〈第7話〉 彼女のために初めて仕事を抜け出した


 よからぬ煩悩をひとつずつ潰している間に、朝がきた。

 ぼんやりする頭を起こすため、クラウドは外で頭から水をかぶる。

 冷水にしていたはずなのに、なかなか頭が冷えない。

 季節だけでなく、クラウドの頭の中も春がきてしまったのだろうか。


「一目惚れとは何とも恐ろしいものだ」


 今までのクラウドは、理性を失ったことなどなかった。

 まして、女性をベッドに押し倒すようなことなどあり得ないことだ。

 実際には押し倒した訳でなく、花の姿で横たえた彼女に軽く覆いかぶさっただけ。

 とはいえ、クラウドは彼女が人であることを知っている。

 同意もなく、あんな至近距離で男に見つめられれば不快だったことだろう。


「彼女の信用を得られる男であらねばと思うのに……」


 ただでさえ、クラウドは女性に怖がられる見た目をしているのだ。

 クラウドのシャトー家は代々王家に仕える騎士の家系で、伯爵位を賜っている。

 そのため、社交界に出たことも何度かあった。

 しかし、楽しんだことはない。

 すべて、警備側の意識で参加していたからだ。

 仕事と同じく厳しい顔で壁際に立っていれば、女性が寄ってくるはずもない。

 それを気にしたことはなかったが、今は違う。

 クラウドは、あの可憐な少女に恋に落ちた。

 少しでも良く思われたいし、もし彼女に怖がられたら本気で泣きそうだ。

 こんな調子では、彼女が人の姿で自分に向き合ってくれる日なんて一生来ないのではないか、と考えてしまう。

 がっくりと肩を落としながらも、仕事は待ってくれない。


「いってくる」


 一人で頭を冷やして、出勤の準備をした。

 ベッドに横たわるアネモネの花に声をかける。

 彼女は眠れているだろうか。

 心配になり、魔眼を使った。


(……っ!?)


 まさか、起きてこちらを見ているとは思わなかった。

 もしや見送ってくれているのだろうか。

 それならどれほど嬉しいか。

 クラウドは、にやけそうになる顔を隠すように彼女に背を向けた。


 ***


 コラフェル地方の騎士団屯所に行けば、ジュリアンがクラウドを待ち構えていた。


「分かったわよ、あの魔獣について」


 ジュリアンの言葉に、クラウドはすぐに頭を切り替える。

 魔法騎士団には、戦闘を得意とする【破魔】と調査や治療などを得意とする【守護】の部隊がある。

 そして、破魔騎士と守護騎士はセットで派遣される。

 ジュリアンは守護騎士で、友人であると同時に破魔騎士クラウドのパートナーでもあるのだ。


「クラウドの想像通り、あの魔獣には違法魔法薬が使われていたわ」

「アンポクスか?」


 クラウドの問いに、ジュリアンは頷いた。

 コラフェル地方に来たのは、魔獣被害の対処のためだけではない。

 違法魔法薬アンポクスの出所を突き止めるためだ。

 アンポクスは、一時的な魔力増幅の効果があるが、強い中毒性を持ち、過去に死亡例もある恐ろしい薬だ。

 開発されてすぐ禁止魔法薬に指定され製造は中止されたが、ここ最近の魔獣被害にはアンポクスが関わっている。

 人でさえ副作用が激しい薬だったのだ。

 それを魔獣に使えばどうなるのか。

 結果として、普段人間を襲わないような魔獣までが狂暴化し、被害が拡大している。


「王都から離れたコラフェル地方にもアンポクスが出回っていたとはねぇ」

「半年前、王都で捕らえた売人がコラフェル地方の手形を持っていたからな」

「でも、魔獣にアンポクスを使った奴がまだこの辺りにいると思う? 副団長サマ」

「当人がいなくとも、手がかりは掴めるだろう」


 魔法騎士団副団長であるクラウドがコラフェル地方に来たのには、もちろん理由がある。

 半年前、このコラフェル地方でディーナス男爵が死んだ。

 アンポクスによる被害で貴族が死んだのは、初めてだった。

 そのため、怯えた貴族たちが魔法騎士団に押し寄せてきたのだ。

 突然、護衛を増やせと言われても、魔法騎士団に避ける人員はない。

 元々アンポクスによる被害には頭を悩まされていたが、それに加えて貴族からの圧力がかかった。

 そして、早急にアンポクスによる問題を解決せよ、との王命が下ったのだ。

 

