福原炎上(二)
玉虫が自分へ心を許したことを感じたのか、小宰相は恥ずかしそうに目を伏せながら用件を切りだした。
「あの……玉虫さま。これからは、ぜひ親しくさせていただきたいと存じています。――玉虫さまは、教経さまとも懇意にしておいでだとか。教経さまは、殿の弟君。そうであれば、玉虫さまとわたくしも、姉妹のようになれたら――と思うのですが……」
「それで、こちらへおいでになったのですか?」
「はい……。殿のほかには、頼るお方もおらず――、かと言って、あちらの北の方さまのご不興をまねくのも、本意ではありませんので……。殿にご相談申しあげましたら、菊王丸という、殿の文使いをしている若者のご兄姉が、以前より教経さまとも親しくされていると伺ったのです」
「そうでしたか、通盛さまが……」
不安に揺れる小宰相の瞳が、玉虫には不憫に思えた。
血縁ではなくても、玉虫には西八条や宮中に勤めているあいだに得た心やすい知りあいが多くいる。それに比べると、すべてを都へ置いてきた小宰相の孤独と不安は、察するにあまりある。
玉虫はひざを進めて、小宰相の手をとった。
「わたしも、親しくお話ができるような方がほしいと思っていました。いつか都にもどる日まで、お互いに助けあいましょう」
「……都へ、もどることができるでしょうか」
「できますとも。平家の方々は、都を追われたわけではありません。そもそも、朝敵ではないのですから、都が落ちつけば、いつでも帰る用意はございます」
玉虫はきっぱりと言い切った。都を棄てることに、いささかの迷いも見せなかった教経の態度も、いまは玉虫の心の支えとなっていた。
(そうよ、わたしたちは、なにも悪いことをしたわけじゃないわ。帝が都におわしては危険だから、西国へ行くだけよ)
玉虫の揺らぎない表情に、小宰相はほっとしたように手を握り返した。
「玉虫さま、ありがとうございます。都を出てから、すっかり弱気になっておりましたけど、玉虫さまの心強いお言葉に、わたくし、安心いたしました」
「それは良かったです。いつでも、お力になりますからね」
力強く励ます玉虫と、それに安堵する小宰相の姿は、どちらが姉で、どちらが妹かわからない。それでもふたりは、お互いを頼りと手を握りあった。
翌朝、摂津の海へ漕ぎ出した玉虫たちは、黒い煙を上げてもうもうと炎上する福原を呆然と見やった。清盛の思い入れも深く、その晩年を過ごした夢の都。平家の権力と財力を具現化した町だった。
それが灰燼に帰すのを、ただ見守ることしかできないことに、みなが悔しい思いを噛みしめた。かならず帰京するのだと、後ろ髪を引かれる思いで海路を進んでいく。
帝や女院が乗る御座船は、明石の浦と淡路島にはさまれた海峡を、ゆっくりと児島(岡山)へ向かって通過した。平家の紅い旗をなびかせる多数の船団に、小さな漁舟たちが驚いて道をあける。
玉虫は小宰相と肩を寄せあいながら、教経と訪れた印南野を遠くにながめた。
(そういえば、西国武者に恋をした姫鬼は、どうなったのかしら)
人と鬼との道ならぬ恋は実ったのだろうか。それとも、武者は勝負がつくなり、姫鬼をふり向きもせずに京を目指したのかもしれない。
玉虫は自分の身に置き換えて、きっとそうなのだと納得した。
(かわいそうな姫鬼。――でも、もしかすると、いまでもあの印南野で、武者の帰りを待っているのかもしれない。いつかは自分を見てくれるかもしれないと期待して……無駄だとしても、そう思ってるはずだわ)
葉桜を見苦しく思いながらも、結局は自分の気持ちにしがみついていることに、玉虫は苦笑した。けれど、このような状況になってしまっては、時忠も玉虫の結婚などという些末なことには構っていられないだろう。
「玉虫さま、どうかされましたか?」
みなが悲壮な顔をしているなか、かすかにほほ笑む玉虫を不審に思った小宰相がたずねた。
「いいえ……。いつか、今日のことを笑いながら話せる日がくるかもしれないと、そう考えていました。きっとこの長い旅も、いい思い出になりますね」
「まあ、玉虫さまったら、ほんとうに頼もしい女人ですこと。わたくしなど、波に酔ってしまって……、もう、つらくてたまりませんのに」
青い顔で口もとを押さえながら言う小宰相の背を、玉虫はやわらかくなでた。周囲を見れば、女たちは一様に目を閉じてつらそうにしている。
「――あら、そう言えば、わたしは平気です。馬の背に慣れているせいかしら。小宰相さまも、じきに慣れますよ」
「そうだといいのですけど……」
「それに、舟に慣れるよりも、都へ帰るほうが早いかもしれませんよ」
玉虫は少しの迷いもなく、いつかは都へもどるのだと信じてさっぱりとした笑顔を見せた。
しかし、玉虫たちが都を去った三日後には平家討伐の命が出され、八月に入ると朝廷は平家の人びとの官職を解いた。帝を連れ去り、三種の神器を持ち去った咎により、一門が朝敵として認められた瞬間である。
これによって、平家の人びとは貴族の特権を失い、有事の際には厳しく罰せられることになる。
平家滅亡まで、一年と八ヶ月前のことだった――。
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