〈第4話〉 一目惚れをした花が可愛すぎた

 その日、クラウドは魔獣の気配を感じて林に向かった。


(何故、こんな場所に魔獣が……?)


 魔獣が好むものなど何もなさそうな辺鄙な林道である。

 不思議に思ったが、それは現場に行ってすぐに分かった。

 オオカミの魔獣が狙っていたのは、青紫色の花弁を持つ可憐なアネモネの花。

 それも、ただの花ではない。


(人間が花に姿を変えているのか)


 クラウドの赤い瞳は、魔眼だ。

 魔力を視認することや、魔法の本質を見抜くことができる。

 だから、アネモネの花の正体が人であることに気づけた。

 魔獣が惹かれたであろう、強い魔力も。

 どうして変身魔法を使っているのか――追及するのは後だ。

 クラウドは剣を構え、一足飛びで魔獣に向かった。

 一撃で仕留め、震える彼女を振り返る。


「怖かっただろう。もう大丈夫だ」


 クラウドは、できるだけ彼女と同じ目線になろうとしゃがみ込む。

 そして、雷でも落ちたかのような強い衝撃を受けた。

 

(なんて、可愛らしい人なんだ……!)


 魔眼を意識して使えば、遠目では分からなかった彼女の姿がはっきりと見える。

 肩で切り揃えられた青紫色の髪は柔らかそうで、大きく零れ落ちそうなアメジストの瞳は澄んでいる。

 彼女を視認した瞬間から、心臓が暴れ出してとまらない。

 それは、クラウドにとってあまりにも強烈な一目惚れだった。

 二十五年間、クラウドの人生に恋愛というものは存在しなかった。

 両親や同僚にも心配されるほど、女性と縁のない生活をしてきた。

 社交の場で積極的にアピールしてくる女性たちが苦手だったし、彼女らとダンスを踊るくらいならば訓練をしていた方がましだと社交の場にもほとんど顔を出していない。

 そんな自分が、まさか一目惚れをする日がくるなんて、夢にも思っていなかった。

 しかし、恋とは不思議なもので、落ちてしまえばそれまでの価値観など簡単に消え去ってしまう。

 今までの自分であれば、どうして花の姿でこんな場所にいるのか、騎士として問いただしていただろうが――。


「美しい花が魔獣に踏み荒らされずに無事でよかった」


 クラウドは、あくまでも花だと思っているふりを続けることにした。

 彼女は魔獣に襲われ、怖い思いをしたのだ。

 今すぐに追及せずともよい。

 というのは言い訳で、彼女に怖がられたくないというのが一番の理由だった。

 暴れる心臓を落ち着かせるためにも、魔眼を使うこともやめる。

 そうしなければ、彼女に触れることなどできない。


「こんなところで咲いていては、また襲われるかもしれない」


 彼女が傷つかないようにそっと、優しく、クラウドはアネモネの花に触れた。


(花の姿だとしても、美しいな)


 一度見てしまった彼女の姿が忘れられない。

 そんな彼女を今、自分の両手で包んでいるのかと思うと、緊張で変な汗が出てきそうだ。

 クラウドは家路を急ぎながら、手の上の彼女のことは意識しないよう別のことを考える。

 彼女は何故、あの場所で花の姿になっていたのだろうか。

 人気のない荒れた林道に、若い女性が一人でいるのは危険だ。

 花としてでもこんなにも可憐で美しいというのに。

 よく今まで無事だったものだ。

 クラウドには本来の姿は魔眼で見えても、彼女の思考を読むことはできない。


(この美しい人を守りたいと思って、ここまで来てしまったが……)


 いきなり現れた男に、どこかへ連れて行かれようとしているのだ。

 もしかしたら怯えているかもしれない。

 しかし今、変身魔法を解かず、逃げ出さないということはこの状況を受け入れていると考えてもいいのだろうか。

 自分が魔法騎士団の騎士であることを明かせば、少しは安心してもらえるかもしれない。

 クラウドの中に彼女を再び林道に置いて行くという選択肢はなかった。

 どうすれば彼女と一緒にいられるのだろう、ということを考えているうちに家に着く。

 そして、扉を開けて絶句した。


(完全に忘れていた……汚部屋のことを)


