五節舞姫(一)

 十一月、福原で豊明節会とよあかりのせちえが行われた。


 新帝即位の年には大嘗会があるべきところ、福原遷都を不服とする公卿からの反発があり、通常の新嘗会となった。しかも、その新嘗会の祭祀さえも平安京で行われ、福原では五節舞のみの開催となったのだった。


 五節舞の披露までには、三日前からさまざまな式次が決められている。二日目と三日目には淵酔えんすいという宴があり、殿上人たちは朗詠や乱舞をして酒宴を深夜まで楽しんだ。


 屋敷から屋敷へと渡り歩く殿上人たちの喧騒をよそに、玉虫は按察使局から相談があると呼び出された。


「玉虫、あなたは舞が上手だと聞いたけど?」

「……そう、言われます。自分では、わかりません」

「それで充分よ。──もうひとつ、初花(初潮)は、まだね?」

「はい、まだです」

「わかりました。あなた、明日の五節舞に出なさい」

「──え?」


 玉虫は長い睫毛をしばたたかせた。


 帝を前にした御前試ごぜんのこころみもすでに終わっていて、四人の舞姫たちはすでに内々にお披露目されている。当日に飛びこみで舞うなどとは、聞いたこともなかった。


 しかし、按察使局は玉虫の困惑をよそに声をひそめた。


「じつはね、藤大納言の舞姫が、急に具合を悪くしてしまったそうなの。おそらく、月の障りがきてしまったのだと思うわ。もちろん、そのまま辞退して三人で舞うこともできますけどね、それはやはり、清盛さまのためにも避けたいのです」

「……はい」


 舞姫に選ばれるのは、月経の心配のない若年の少女であることが多かった。それでも、突然の初潮や緊張による体調不良を理由に舞姫が欠けることも珍しくはない。にもかかわらず、按察使局はそれでは不都合なのだと言う。


「先日、維盛どのが駿河から帰国なさったでしょう? 出陣の際には絵にも描けないほどの美しさと言われましたけどね、いくら美々しく飾り立てたところで、戦う前に逃げ帰ってきたのは武門である平家の名折れです。あれでは、家人たちへの示しがつきません」


 按察使局はあきれたように首を左右に振った。玉虫も、教経がその件でひどく憤っていたことを知っている。


 やれ本家筋の息子たちは武門としての自覚がないだの、やれ自分が出陣していれば甲斐の田舎武者など木っ端みじんに蹴散らしてやっただの、玉虫の兄を相手に唾を飛ばす勢いで喚いていた。


 醜態をさらした追討使の逃走劇は、武門平家の威信をおおいに傷つけ、もはや平家など恐れるに足りずという印象を与えた。そのことで、地方の武者たちがすでに不穏な動きを見せていることは、福原にも伝わっている。


 これ以上、わずかな隙も見せるわけにはいかなかった。


「舞姫が辞退したとなれば、平家へ反感を持つ方たちは、そのわずかな瑕疵をあげつらって福原遷都への難癖につなげるでしょう。それに、本来ならば大嘗会こそ行うべきところを、清盛さまが新嘗会で手を打ったのです。これ以上の妥協はできません。舞姫は四人そろうべきなのです」

「……そう、ですね」


 そこまでは、かろうじて玉虫にも理解できる。でも、だからといって代役を立てるかどうかなど、按察使局が首をつっこむことではないし、ましてや、玉虫に白羽の矢を立てる意味もわからない。


 ところが、按察使局は「それにね──」と、ここからが本題だと言わんばかりに身を乗りだした。


「藤大納言どのは、小宰相どのの妹君のご猶子になっていらっしゃるのよ。あの方のご生母は、半物はしたものですからね」


 按察使局は「半物」という言葉を、冷ややかに言った。


 小宰相の妹が嫁した相手は、とうに亡くなってはいるが内大臣にまで昇っている。その夫が、身分の低い女に産ませた子が藤大納言ということらしい。


 猶子といっても、すでに藤大納言は四十がらみの壮年で、小宰相の妹のほうがずいぶんと若い。


「だからね、藤大納言どのには、教経どのから舞姫の代役を出した──ということにしたいのです。もちろん内密に、ですよ。教経どのは、こういうことに疎くいらっしゃいますからね、あとでわたくしからお話します」