「あと、どうしても気になることがあるの」

「なんだ?」

「青紫色のアネモネといえば、花言葉は『あなたを待っています』よ。いじらしい女性を好きになったわねぇ?」

「……それは、本当か?」


 突然、アンポクスではなく彼女の話になったことに突っ込む余裕もなく、クラウドは問う。


「えぇ。同じ花でも色によって意味が違うのよ。クラウドがあえて色を教えてくれたのは、何か意味があったのかしら? って思ったのだけど……」


 クラウドはその言葉をきいて、さぁっと血の気が引く思いだった。


「すまないが、ちょっと出かける」


 え!? と驚くジュリアンに背を向けて、クラウドは彼女に出会った林道へ向かった。


(彼女は、誰かをあの場所で待っていたのだろうか……それなのに、俺は)


 惚れた彼女を守りたい、という自己満足だけで家に連れ帰ってしまった。

 思えば、クラウドはまだ彼女の見た目以外何も知らない。

 好きな男がいるかもしれない。もう婚約や結婚をしている可能性だってある。

 あれだけ可愛いのだ。男が放っておくはずがない。

 そう考えただけで、ズキズキと胸が痛む。

 何故、もっと早く、彼女が人の姿である時に出会えなかったのだろう。

 どうにもならないことだが、女性に興味がないと言っていたつい数日前までの自分を殴ってやりたい。


 そうして林道にたどり着くと、いかにも怪しげな男たちが五人。

 騎士服を着たクラウドを見た瞬間に、やばいという顔をして逃亡を図ろうとした。

 ちょうど虫の居所が悪かったクラウドは、男たちにいいようのない感情を力によってぶつけた。

 あっという間に男たちを捕らえ、クラウドは気を失った男たちを引きずって屯所へ向かう。


「んっ、うわあ、何するんだ……!?」


 しかし、途中で一人の男が意識を取り戻す。

 その声で他の男たちも目覚めた。

 仕方ない。

 何かやらかしているところに出くわした訳でもないのだ。

 この場で話を聞いて、シロだと分かれば解放してやろう。


「おい、お前たち。あの場所で何をしていた?」


 そう思い、彼らに話を聞いてみると、解放する気など起きない話だった。


(あの可憐な彼女を、金になる女だと!? 許せない)


 全員、もう一発ずつ殴ってやりたい。

 と、拳を握った時、覚えのある魔力を感じた。

 この、あたたかな優しい気配は。

 サッと視線を向けると、青紫の毛色をした猫の後ろ姿が見えた。


(猫……? いやしかし、この魔力は彼女で間違いない!)


 何故かラベンダーをくわえている。

 外に出ているということは、もうクラウドのところに戻ってきてくれないのだろうか。

 そう思ったが、彼女の進行方向はクラウドの家だった。

 安堵が胸に広がると同時に、彼女が何故家を出たのか疑問に思う。


 きゅるきゅる……と、何とも可愛らしい音が聞こえた。


(そうか、彼女は食事をとっていないから)


 いくら栄養価のある魔法薬を水に混ぜても、さすがにそれだけで腹は満たされない。

 もっと家に食糧の備蓄をしておくべきだった。

 クラウドはすぐさま騎士団にいるジュリアンに男たちを預け、市場でフルーツを購入した。

 そうして家に全速力で走って帰る。

 まだ彼女は帰っていない。

 それならば、とクラウドは家の庭に野イチゴや葡萄をそれとなく配置した。

 物陰に隠れ、彼女が現れるのを待つ。

 ゆっくりと四足歩行で歩いてくる猫の姿が見えた瞬間、クラウドは頭を抱えた。


(か、可愛すぎる……っ!)


 きれいな三角計の耳、ふわふわな毛並み、丸くて大きなアメジストの瞳。

 あまりにも愛くるしい姿の彼女が、野イチゴを見つけてしっぽをゆらゆらと揺らす。

 肉球のある前足で野イチゴを持ち、小さな口で頬張る。

 その様子に、クラウドは天を仰いだ。


(あぁ、一生見ていられる……っ!)


 もはや仕事中であることも忘れて、クラウドは彼女がフルーツをすべて食べ終えるまで見守っていた。

 まさか自分がこんなストーカーまがいの男になるとは思わなかった。

 騎士団屯所へ戻り、笑顔でぶち切れたジュリアンに小言を言われても、彼女の愛らしい姿に癒されたおかげでまったく気にならなかった。

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