 きっと、彼女もばっちり見てしまっただろう。

 苦し紛れの言い訳を口にして、クラウドはベッドに彼女を横たえる。

 空いたスペースがここしかなかったからだ。

 しかし、自分のベッドに好きな女性がいる、というのは思っていた以上に破壊力抜群だった。

 表面上は平静を装いながらも、心臓が飛び出しそうだった。

 今、絶対に魔眼を使ってはいけない。

 彼女を守りたいと思っている自分が一番の危険人物になってしまう。

 

(頭を冷やそう……)


 このまま同じ空間にいたら、いつ理性が崩れるか分からない。

 クラウドは水差しを探そうとベッドを離れた。

 そして、頭に浮かぶ変な想像を消すために食器棚に頭をぶつける。

 煩悩が消えるまでにいくつか食器を壊してしまった。

 ようやく冷静になれたクラウドは、大きめの花瓶を見つける。

 花だと思っているふりをするなら、水差しよりも花瓶の方が良いかもしれない。

 クラウドはまだ、花の姿の彼女とどう接するべきなのか決めかねていた。


(それにしても、いつから花になっているのだろうか……魔力が尽きない限り生命維持は可能だろうが、心配だな)


 花の姿では食事もろくにとれないだろう。

 脳裏に焼き付いている彼女の姿は、かなり華奢だ。

 このまま何も飲まず食わずでは、魔力が切れる前に体調を崩してしまうだろう。

 人の姿に戻った時の反動は大きいはずだ。

 そう考え、クラウドはストックしておいた魔法薬を取り出す。


『癒し、与えよ』


 飲料水を貯めた花瓶に魔法薬を入れる。

 これで不足している栄養分を補えるはずだ。

 本当は食事をとってほしいが、花に人間の食事を与えようとすればさすがに気づいていることに気づかれてしまう。

 まだ自分たちは会ったばかりだ。

 彼女の信用を得るまでは下手に踏み込まない方がいいだろう。


「申し遅れた。俺は、リナレス王国魔法騎士団のクラウド・シャトーだ」


 まずは自己紹介だ。

 魔法騎士団の騎士という肩書が彼女を安心させられることを心の内で祈る。

 汚部屋を見られた後だが、少しでも彼女に良い印象を与えたかった。


(あぁ、早く彼女の名も知りたいな)


 声が聞こえないのがもどかしい。

 きっと、声も可愛いのだろう。

 あの美しいアメジストの瞳に自分を映してほしい。

 だが、彼女が花の姿でなければ、自分は落ち着いて自己紹介などできなかっただろう。

 そうしてクラウドは彼女に声をかけ、床に寝転がる。

 彼女が気にしないように寝たふりをしたが、もちろん一睡もできなかった。


 ***


 翌日、騎士団の屯所で仮眠をとり、クラウドは仕事をはじめた。

 しかし、彼女のことが気になって仕方ない。

 クラウドがいない間にどこかに消えてしまう可能性だってあるのだ。


(勝手に連れ帰った俺に、引き留める権利はないしな……)


