〈第3話〉 騎士様への恩返しに掃除を始めました
半年ぶりにベッドに横たわったせいか、花の姿ではあるがアメリアはぐっすり眠れた。
そう、眠ってしまったのだ。
(私ったら……花の分際でベッドを占領した挙句、熟睡するなんて!)
目が覚めた時、すでにクラウドはいなかった。
きっと仕事に行ったのだろう。
居候の身でありながら、何たる失態!
(もしお義母さまだったら、きっと鞭打ちされていたでしょうね)
男爵家では、何か失態があれば継母に鞭で打たれていた。
痛い思いをしたくなくて、アメリアは継母が眠っている早朝の間にその日の仕事を確認し、こなすようにしていた。
もちろん、日中は日中で継母から言いつけられることがあるので休めない。
よく命じられたのは、アメリアが得意としていた刺繍だ。
外向きには「慈善事業に精を出す心優しい男爵夫人」を演じていた継母は、アメリアが刺繍したハンカチやクッションカバーなどを自分の作品だと嘯いてフリーマーケットに参加していた。
しかし、慈善事業で誰かのためになるのなら、アメリアは喜んで刺繍をしたものだ。
慈善事業で得たお金の大半が、継母の個人資産になっていると知るまでは。
(駄目ですね。思い出したら、気分が暗くなってきました)
ここは男爵家ではないのだ。
気にすることは継母のことではない。
アメリアを美しい花だからと、魔獣から救い、安全な家に連れ帰ってくれた騎士クラウドのことを一番に考えなければ。
命の恩人である彼に、アメリアは恩返しがしたい。
(それにしても、明るい時に見るとやはりすごいですね……)
陽の光が差し込み、ホコリが宙に舞う様子がよく見える。
こんなにも掃除のやりがいがある部屋はないだろう。
男爵家で毎日のように掃除をしていたアメリアは、うずうずしていた。
(少しぐらいなら、大丈夫ですよね?)
部屋がきれいになれば気持ちがいい。
クラウドのために自分ができることといえば、家事くらいだ。
どうにか人の姿に戻って部屋をきれいにしたい。
覚悟を決めて、アメリアは人の姿に戻りたいと心の内で願う。
すると、林道で何度か戻ろうとした時には反応がなかったのに、反応がなかったのが嘘のようにアメリアの体はあたたかな光に包まれる。
「……っ!?」
無事に元の体に戻れたものの、声が掠れすぎて出なかった。
半年間、花の姿で飲まず食わずだったのだから、当然といえば当然だ。
喉の渇きに耐えられず、アメリアはベッドサイドに置かれていた花瓶の水を手ですくう。
しかし、半年ぶりの自分の体はなかなか思うように動かせない。
震える手でなんとか水を口に運ぶ。
「っはぁ……」
とても美味しい水だった。
気づいた時には、花瓶の半分ほどの水を飲んでしまっていた。
「いくら何でも飲みすぎてしまいました。でも、なんだか身体がとても軽くなったような気がします」
つい先程まで重く硬かった自分の体が軽くなった。
それだけでなく、気力も湧いてきた。
この美味しい水のおかげだろうか。
花のために用意した水がこんなに美味しいとは驚きだ。
もう一度、花瓶の水を覗き込むと、人の姿に戻ったアメリアの顔が水面に映った。
半年ぶりに見る自分の顔に、アメリアはため息を吐く。
「花としては美しくとも、人としては全然駄目ですね」
継母に毎日のように醜い顔だと言われ続けていたせいで、アメリアは自分の容姿には全く自信が持てない。
ふわりと頬のあたりで揺れる青紫の髪は、貴族令嬢とは思えない短さだ。
社交界に出ることもなく、屋敷で仕事を押し付けられていたため、長い髪は邪魔でしかなかった。
長く美しい髪というのは、手入れもとても大変なのだ。
令嬢たちがこぞって長い髪を自慢とするのは、それだけ美容に惜しみなく金と時間を使えるアピールでもあるのだろう。
アメリアも母が生きていた頃は、腰までの長い髪を持っていたけれど。
貴族令嬢としての面影のない今の自分は、美しさの欠片もない。
小さすぎると言われた顔も、唇も、ちょこんと乗った鼻も、自分の容姿が好きにはなれない。
それでも、母と同じアメジストの瞳だけは好きだ。
クラウドに美しいと言われてときめいたが、それは花であってアメリアではない。
今のアメリアの姿を見て、美しいと思う人がいるはずがない。
勘違いしないようにしなければ。
クラウドは花相手にも惜しみなく誉め言葉を口にする人のようだから。
「さて、どこから始めましょうか」
改めて、アメリアは部屋を観察することにした。
手狭な玄関ホールを抜けると左手に一室あり、そこを寝室兼書斎として使っているようだ。
資料が本棚に収まりきっていないし、書類が積み上げられている。書き損じや不要になった書類のようだが、重要な書類が混ざっているかもしれない。
アメリアは書類にはまだ手をつけずに、玄関ホール右手のキッチンへと向かう。
キッチンには食器棚と食卓があるが、食器棚は整理されていないし、食卓の上は料理を置くスペースもないほどに散らかっている。
花の姿で見えた現状よりも酷いかもしれない。
本当は隅から隅まできれいにしたいが、クラウドにバレてはいけないのだ。
こっそりと、あくまでもほんの少しきれいにするだけ。
床に散らばっている物はあまり動かさない方がいいだろう。
となると、できることは限られてくる。
「とにかく、このホコリを何とかしましょう」
アメリアは早速、部屋の窓を外から気づかれない程度に開けた。
