太宰府落ち(二)

「清元──?」


 いぶかる教経に、清元は「お考えください」と重ねて言った。玉虫もなにを言い出すのかと驚いて、兄へ聞いた。


「兄上、なにをおっしゃっておいでなのです。われらとは、だれのことですか」

「われらとは、われらだ。──玉虫、おまえも行くだろう?」

「わたしも? どうして?」


 混乱する玉虫を手で制して、教経は清元へ答えた。


「清元、おれに陣抜けしろと言うのか。いま、ここで一門を捨てて大陸へ行けと? おれがその話を呑むと思ったのか? 見くびられたものだな」

「ご気分を害しましたこと、お詫び申しあげます。……ですが教経さま、よくよくお考えください!」


 そう言うなり、清元はひざをついて頭を下げた。


「この太宰府でも、平家を賊軍と見て討ち果たそうとしている者たちがおります。それに朝廷は、すでに平家討伐の命を出しています。いまなら──」

「望むところだ」


 清元に最後まで言わせず、教経は低くつぶやいた。そして、清元の腕に手をかけて立ちあがらせた。


「清元、おれはいまの状況が気に入っているんだ。都にいたころなら、あるいはその話は魅力的だったかもしれない。──でも、この状況を見てみろ。戦だ、おれが待ち望んだ戦ができるんだ。おれの力を存分に見せてやることができるのに、いまさら大陸へ行く必要があるか?」

「しかし……。しかし教経さま、もはや平家は賊軍なのです」

「それがどうした。勝てば官軍だ」


 鋭く言った教経の目に、玉虫は背筋が寒くなった。


 これまでは、武勇を誇る教経を頼もしいと思ったことはあっても、怖いと感じたことはなかった。それなのにいま、木で鼻をくくったように笑う教経は、ひどく冷たい目をしている。


 清元もおなじように感じたのか、わずかに身体を引いて、それでもかろうじて言いつのった。


「われらには、いつでも唐船の用意がございます。お気持ちが変わりましたら、おっしゃってください。ただちに、お迎えにあがります」

「──気持ちだけ、もらっておく」


 それだけ言うと、教経はいつもの笑顔を見せて帰っていった。


 教経がいなくなったとたん、倉はひんやりと静まりかえり、ジリジリと鳴く蝉の声で満たされた。


 問いかけるように無言で見あげる玉虫へ、清元はおもむろに言った。


「自分は、このまま太宰府に残って、ご一門への後方支援をするつもりでいる。できれば玉虫も、ここへ残ってもらいたい。これ以上の同行は、危険だ」

「これ以上って……。これ以上、まだ動くことがあるのですか?」


 太宰府で再起を図るのだと聞いていた玉虫は、ここを去る前提で話す清元へ疑問をぶつけた。兄は苦い顔をして、玉虫の肩へ手をかけた。


「さっき話していたことを聞いていなかったのか? 平家が朝敵になったことは、すでに太宰府にも伝わっている。いままで平家に味方していた西国の豪族たちが、次々に寝返っているんだ。──ここには、長くいられないだろう」

「そんな……! わたしたちは、どこへ行けばいいのです?」

「だから、玉虫はここへ残れと言っている。わざわざ苦しい旅をすることはない」

「……」


 玉虫の心に、答えはひとつしかなかった。


「わたしは、教経さまのおそばを離れません。木曽殿の女武者のように、どこまでもついて参ります」

「ばかな。いくら待っても、教経さまは、おまえのことなど見向きもしない。あの方が見ているのは──」

「わかっています! でも、わたしは教経さまが好きなんです。……兄上は、どうなさりたいのですか? 教経さまを宋へお誘いしたのはどうしてですか? 無駄だとわかっておいでなら、教経さまとわたしを近づけようとなさらないでください!」


 清元は驚いたように目を見ひらき、そして、うなだれた。


「──おれも……たぶん、おれもあの方を好きなんだろうな。玉虫の気持ちを叶えてやりたいとも思うし、それ以上に、教経さまをお救いしたいと思ってしまう。でも、平家はもう、ただの賊軍なんだ。逆賊なんだよ」

「兄上……」


 どうにもならない現実に、兄も苦しんでいるのだと思った。おなじように苦しい顔をした玉虫に、清元は苦笑いを返した。


「じつは菊王にもおなじ話をしたんだが、あいつも通盛さまについていくと言って、ここへ来ることすら拒んだ」

「菊王が?」

「まったく、おまえたちには苦労させられるよ。──玉虫は、このまま女院さまのところへもどれ。だれかに送らせる。父上と母上には、おれから話をしておく」


 あきれたようにため息をついた清元に、玉虫は頭を下げた。


「ありがとうございます、兄上。わたしは、教経さまを信じています。かならず、都へ帰ることができると」

「……そうだな。おれも、そう願っている」


 玉虫は兄の言うとおり、両親にはなにも言わずに建礼門院のもとへもどった。




 その後、秋も深まった十月のこと。小松家の家人であった豪族が蜂起して、太宰府へ向かっているという報せが入った。


 折しも長雨が続き、その日はとくに雨風が強かった。それでも玉虫たちは、太宰府から海岸を目指して走った。かろうじて帝だけは輿に乗せることができたが、ほかは女院でさえ歩くしかなかった。


 雨とも涙ともわからぬもので顔を濡らし、傷ついた足からは血が流れ、玉虫は男たちから急き立てられるようにして走った。屋敷の奥深くで育ってきた女たちが、顔を隠すこともできずに濡れネズミのように山を下っていく。


(どうしてわたしたちが、こんな目に遭わなければいけないの。わたしたちが、なにをしたの──!)


 小宰相とお互いを励ましあいながら、濃き袴の裾を持ちあげて走る玉虫は、怒りがこみあげてきてどうしようもなかった。


 東国の武士団や、西国の海賊たちの脅威に対して、朝廷は平家の武力を頼りに追討使を編成してきた。それなのに、都を離れたとたん、朝敵として討伐しようとする変わり身の早さが理解できない。


 平家と姻戚関係にある貴族も、都には数多くいるはずだった。


(どうして、どうしてなの? だれもなにも思わないの?)


 あざやかに手のひらを返した朝廷を恨めしく思う気持ちは、玉虫だけのものではなかった。みなが都を懐かしく、呪わしく思いながら海岸を目指していた。


 やがて、平家に味方する豪族が水軍を率いて待つ海岸へつくと、そこから芦屋ノ津まで移動して山鹿城やまがじょう(福岡)へ迎えられた。


 しかし、そこへも軍勢が攻めこんでくるという話が伝わると、玉虫たちはふたたび漂泊し、屋島(香川)へと向かうことになった。

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