〈第16話〉 騎士様に名前を聞かれました


 アメリアは、クラウドから贈られたドレスに着替える。

 華美な装飾はなく、シンプルなラベンダー色のドレスだ。

 しかし、その肌触りはつい先程まで着ていたボロボロのドレスとはまったく違っていた。

 スカートの丈も、ちゃんと足のくるぶしが隠れる長さだ。

 ドレスにそろえたラベンダー色の靴も、上品でかわいらしい。

 箱の中には、アネモネに似た花の髪飾りまで。

 どれもかなり上質な品のようだが、本当に自分が身に着けても良いのだろうか。

 アメリアは迷いながらも、着替えるのをクラウドは外で待ってくれている。

 せっかくの気遣いを無駄にしてはいけない。


「クラウド様、いかがでしょうか?」


 扉を開けて、外のクラウドに声をかけた。

 すると、アメリアを見た瞬間に彼は鼻血を流し、すぐさまハンカチを鼻に詰め込んでいた。


「て……」

「て?」

「君は、天使か花の女神か……?」

「いえ、クラウド様に救われた、ただの花です」

「そ、そうだな」

「はい」

「とてもよく似合っている。可愛い」

「……っ」


 さらっと「可愛い」と言われ、天使や女神と言われた時よりもドキっとした。

 クラウドから向けられる言葉には、どれだけ心臓があっても足りない気がする。

 唯一の救いだったのは、彼の鼻にハンカチが詰まっていたことだろうか。

 そして、クラウドは改めて家に入り、目を見開いた。

 きれいになった室内に言葉を失っている。


「俺の家とは思えないな。いつもありがとう」

「勝手に物に触れたこと、怒らないのですか?」

「どうして俺が君に怒らないといけないんだ? 俺が散らかして放置していた部屋をこんなにきれいにしてくれたのに。それに、本や資料も整理されて、よくわかりやすくなった。感謝しかない」


 夢中で掃除しながら、思い描いていた笑顔が見られた。

 それだけで、アメリアは嬉しい。疲れも怯えも吹き飛んだ。

 だから、勇気を出して話しかけてみる。


「あの、クラウド様。実は、野菜スープを作ったのです」


 そう言った直後、クラウドの動きが止まった。

 やはり料理はやりすぎだっただろうか。

 アメリアの胸に不安がよぎったが。


「違うからな、これは! 幸せ過ぎて本気で夢じゃないかと、息を止めてみただけだ!」


 ぜぇはぁと荒い息を吐きながら、クラウドが言った。

 少し苦しそうだが、彼はここが現実だと理解してくれたらしい。

 しかし、アメリアも同じ気持ちだ。


(私こそ、クラウド様に出会ってからの日々がすべて夢のようです)


 アメリアはクラウドに野菜スープを注ぎながら、これが日常になればどれだけ幸せだろうかと思う。

 現実は、アメリアの素性が明るみになるまで、魔法を使えなくなるまでの期間限定の夢だ。

 クラウドのためには、きっと今すぐ正直に話すべきなのだろう。

 しかし、アメリアの口からは関係ないことばかり紡がれる。


「クラウド様、お口に合いますか?」

「あぁ。とても美味しい。人生で食べた中で一番だ」

「それは、言い過ぎです……でも、よかったです」


 過剰評価だと分かっているが、クラウドに喜んでもらえてよかった。

 アメリアはふわりと笑みをこぼす。


「かっ、可愛すぎる……っ!」


 クラウドが何やら口元を抑えてもごもご言っていたが、アメリアには聞き取れなかった。

 何かスープに異物が入っていたのだろうか。

 心配になって、食卓の向かい側からクラウドの様子を伺う。


「クラウド様?」

「……ずるいな」

「……?」

「君ばかり、俺の名を呼んでいる。俺も、君の名を呼びたい。俺にはその資格があるはずだ」


 ――君を人の姿に変えたのは俺の愛情なのだから。


 ふと真顔になったクラウドが、そんなことを言い出した。


(私の名前を伝えれば、きっと素性が分かってしまいます)


 今、男爵令嬢である自分はどういう立場になっているのだろう。

 一緒に駆け落ちしたローレンスのことも気になる。

 彼が家に戻ったとすれば、アメリアのことはなんと話しているのだろう。

 どちらにせよ、きっといい噂にはならない。

 それだけは確かだ。

 こんなにもアメリアのことを甘やかしてくれるクラウドだが、家を捨てて男と駆け落ちした女だと分かれば軽蔑される。

 自分でも、あの時の行動力にはいまだに驚いているのだ。


「俺には名前を呼ばれたくないか?」


 赤い双眸が、切なげにアメリアを見つめる。


「そんなことはありません! ただ、私は花なので……アネモネという名前しか持っておりません」

 

 とっさの言い訳にしてはうまくかわせたのではないか、とアメリアは思った。

 しかし、その言葉を聞いたクラウドは少し傷ついたような表情をしていた。


(私も、クラウド様に名を呼ばれたいです……けれど、まだ離れたくないのです)


 アメリアなんて名前、きっとどこにでもある。

 家名を伝えなければいいだけだ。

 そう思っても、彼は魔法騎士で、おそらくアメリアが人であると気づいている。

 髪色などの特徴により、調べればきっとすぐに分かるだろう。

 クラウドと一緒にいたい。

 その願いが、恋心が邪魔をして、アメリアはクラウドに嘘をつくことしかできない。


「俺が悪かった。そんなに思いつめたような顔をしないでくれ」


 クラウドに謝らせたい訳ではなかった。

 謝らなければならないのはアメリアの方だ。


「君の作ったスープが冷めてしまうな。残りも全部持ってきてくれ」

「……はい」


 クラウドは、何度も美味しいと言いながら、スープを完食した。

 本当に美味しそうに食べてくれるクラウドを見ているのは、アメリアにとっても幸せだった。

 そして、クラウドはアメリアのために買ったものを見せてくれた。

 衣類や寝具、宝飾品、お菓子など、生活に必要と思われるものから贅沢品まで、たくさんの物を購入していた。

 その中には裁縫道具もあって、刺繍糸の種類も豊富だった。


「こんなにたくさん、いただけません」

「君に使ってもらえないとなると、捨てるしかなくなる。俺がまたこの部屋を散らかしてしまう前に、君がもらって保管してほしい。君のおかげでスペースはたくさんできたからな」


 クラウドは悪戯っぽく笑う。

 初めて見るクラウドの表情に、また胸がきゅんとした。

 しかし、アメリアには彼の優しさをまっすぐに受け取る資格なんてない。


「私なんかのために、どうしてここまでしてくださるのですか?」

「君の喜ぶ顔が見たいから。それだけでは理由にならないか?」


 クラウドの顔は真剣で、嘘を言っているようには見えない。

 彼はとても誠実で、まっすぐだ。

 それに比べて、アメリアはクラウドの前で嘘をついてばかり。


「君だって、俺のために家のことをしてくれて、料理まで作って待っていてくれた。それだけで、俺がどれだけ救われているか」

 

 太陽のようなあたたかな笑顔に照らされて、アメリアは自分で作った枷を外すことを決めた。


「……アメリア、です」


 ただ名乗るだけなのに、息が苦しくなる。

 もう今日が最後かもしれない。

 そんな思いを押し込めて、嘘ではない自分の欠片をクラウドに見せる。


「アメリア」


 耳がとけてしまうかと思った。

 それほどまでに、クラウドから紡がれた名前は甘く響いた。


「アメリア」


 そんな調子で何度も呼ばれて、アメリアは顔を赤くすることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る