 いきなり出てきた教経の名前に、玉虫はどきりとした。しかし、話の流れに不安をおぼえる。


「なぜ、教経さまから、ということになさるのですか?」


 玉虫の疑問に、按察使局は口もとを隠して「ほ、ほほほ」と笑った。


「──あら、だっていずれ、小宰相どののお耳にも入るかもしれないでしょう? 教経どのが、妹君のご猶子の助けになったと聞けば、悪く思うはずがありません。そうではありませんか?」

「ええ……はい」


 玉虫は、よくわからないままに同意した。按察使局の話は肝心なところがぼやけていて、つかみどころがない。


(どうして勝手に藤大納言さまに恩を売って、教経さまが小宰相さまからよく思われる必要があるの? それに、通盛さまが熱心に文をお届けしていることくらい、ご存知ではないのかしら)


 いやな予感で眉を寄せた玉虫に、按察使局は大仰なため息をついた。


「ここだけの話ですけどね、わたくしは小宰相どのこそ、教経どののご正室にと考えているのですよ。これといった後ろ盾のない方ですけど、上西門院さまの女房と縁を結んでおくのは、なにかと都合がよろしいのです。法皇さまと女院さまは、それはもう姉弟仲が大変およろしいですからね」

「え……それは……」


 玉虫は耳の奥がきいんと鳴った気がした。どくどくと胸が波打つ。しかし、それと知られないように、ひと呼吸おいて聞いた。


「──それは、教経さまもご存知なのですか?」

「いいえ。まだ、わたくしの胸におさめています」

「そうですか……」


 教経が同意していないことを知って、玉虫は胸をなでおろした。そうとは知らない按察使局は、自身の見立てを得意げに語り続ける。


「さいわい、小宰相どのには言い寄る殿方こそ多いですけれど、いまだ心に決めた方はおらず、どなたにもつれないご様子。容易になびかない宮中一の美女を妻となされば、教経どのも名が上がるというもの──。そうじゃないかしら?」

「……そういうもの、ですか」

「そういうものよ。わたくしはね、いつもあの子のために、いちばん良い道を考えているのです。あなたには、まだわからないでしょうけどね」

「はい……」


 玉虫には、ほかに答えようがなかった。すると、按察使局はこれ以上はないというくらいの、親しげな笑顔を見せてゆったりと言った。


「──ねえ、玉虫? あなたは以前から教経どのと、ずいぶんと親しくしているそうですね。ああ、それはかまわないのよ。でも、そうであればなおさら、あの子のしあわせのために協力してもらえないかしら。──できるわよね、玉虫?」

「あの、按察使局さま──」

「これは、平家ご一門のためでもあるのですよ」


 玉虫の言葉をさえぎり、按察使局はぴしゃりと言った。


(……ああ、この人は、最初からわたしの話を聞く気はないのだわ。ご自分が思ったとおりに、相手が動くものだと思ってらっしゃる。──それにきっと、わたしと教経さまに間違いがないように、念を押すおつもりで、この話を持っていらしたのね)


 なにを言っても無駄だと悟った玉虫は、せめて唯々諾々と従うつもりはないということを示そうと思った。


「でも、わたしは五節舞など舞ったことがありません。もし、粗相でもしたら……」

「大丈夫です。五節舞は、ひと晩あれば習得できるようなものです。藤大納言どのに、舞師を紹介していただきましょう。さあさあ、玉虫。今夜は忙しいわよ」


 玉虫の抵抗はあっさりと封じられ、按察使局は素早く動きだした。

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