわめいた。
「わたくしたちも、源氏どもの手に落ちれば、どのような目に遭うか……」
女たちから、悲鳴があがる。
殺されるか、凌辱されるか、あるいはどちらも──それらは戦の場にあっては、あたりまえに行われた。
手をとりあい、恐ろしさに震える女たちへ、時子はやさしくほほえんだ。
「いよいよのときには、みなで海の底へ参りましょう。波の下にも都はございます。そのつもりで、明日はあなたたちも用意なさい」
言葉を失う女たちの中で、玉虫が声をあげた。
「帝は……帝まで、お連れするおつもりですか?」
「当然です」
「なぜですか? まさか帝にまで狼藉をはたらくとは思えません」
「……そうでしょうね。帝は都へ還御あそばすでしょう。おそらくは、東宮や女院も」
「それなら──!」
「崇徳院のことを、お忘れか? 若いそなたでも、存じておろうに」
政変を理由に讃岐へ流罪となった崇徳院の死因は、公けには病死とされているが、一部には暗殺の噂もある。配流先で、またはその道中で、人知れず亡き者とされることはめずらしくない。
しかも帝は、清盛の孫として平家再興の旗印に担ぎあげられる可能性がある。地方に置いておけば、そこへ志のある者たちが集結しかねない。
まさしく、源頼朝がそうであった。助命されたことで伊豆へ配流となり、いま、平家を追討しようとしている。そのことをだれよりも知っている頼朝が、みすみす見のがすとは思えなかった。
不穏な空気を感じて、帝も東宮も落ちつかない様子で周囲を見渡している。ふっくらと愛らしいその顔は、いまにも泣きだしそうに見えた。
わが子を抱く建礼門院の顔にも陰が差し、本心では同意していないのだと思った。
(だめよ、まちがってるわ。こんなに幼い帝や東宮を海の底へお連れするなんて、そんなの、まちがってる!)
玉虫が「ですが──」と言いさすと、按察使局がぴしゃりと言った。
「玉虫、いいかげんになさい。帝の御前ですよ」
「……はい」
これ以上、玉虫がなにを言ったところで、時子たちが入水の考えを変えることはないだろう。なにより、帝と東宮を怯えさせるだけだと思った玉虫は、口をつぐんだ。
その夜は、舟底に女たちのすすり泣く声が満ちた。身の回りの整理をし、都へあてて手紙をしたため、硯や文鎮など重りになるものを揃える。なかには、陸へ渡って行方をくらませる者もいた。
玉虫も菊王が遺した腹巻鎧を抱きしめ、夜明けまでのつかの間、波間にまどろんだ。
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