〈第26話〉 潜入作戦を開始しました

「花として咲く君を初めて見た瞬間から、ずっと。俺はアメリアに惹かれている」


 心臓が止まるかと思った。

 クラウドの熱い眼差しと、落ち着いた低音。

 本気なのだと、彼のすべてが訴える。


(クラウド様……)


 ローレンスに告白された時は、こんなにも胸が苦しくならなかった。

 それはきっと、本当の恋なんて知らなかったから。

 でも、今は違う。

 枯れてしまいそうだったアメリアの心に、クラウドがたくさんの優しさと愛情を注いでくれた。

 クラウドのことを思うと、胸がぎゅっと締め付けられて。

 笑顔を向けられれば胸が高鳴って。

 少しでも長く側にいたいと願うようになって。

 恋という、自分ではどうにもならない花が心に咲いた。

 その花は、とてもきれいで、優しくて、切なくて、苦しい。


「……っ」


 うまく息ができなくて、言葉の代わりに嗚咽がもれた。

 涙が、次から次へとあふれてくる。


「俺のことが、嫌いか?」


 違う。そうではない。

 アメリアは痛む胸を押さえながら、首を振った。

 クラウドのことが好きだ。

 けれど、気持ちを告げることはできない。

 アメリアが普通の令嬢としてクラウドと出会っていたなら、悩む必要なんてなかった。

 迷いも、憂いも、恋の前には霞んだだろう。

 アメリアは、クラウドと花として出会った。

 人の姿で交わした言葉よりも、花の時にかけられた言葉の方が多い。

 アメリアの素性が知れて、事件に関連していることが分かって。

 クラウドは優しいから、自分が保護したアメリアを守っているうちに愛情を抱いただけ。

 短い時間をまるで家族のように過ごしたから、好きだと錯覚しているだけかもしれない。

 そうでなければ困るのだ。

 アメリアは社交界デビューもしていないし、淑女教育だって独学だ。

 その上、継母が違法魔法薬の事件に関わりがあるかもしれない。

 継母に流されているアメリアの悪評も、きっとクラウドに迷惑をかけてしまう。

 父はアメリアに遺産を遺してくれているが、ディーナス男爵家に未来があるのかも分からない。

 アメリアが一人で守り切れる自信もない。

 こんな自分は、魔法騎士団副団長であり、いずれ伯爵となるクラウドの隣にはふさわしくない。

 だから、何も答えられない。

 嘘でも嫌いなんて言えないし、好きだなんてもっと無理だ。

 クラウドの側にいたい。それだけでよかったのだ。

 恋人になりたいなんて、そんな大それたことは望んでいない。

 でも、このまま泣き続けていたら、優しいクラウドを困らせてしまう。


「申し訳、ありません……」


 アメリアは、涙を拭いながら謝る。

 謝ることしかできなかった。


「いや、悪いのは俺だ。こんな時に言うことではなかった」

「そんな、こと……」

「でも、知っていてほしい。俺がアメリアを守りたい理由を」


 涙でにじむ視界でもわかるぐらい、クラウドはアメリアをまっすぐに見つめていた。

 胸がぎゅうっと締め付けられて、涙がまた溢れてくる。


「だから、もう泣かないでくれ」


 何も言えないアメリアにも、クラウドは優しい。

 その優しさがまた、アメリアの胸を締め付ける。

 好きだと告げて、その手にすがってしまいたくなる。

 でも、好きだからこそ、クラウドの重荷になりたくないのだ。

 ただただ悔しかった。

 クラウドに相応しくない自分が。

 好きな人に気持ちを返せない自分が。


「明日は大事な日だ。もう休もう」

「……はい」


 クラウドは、アメリアに背を向けるようにして本棚のベッドに横たわった。

 アメリアは、彼の背中を見つめながら、泣き疲れて眠りについた。

 

 ***


 田園風景、広々とした草原、まばらに立つ民家。

 小高い丘には、この地で最も立派な領主の屋敷が建っている。

 見慣れた景色を通り過ぎながら、アメリアの胸は緊張に押しつぶされそうだった。

 しかし今、アメリアの姿を見たとしても、緊張に震えるようなモノには見えないだろう。

 大丈夫、と言い聞かせているうちに、ディーナス男爵家の屋敷に到着した。

 アメリアを手に持つ者が、玄関の呼び鈴を鳴らす。


「こんな朝早くから、一体誰だ?」


 扉を開いたのは、見知らぬ男――ではなく、アメリアをあの林道で探していた男の一人だった。

 そのことに動揺するも、気づかれる様子はない。


「なんだよ、ガキか」

「ねぇ、おじさん。ここの庭でこんな光る石を見つけたんだ。僕にちょうだい」

「はあ? そんな石どうでも……って、これは!」

「なになに? これ、いいものなの?」


 十歳くらいの少年が、その手に輝く石を男に見せた。

 適当にあしらおうと考えていた男も、その手のものを見て驚く。


「これはこの家のもんだ! さっさと出ていけ!」

「えぇっ、酷い!」


 しかし、少年の抗議の声など無視して、男はその手に持っていた輝く石を奪う。


(なんとか、無事に潜入できました)


 アメリアは、男の手の中にいた――花ではなく、大粒のダイヤモンドとして。


 宝石に姿を変えることにしたのは、アメリアの安全も考えた上だった。

 花としてヴィクトリアの手に渡ったとしても、彼女は花を愛でることはないだろう。

 しかし、ヴィクトリアは宝石などの金目の物には目がない。

 花ならば捨てられるだろうが、宝石であれば身近に置いてもらえるはずだと考えた。

 それに、出所が分からない宝石を売ろうとすれば、アンポクスを取引する闇市にもつながるかもしれない。

 そうして、アメリアがダイヤモンドに姿を変え、ディーナス男爵家に潜入する作戦が決まったのだ。

 石を拾った少年は騎士団の協力者だ。

 その宝石の正体が実は人間だということは知らされてはいないだろうが。

 予想と違ったのは、ヴィクトリアではなく、男が出てきたことだ。

 何故、この男がディーナス男爵家にいるのだろう。

 ヴィクトリアとはどういう関係なのか。

 疑問は尽きないが、ひとまず様子をみることにした。

 アンポクスとの関わりが決定的である証拠や、関わりのある人物が分かれば、クラウドに伝える手はずになっている。

 彼は今、ディーナス男爵家の近くで待機している。


 ――絶対に無理はするな。何かあれば、すぐに俺を呼べ。


 最優先はアメリアの安全だから、と。

 クラウドは心配そうな表情で、潜入前のアメリアに声をかけてくれた。

 頷かなければ、きっとクラウドはアメリアを行かせてはくれない。

 そう思ったから、アメリアは頷いた。

 しかし、できる限りの無茶はしようと決めていた。


「お頭、すごいもん見つけましたよ」


 とある部屋の扉を開いて、男が手に持った宝石を見せた。

 男に「お頭」と呼ばれた人物が振り返る。


「おや、本当だ。こんなに大きなダイヤモンドは見たことがないねぇ」


 輝くダイヤモンドを見て、赤い唇に笑みを浮かべたのは、継母であるヴィクトリアだった。

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