〈第42話〉 責任ある男として、理性を最大限動員した

 あたたかく、柔らかな感触。ほのかに漂う、ラベンダーの香り。

 ふわふわとした手触りが、穏やかなまどろみの中でくすぐったくもある。

 久しぶりにぐっすりと眠れたような気がする。


(ずっと、このまま眠っていたい、な……っ!?)


 だんだんと意識が覚醒してくると、くそ忙しい今、熟睡している場合ではない。

 ハッとしてクラウドが目を開けると、そこにはとんでもなく可愛らしいアメリアの寝顔があった。


(なっ、これは幻覚!? 俺はまだ夢を見ているのか!?)


 脳内でパニックを起こしながらも、だんだんと今の状況を脳が理解しだす。

 今、クラウドが抱き枕のように腕にすっぽりと閉じ込めているのは、愛しいアメリアだ。

 人肌のぬくもりを感じ、夢ではなく現実なのだと突きつけられる。

 自分は一体なんてことをしてしまったのか。

 夢ならばどれだけよかったか。

 クラウドはバクバクとうるさい心臓と、離れがたいアメリアの感触を無理やり忘れて、ベッドから起き上がる。


「~~~~っ!」


 そして、顔を覆い――無言で悶えた。

 夢うつつに堪能していた柔らかいものはアメリアの体で、ふわふわとくすぐったかったのはアメリアの髪で。

 さらには無防備な寝顔が目の前にあった。

 まるで天使のようだ。いや、天使よりもはるかに可愛いはずだ。

 寝間着越しではあるが、ここまで密着していたのに、よくぞ冷静さを取り戻した! と自分を褒めたい。

 そう、鉄仮面の副団長として部下に恐れられている自分が、こんなところで取り乱してはいけないのだ。

 顔は耳まで、いや、全身赤くなっている自覚はあるが、眠るアメリアを抱き寄せてキスをしたいという欲望を無理やり抑え込んだのだ。

 よく耐えた方だろう。


(昨日は……アメリアから連絡をもらって、何故か寝室に案内されて……ひ、膝枕を……っ!)


 昨夜のことを思い出して、クラウドはおもいきり自分の両頬を両手でバチンと叩いた。

 危ない。またもや理性が飛びかけた。

 はぁはぁと息も絶え絶えになりながら、クラウドは自分がアメリアに襲い掛かってやしないかと記憶をたどる。

 が、膝枕までの記憶しかない。

 おそらく、彼女の膝でそのまま寝てしまったのだろう。

 なんてもったいない。

 もっとあの柔らかな膝を堪能しておけばよかった! ……と、そうではない。

 一体どうしたものか、とクラウドが頭をがしがしかいていると、背後で動く気配がした。


「あっ、私、眠ってしまっていたのですね……申し訳ございませんっ!」


 振り返ると、頬を赤く染めて謝るアメリアがいた。

 可愛い。思わず、クラウドは抱きしめるために手を伸ばしかけ、寸でのところで止めた。

 ばつが悪すぎて、クラウドはその手を上にあげて伸びをしてみせる。

 かなり不自然だが、誤魔化せただろう。


「アメリアが謝ることはない。悪いのはあなたの膝が心地よすぎて眠ってしまった俺だ」

「そ、そんな……けれど、本当によく眠れましたか?」

「あぁ。こんなにすっきりとした目覚めは久しぶりだ。疲れも吹き飛んだよ。ありがとう」

「それはよかったです!」


 満面の笑みを浮かべるアメリアが可愛すぎて、再びクラウドは不自然な位置で伸びをすることになってしまった。

 そして、気持ちを切り替える。

 真剣な眼差しでアメリアを見つめ、クラウドは頭を下げた。


「クラウド様?」

「正式に婚約もしていないうちに、未婚の女性と同衾するなど、騎士としても男としても最低だ。本当に、申し訳なかった!」


 クラウドを心配してここまでしてくれるアメリアに甘えて、男として、騎士としての節度を守れなかった。

 彼女を大事に思えばこそ、ちゃんとした段取りを踏むつもりだったのに。

 甘くて優しい誘惑に抗うことができなかった。


「それを言うなら、クラウド様を誘ったのは私です。本当はクラウド様が眠ったのを確認したら別の部屋で眠る予定でしたのに……私こそ、淑女としての節度に欠けていました」


 慌てて頭を下げようとするアメリアを制して、クラウドは言葉を続ける。


「説得力に欠けるかもしれないが、俺は女性の誘いに乗って軽々しく寝室に足を踏み入れる男ではない。愛しているアメリアだから、甘えてしまった。だが、あなたが俺にここまで許してくれているということは、この先の将来も俺とともに歩んでくれると思ってもいいだろうか?」


