〈第25話〉 彼女のおかげで好物ができた


 クラウドが贈った淡いピンク色のドレスに、白いエプロンをかけて、アメリアがキッチンに立っている。

 トントントン、と包丁が軽快なリズムを刻む。

 その度に、クラウドは彼女の手が切れたりしないかと冷や冷やしてしまう。

 しかし、彼女の手つきは慣れたもので、その心配は杞憂に終わる。


「何か手伝えることはあるか?」


 着替えを終えて、身体も清めた。

 汗臭いままで彼女の側に立つのははばかられたので、すぐさま全身洗い流した。

 その上で、クラウドはキッチンにいるアメリアに声をかける。


「いいえ。クラウド様はお仕事でお疲れでしょうから、ゆっくり休んでいてください。もう少々お待ちくださいね」


 天使のような微笑みで言われては、逆らえなかった。

 クラウドは大人しく引き下がり、こっそりアメリアの様子を伺う。

 思わずお腹が鳴ってしまいそうな香りも漂ってくる。

 狭いキッチンを動き回る彼女は見ていて飽きない。

 それが自分のためだと思えば、尚更愛おしい。


(あぁ……明日など来なければいいのにな)


 任務の早期解決を目指さなければならない副団長としてあるまじき思考だ。

 しかし、そう願ってしまうほど、クラウドはこの幸せを失いたくなかった。

 アメリアの協力はありがたいし、ようやく掴んだ手がかりではある。

 それでも、愛する女性を危険な任務に巻き込みたいと思う男などいないだろう。

 必ず守る。傷一つつけることなく。

 そう胸に誓っているが、現実では何が起こるか分からない。

 どれだけの備えをしていても、不安だった。

 アメリアのかわいい耳に輝くイヤリングには、クラウドの魔力とともに強い防御魔法をかけている。

 身に着けた者を強力な結界で守り、なおかつ攻撃には攻撃を返す。

 元々は花の姿に変わった彼女とも話ができるように、と作ったものだった。

 今回の作戦が決まって、急遽防御魔法を追加したのだ。

 イヤリングによって、どこにいても彼女の声を拾えるようにしている。

 危険が迫った時にはクラウド自身がかけつければいい。

 そう考えて、渋々にでも了承したのだが。

 やはりアメリアを参加させたくないと心の底から思う。

 それに、この任務が終われば、クラウドは王都へ帰る。

 本来の魔法騎士団の仕事に戻らなければならない。


「クラウド様、お待たせいたしました」


 にっこりと微笑んで、アメリアが食卓に皿を並べていく。

 新鮮なサラダに、具沢山のスープ。

 メインは、手のひらサイズのハンバーグだった。

 食欲をそそる香りの正体は、ハンバーグにかかったデミグラスソースだったようだ。


「アメリアは、ハンバーグが好きなのか?」

「はい。母がよく父に作っていたもので、私も大好きなのです。母の味を再現できていると、父も褒めてくれていましたから……」


 そう言って笑ったアメリアの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 アメリアは、家族を愛する優しい心を持っている。

 きっと、クラウドは家族のためにこんな風に泣けない。

 そして、アメリアに思われるディーナス男爵が羨ましいと思った。

 クラウドが死んだとしても、アメリアはこの美しい涙を流してくれるだろうか。


(俺は何を考えているんだ)


 アメリアに泣いてほしい訳ではないし、クラウドはまだ死ぬつもりはない。

 馬鹿な考えを頭から消し、クラウドはハンバーグを口に運ぶ。

 トマトの風味が残るデミグラスソースが、噛むほどにあふれる肉汁と絡み合い、うまみが口いっぱいに広がった。

 一口、二口と、食べる手が止まらない。

 そして、胸には愛おしさが募っていく。


「こんなに美味しいハンバーグは食べたことがない」

「お口に合ってよかったです」

「これから好きな食べ物を聞かれた時は、ハンバーグだと即答できる」


 心からの笑みがこぼれた。

 アメリアを前にすると、自然と笑顔が出てくるから不思議だ。

 騎士団の部下たちが話していたように、クラウドは滅多に笑わない人間だった。

 自分でも、笑えない、泣けない、血も涙もない冷酷な人間なのだと思っていたのだ。

 それがこんなにも表情が豊かになるのだから、恋とは恐ろしい。


「クラウド様、少しお時間よろしいでしょうか」


 食事を終えて、アメリアが淹れたハーブティーを飲んでいた時だった。

 アメリアの申し出を断る理由はない。

 クラウドは快く頷いた。


「あの、これを」


 そう言って、アメリアが恐る恐る差し出したのは、クラウドのシャツだった。

 たしか、任務中に破けてしまい、床に投げて忘れていたものだ。

 それも、一つではない。何着も同じようにクラウドは放置していた。


「差し出がましいかとは思ったのですが、クラウド様に色々といただいてばかりなので……少しでもお礼になればとボタン付けと破れてしまっていた箇所を修復しました。クラウド様、いつも本当にありがとうございます」


 クラウドはきちんとたたまれたシャツの一つを手にとり、広げた。

 心なしかきれいになっている気がする。

 ボタンも新品の時と変わらないくらい完璧に縫い付けられている。

 つぎはぎ部分も、よく目をこらさなければ分からないぐらい丁寧に修復されている。


「……ありがとう、アメリア。一生大事にする」

「いえ、そんな大それたことでは」

「アメリアが縫ってくれたんだ。何よりも価値がある」


 クラウドは本気で答えた。

 しかし、アメリアは不安げな表情で問う。


「私は、少しでもクラウド様にご恩をお返しできていますか?」


 そういえば、アメリアはクラウドに救われたことに恩を感じているようだった。

 クラウドが一方的に一目惚れして、アメリアを側に置いているだけだ。

 彼女が気にする必要なんてない。


「俺への恩返しなんて考えなくていい。それに、もし恩があったとしても、アメリアにはもう十分返してもらっている」

「本当ですか?」

「あぁ」

「少しでもクラウド様のお役に立てたなら、嬉しいです」


 アメリアは、ふわりと微笑む。

 その笑顔は春のように暖かくて、可憐な花のように美しい。

 クラウドが自らに課した制約さえ、あっけなく溶かしてしまうほど。


「アメリア」

「はい、クラウド様」

「好きだ」

「……え」

「花として咲く君を初めて見た瞬間から、ずっと。俺はアメリアに惹かれている」


 この想いを告げる時は、すべてを解決した時だと決めていたはずなのに。

 クラウドの心に咲いた恋の花は、もう胸の内に抑えきれないほどに大きく育っていた。

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