五節舞姫(二)

 翌日、玉虫は常寧殿に設けられた五節所へ入った。


 五節所は舞姫ごとに与えられる待機所で、玉虫はそこで化粧をほどこされ、衣装を身につけた。赤い紐のついた白い小忌衣おみごろもを羽織り、髪には日陰蔓を垂らす。


 舞姫付きの女房や童女は、藤大納言から言い含められていたのか、なにも言わず、なにも聞かなかった。


 しかし、暗くなってからはじまる五節舞の前には、それぞれの舞姫の五節所で雲客たちへ酒食を供することになっている。淵酔とおなじく、男たちは興が乗ってくると、今様や歌舞を披露した。


 玉虫は四方に御簾を下ろした母屋の隅へ身体を寄せ、几帳をいくつも立てて隠れるようにして過ごした。彼らが早く次の舞姫のもとへ去ってくれるように祈り続ける。


 ようやくほとんどの男たちがいなくなったころ、二藍の直衣を着た教経がのっそりと入ってきた。


 残っていた男たちと酒を交わし、談笑しながら少しずつこちらへ近寄ってくる。とうとう御簾の前へすわりこむと、だれもいなくなったのを見計らって声をかけてきた。


「玉虫、母上が無理を押しつけてすまなかった」

「いえ……」


 扇で顔を半分隠すようにして身体を寄せてくる教経からは、いつもの甘くさわやかな荷葉の香りがただよってくる。


 玉虫は几帳からいざり出て、御簾のそばへ寄った。女房たちは見てみぬふりで、ふたりの会話を聞き流している。


「まったく、あの人の行動力にはあきれるな。藤大納言どのも、うまく言いくるめられたんだろう。首をひねっておいでだった」


 教経は困ったようにため息をついたが、玉虫には、按察使局がどこまで教経に説明しているのか気になった。


(小宰相さまのことも、お話されたのかしら……)


 はっきりと聞くのもためらわれるし、教経がなにも知らなかった場合は藪蛇になる。けれど教経は、あきれたように首を振った。


「なにを考えているのか、さっぱりわからないな。清盛さまのためだと言うばかりで、あれは、ほかにも考えがありそうな感じだった。玉虫は、なにか聞いているか?」

「え……っと、わたしも、なにも……」


 うそをつく罪悪感はあったけれど、教経が小宰相のことまでは聞いていないとわかってほっとした。教経は「そうか」と言って首をひねる。


(──でも、もし按察使局さまが、小宰相さまをご正室にと考えてらっしゃることを教経さまが知ったら?)


 法勝寺での観桜の宴のときに、小宰相を垣間見た教経が見惚れていたという話を思いだして、ふたたび不安が首をもたげた。


(あのときに、すっかり心まで奪われていたら?)


 按察使局の思惑を迷惑に思いつつも、教経は受け入れてしまうのではないだろうか。あの美しい人を拒む愚かな男がいるとは思えない。


 玉虫は胸がつかえたまま、五節所から紫宸殿への道を歩いた。


 急ごしらえの内裏は、大きな満月に照らされて明るく浮かびあがっている。


 舞姫付きの女房や童女たちは扇で顔を隠しているだけだったが、舞姫である玉虫は几帳で四方を覆われ、殿上人の付き添いで歩いていた。


(こんなに近いなんて……。舞姫が変わったことに気づかれないかしら)


 玉虫は後ろめたさで緊張していたが、付き添いの公達もおなじように緊張していた。恋人でもないのに、隔てもなく若い女人とこれほど近づく機会などない。


 お互いがお互いを見ないように、ぎこちなく、筵道をそろそろと進んだ。息をひそめて歩を進めるうち、ゆったりとした笑顔で迫ってきた按察使局や、困惑していた教経の顔が浮かんでくる。


(教経さまが、ご正室を……? でも、按察使局さまなら、実現しておしまいになるかも。教経さまだって、あの小宰相さまがお相手では、お断りになるはずがないわ。──そんなの、いやよ)


 大歌がはじまっても玉虫は気もそぞろで、それでも覚えたばかりの舞を難なく披露する。不安な気持ちを払いのけるように、玉虫は楽の音にあわせて、袖を大きく五回ひるがえした。




 五節舞の数日後、都は京へもどった。


 美濃、近江の源氏までもが反旗をひるがえし、平家はこれを難なく鎮圧するが、朝廷および平家の威光が及ぶ範囲は、日ごとにせまくなっていた。

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