 互いに気持ちは確かめ合った。

 しかし、互いの将来についてはまだ何も話せていない。


「アメリア。俺は舞踏会で、あなたに求婚するつもりだ」


 クラウドの言葉に、アメリアは息をのんだ。

 そして、美しいアメジストの瞳に涙が浮かぶ。

 喜びの涙であるとうぬぼれてもいいだろうか。


「もう一度聞く。俺と、舞踏会に参加してくれるか?」


 クラウドが屋敷になかなか帰れなかったのは、仕事の処理だけでなく、アメリアとの婚姻を進めるための根回しをしていたからだ。

 すでに国王には話を通しており、婚姻誓約書も作成済みだ。

 両親にも手紙で連絡し、許可を得た。

 もし舞踏会でアメリアに断られたら、自分が笑い者になる覚悟ですべてそろえている。

 本当は事前に伝えるつもりはなかった。

 しかし、責任をとる気もないのに未婚女性と同衾する不誠実な男だと思われたくなかったのだ。

 クラウドは、騎士団で陥った窮地以上に緊張して、アメリアの答えを待つ。


「……クラウド様、大好きです。私を、この先もずっと、あなたの隣に置いてください」


 きれいな丸い瞳を涙でうるませながら、アメリアは何度も頷いてくれる。

 その言葉を聞いた瞬間、もう我慢などできなかった。

 華奢な彼女の体を抱きしめて、濡れた瞼に口づけて、ふわふわの髪を指ですいて。


「アメリア、愛している。あなたを早く私の妻だと言って回りたい」

「それは、恥ずかしいです」

「あぁ、本当に可愛い。事実上の妻なんだから、もう妻として舞踏会で紹介しようか」


 この腕に閉じ込めた、可愛すぎる女性が自分の妻。

 緩む口元を抑えきれず、クラウドは自分でも驚くほど上機嫌に笑っていた。

 しかし。

 幸せに浸っていたところへ、突如として侵入者が現れる。


「クラウド! 嫁入り前の娘になんてことしているの!?」


 扉をバン! と開け放ち、クラウドを一瞬で真顔に戻したその人は……。


「母上っ!? 何故ここに……」


 シャトー伯爵家の領地で暮らしているはずのクラウドの母――グロリアだった。

 黒茶色の髪に、キリリとした紫の瞳。

 きつい印象を与える顔立ちの母は、その見た目通り厳しい面も持つ。

 落ち着いてから紹介しようと思っていたのに、何故ここにいるのだろうか。

 母の登場に、アメリアがびくりと震えた。

 アメリアをなだめようと手を伸ばすが、その前に腕の中から抜け出されてしまう。


「お、お初にお目にかかります。アメリア・ディーナスと申します。クラウド様には本当にいつもお世話になっていて、その、とにかく感謝しております。このような姿でのご挨拶となってしまい、申し訳ございません」


 母を前にして、アメリアはたどたどしくもきれいな仕草で挨拶をした。

 その様子に、少しだけ母の吊り上がった目じりが下がる。


「アメリアさん。あなたに会いたくて、わたくしは前倒しで帰ってきたのよ」

「私に、ですか?」

「えぇ。クラウドったら、どんなにきれいなご令嬢を前にしても鉄面皮で、一時は男色家なんじゃないかと噂されたこともあったのよ。そんなクラウドから愛する人ができた、結婚したい、なんて連絡をもらって、気にならない訳ないじゃない? ねぇ?」


 過去のあれこれをアメリアに暴露されて、クラウドは額を抑える。

 これまで母が持ち掛けた縁談話をすべて無視し、挙句社交界にも顔を出さなくなったことの腹いせだろう。

 そんなことにアメリアを巻き込まないでほしい。


「でも、想像以上に可愛らしいお嬢さんで、良い子そうで安心したわ。クラウドがあなたに夢中になるのも分かるわ。食べちゃいたいくらい可愛いじゃないっ!」


 アメリアを気に入ってくれたようで何よりだ。

 しかし、アメリアはどう反応すればいいのか困っている。


「母上、アメリアが怯えている」

「あら、ごめんなさいね」

「いえ、その、ありがとうございます」

「本当に可愛いわねぇ~。そうだ、クラウド。明日の舞踏会まで、アメリアちゃんをわたくしに任せてくれる?」


 母はきつい見た目をしているが、可愛いものには弱いのだ。

 アメリアの可愛さが伝わったのは嬉しいが、独り占めにできないのはそれはそれで悔しい。


「は? 何を考えているんです?」

「だって、アメリアちゃんは社交界デビューになるんでしょう? 男のクラウドが教えてあげられることはないでしょうし」


 その提案には、アメリアも目をきらめかせていたから、クラウドは渋々了承した。

 おかげで、次にクラウドがアメリアに会えるのは、舞踏会当日、会場でということになってしまった。

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