 一刻も早く帰りたい。

 任務のために借りたあの家に帰りたいと思うなんて、初めてのことだ。

 クラウドの屋敷は王都にあり、このコラフェル地方に来たのはとある調査のためだった。


「昨日の魔獣について何か分かったか?」

「まだ調査中よ。それにしても、何をソワソワしているのかしらぁ?」

「……黙秘する」

「あらあら、クラウドには珍しく面白いことがありそうじゃない」


 表情を硬くしたクラウドをからかうように笑うのは、ジュリアン・メディルク。

 同じく魔法騎士団に所属する、クラウドの友人だ。

 長い金茶色の髪は緩く編み込み、サイドに赤いリボンでまとめている。

 深緑の瞳、通った鼻筋、薄い唇。そのすべてに程よく化粧が施されており、本人の語り口調からも女性だと思われることが多いが、れっきとした男である。

 巫女の家系に生まれ、周囲に女性が多かったことが影響しているのだとか。

 代々騎士の家系で、物心ついた頃から剣を握っていたクラウドとは、育ってきた環境が違う。

 それでも、騎士学校で何故かよく一緒にいるようになり、今もこうして同じ魔法騎士団に所属している。

 不思議な縁もあるものだ。


「まさか、好きな子でもできたの?」

「っな、そんな、ことはないっ!」

「う、嘘でしょ!? 図星ぃ!? あの、女の手を握るよりも剣を握っている方が良いって真顔で言ってたクラウドが!?」

「よく覚えているな、そんなこと」


 面倒なことになった、とクラウドはため息を吐く。

 ジュリアンはクラウドと違って恋愛経験があり、恋バナも好きだ。

 クラウドが恋愛に興味がないことを知っていながら、恋愛の話ばかり延々と聞かされた時は何の拷問だと思ったものである。

 しかし、初めての恋に落ちてしまった今、それだけ夢中になる理由もなんとなく分かった。

 彼女の可憐さについてであればいくらでも語れる気がする。

 とはいえ、彼女の魅力は自分だけが知っていたいという独占欲も芽生えていた。


「それで、どんな子なの?」


 ジュリアンが目をキラキラ輝かせて聞いてくる。

 彼に嘘は通じないと分かっているので、できる範囲で答えることにした。


「……青紫色のアネモネだ」

「はぁ?」

「それ以上の情報はない。とにかく、美しい花だ」

「え、ちょっと待って。理解できない。あんたついに女じゃなくて花を好きになっちゃったの?」

「俺は仕事に戻る。調査結果が分かり次第、連絡をくれ」


 これ以上話していたら、色々とボロが出そうだ。

 クラウドは嘘を吐くのが苦手なのだ。

 だから、無理やり話を終わらせて、背を向けた。

 まだジュリアンは何か言っていたが、すべて無視した。


(本当に、俺が見た彼女は花の精霊だったのかもしれないな……)


 いまだに信じられない。

 あんなに美しく、可憐な女性がこの世に存在しているなんて。

 しかし、幻ではないと思いたくて、いつもより早く仕事を片付けて帰路についた。


「彼女がいますように。彼女がいますように……」


 心の声が口に出ていることには気づかずに、クラウドは緊張しながら家の扉に手をかけて、おもいきり開いた。

 そして、ゴツンと頭をぶつけて痛みに呻く。

 顔を上げた時には、目の前の光景に驚いた。

 物は動いていないし、減ってもいない。

 しかし、明らかに部屋の空気が違う。


「部屋が、きれいになっている……?」


 家を空けている間に、勝手にきれいになるはずがない。

 そういう魔法をかけていたなら別だが、クラウドは戦闘向けの魔法しかうまく使えないのだ。

 日常生活に役立つ魔法は、ジュリアンの方が得意だろう。

 クラウドでないのなら、一体誰が――その答えは、一つしかない。


(まさか、彼女が……?)


 ベッドの上に眠るアネモネの花を見つけた途端、胸に安堵が広がった。

 もういないかもしれないと思っていた彼女が、まだこの家にいてくれる。

 それだけでも嬉しいのに、ホコリまみれだった家の掃除までしてくれた。

 本来ならば、住んでいるクラウドがすべきことなのに。

 だから、心からの礼を伝えた。

 そして、彼女がどんな表情をしているのかが気になって、ほんの少し魔眼を使った。

 大きな瞳を潤ませ、彼女はじっとクラウドを見ていた。


「君は、本当に美しい」


 このまま、可憐な彼女の唇を奪ってしまいたい。

 そんな危険な思考に支配され、すぐに魔眼を閉じた。


(君は可愛すぎて、理性を壊す危険な花だな……)


 果たして、いつまで我慢できるのか。

 二日目にして自信がなくなったクラウドであった。

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