そして、自分の着古したドレスの裾をおもいきり引き裂く。
小柄なアメリアでも、日々の家事により腕力には自信がある。
それに、もうボロボロの布地だから、布の繊維も飛び出して、裂けやすくなっていた。
そうして布地をさらに細かく裂き、簡易的なはたきを作る。
とはいえ棒はないので、手でぎゅっと端切れを持ち、ホコリをはたいていく。
本棚、窓際、物であふれた食卓、使われた形跡のない水回り……床に散らばった書類や衣類などを避けながら、部屋中のホコリを落とした。
ある程度は端切れにホコリが付着しているが、落としたホコリが床にかすかに積もっている。
非常に気になる。
アメリアはまたさらにドレスの裾をちぎり、雑巾代わりに使う。
「……はっ! 大変です、夢中になって磨きすぎました」
気が付いた時には、昨日の部屋との違いが一目瞭然なほどに床がピカピカになっていた。
しかし、物は動かしていない。
ただ、室内のホコリっぽさが消えて、床が昨日よりも輝いているだけ。
父はアメリアが一生懸命に掃除していても、どこがきれいになったのか気づいたことはなかった。
男性はそういった変化には鈍感なものなのだろう。
だからきっと、クラウドも気づかないはず。
「そういえば、クラウド様はいつお帰りになるのでしょう?」
窓の外を見ると、すでに夕陽が上っていた。
この家は街はずれにあるが、周辺にも民家は建っている。
家路につく人々の声が聞こえてきて、アメリアはハッと顔をあげる。
一番気にしなければならなかったことに、今、気づいてしまった。
騎士の勤務時間や形態など、アメリアが知るはずもない。
掃除している間に帰宅する可能性だってあったと思えば、ゾッとする。
クラウドから見れば、アメリアは侵入者だ。
たとえ、クラウド自身が家にアメリアを入れたのだとしても。
「クラウド様に恩返ししたいと思いながら、ご迷惑をかけてしまうところでした」
ぎゅっと雑巾を握りしめ、しゅんと俯いた。
そして、またしても自分の失態に気づく。
「……これ、どうしましょう!?」
ホコリまみれのはたきと真っ黒になった雑巾。
昨日までこの家にはなかったものだ。
見つかってはいけない。
どこへ隠そうかと考えている間に、外から話し声が聞こえてきた。
クラウドの声のようだ。
とっさにベッドの下にはたきと雑巾を隠し、アメリアはペンダントに願いを込める。
ふわりと光に包み込まれ、アメリアは花の姿に変身した。
ひとまず、花の姿に変われたことにホッとする。
(お母様、ありがとうございます)
アメリアが変身した直後、ガチャリと扉を開ける音がした。
間一髪である。
そして、ゴツン、と小気味いい音がした。
「っく……」
またしても入口で頭をぶつけたクラウドが、痛みに呻きながら家に入ってくる。
そして、室内を見回して、その赤い瞳を大きく見開いた。
「部屋が、きれいになっている……?」
クラウドが思わずこぼした問いかけに、アメリアの心臓は盛大に暴れた。
(やっぱりバレてしまいましたぁぁぁ……っ!)
家を空けている間に部屋がきれいになっているなんて、不気味でしかないだろう。
きっと、恩返しどころか怖がらせてしまった。
命の恩人に迷惑をかけたいわけではなかったのに。
不審者として捕まるのを承知で姿を現し、謝罪した方がいい。
アメリアが罰せられる覚悟を決めた時。
「美しい花がこんなにも部屋をきれいに見せてくれるなんて」
と、クラウドは感動していた。
瞳が潤んでいるように見えるのは気のせいだと思いたい。
(もしかして、花があるおかげできれいになったと勘違いしてくださっているの?)
たしかに花を飾ることで、室内を華やかに見せることはできるだろう。
だが、思い出してほしい。
アメリアは今、花であるのに花瓶に活けられているわけではなく、ベッドに寝かされているのだ。
それに、華やかに見せるにも限度がある。
掃除前と後では明らかに部屋の空気も見た目も違っている。
勘違いされたのはありがたいが、彼は本当に花をなんだと思っているのだろう。
まさかの反応をもらってしまい、アメリアは姿を現すタイミングを逃してしまった。
唖然とするアメリアのことなど知らず、クラウドはベッドに近づいて膝をつく。
赤い双眸にじっと見つめられると、ドキドキして落ち着かない心地になる。
「ありがとう」
優しく微笑んで、クラウドは感謝の言葉を口にした。
その笑顔が、言葉が、あまりに嬉しくて、今は花なのに泣きそうになった。
今まで、屋敷の仕事をしても、お礼を言われたことなんてなかった。
それはアメリアの仕事で、やって当然のことだから。
ねぎらわれることなどないものだった。
その仕事も本来は使用人にやらせるべきものだったが、給料を支払いたくないという理由で継母が全員クビにしてしまっていたのだ。
だから、こんな風に感謝を伝えられることは初めてで、胸がいっぱいになる。
「君は、本当に美しい」
優しい低音が花弁にかかり、ドキドキする。
もし今、人の姿であったなら、アメリアはおもいきり赤面していただろう。
こんなキスができそうな距離に、クラウドの端正な顔があるのだから。
(クラウド様……かっこよすぎて、危険な人です)
それから、クラウドが着替えをして、また床で寝てしまうまで、アメリアの心臓が落ち着くことはなかった。
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