〈第29話〉 見過ごすことはできませんでした
馬車の揺れがようやく収まったと思えば、今度はカバンを乱暴に扱われたせいで、アメリアは目が回りそうだった。
いくら大粒のダイヤモンドとはいえ、布でぐるぐる巻きにされていれば、傷つかないと思っているのだろう。
実際、本物のダイヤモンドであれば文句も言わないはずだ。
(……ちゃんと集中していないと、ふとした瞬間に元に戻ってしまいそうです)
荷物を持ったのは、おそらくディーナス男爵家にいた男だろう。
情報も得られないまま、宝物庫に入れられてしまったらどうしようか。
ふとそんな疑問がよぎった時、カバンがどこかに置かれた。
そして、誰かとの会話が聞こえてくる。
「さて、ローレンス。うちの可愛いアメリアをどこに隠したんだい?」
「……だから、何度も言っているだろ! 僕はあの林でアメリアを待たせていたんだ! そのあとのことは知らないっ!」
「本当かねぇ……? あの娘にはどこにも行く当てなんてないはずなのに、半年間探しても見つからない。おかしいと思わないかい?」
冷ややかなヴィクトリアの声と、かすれたローレンスの声。
その後、砂袋を蹴ったような鈍い音がした。
「っぐ、知らないものは、知らない!」
彼らが捜していたのは人間のアメリアなのだから、見つからないのは無理もない。
まさか花の姿で待っていたなど、誰が思うだろうか。
あの時の自分の判断は間違っていなかったのだと今の会話を聞いてアメリアは思う。
あのまま一人でさ迷っていれば、すぐに見つかって殺されていただろう。
アメリアが姿を隠していたから、ローレンスが居場所を知っているのではないかと疑われているのだ。
彼は何も嘘は言っていない。
しかし、ここでアメリアが飛び出しても、ローレンスを助けることはできないだろう。
ここがどこかも、どれだけの人がいるかも分からないのだ。
まずはそれを把握しなければ、クラウドに報告もできない。
それでも、ローレンスの呻き声が聞こえる度に、アメリアの胸は痛む。
誰かが傷つくところは見たくない。
たとえ、自分を殺す計画に加担していた人間なのだとしても。
(別のことに意識を向けさせれば、やめてくれるでしょうか)
アメリアが姿を変えようとした時、別の声が割り込んだ。
「お頭! 報告があります」
「分かった。今行くよ」
ヴィクトリアはどこかへ呼ばれて行ってしまい、その場にはローレンスだけが残された。
そして、逡巡した後、アメリアは人間の姿に戻った。
部屋の内装は貴族の屋敷とも商家の屋敷とも思えない、質素なものだった。
てっきり、ローレンスはカルヴァーグ家にいるのだと思っていたが違ったのか。
もしかしたらここが、ヴィクトリアの仲間たちの拠点なのだろうか。
「お頭」という言葉から、彼女が何らかの組織を率いているのだということは分かる。
一体、ヴィクトリアは何者なのか。
気になることばかりだが、今は悠長に考えている暇はない。
アメリアは、床に倒れるローレンスに駆け寄った。
「……ローレンス」
金色の髪は乱れ、きれいな空色をしていた瞳は陰っている。
何より、目も頬も口も、殴られたせいで腫れていた。
手足は縄で縛られ、抵抗もできずに一方的に暴力を受けていたのだろう。
痛々しくて、見ていられない。
かたく結ばれた縄に手をかけて、アメリアはぐっと引く。
しかし、なかなかほどけない。
「アメ……リア?」
まだ焦点が合っていない目で、ローレンスはアメリアを見つめた。
「ここにいたら、きっと殺されてしまいます。今すぐ逃げましょう」
「夢じゃ、ない、んだな……?」
「はい」
何があったかは後で話してくれればいい。
きっと、クラウドが助けに来てくれるから大丈夫だ。
安心させるように微笑むと、ローレンスはくつくつと笑い始めた。
「アメリアの、そういうところ、好きだよ。お人好しで、騙されやすくて。かわいい、よな」
「ローレンス?」
「……本当にっ、どうして、僕を助けようとしてるんだ? 僕は、君を、置いて行ったのに!」
痛みに顔をしかめながら、ローレンスはアメリアに向かって怒る。
大声を出せば、ヴィクトリアたちが戻ってくるかもしれない。
早く連れ出さなければと焦るのに。
縄を解こうとするアメリアの手を振りほどくように、ローレンスは暴れた。
「僕が、本気で君のことを好きで、助けようと思っていたなんて、まだ信じているのか?」
その問いには、アメリアは首を横に振る。
クラウドに恋をして、本気の恋がどれだけ心を動かすのかを知った。
クラウドに告白されて、本気の愛情がどれだけ熱いのかを知った。
だから、ローレンスがアメリアに向けていた好意は、恋でも愛でもなかったのだとちゃんと分かっている。
「それでも、ローレンスが連れ出してくれたおかげで、私は今生きていますから」
ローレンスと逃げ出していなければ。
あの林に置いて行かれなければ。
待つ必要がなければ。
アメリアがクラウドに出会うことはなかったのだ。
だから、アメリアはローレンスに感謝している。
「あの時、私を置き去りにしてくれて、ありがとうございました」
にっこりと笑みを浮かべたアメリアを見て、ローレンスは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
アメリアが縄をほどこうとしても、もう抵抗する気はないようだった。
そして二人は、半年前と同じように逃げるために互いの手を取った。
その状況も、心も、帰りたい場所も、半年前とは違っていたけれど。
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