〈第1話〉 魔獣に襲われそうになったところを騎士様に助けられました


 花の姿となり、ローレンスを待つこと半年。

 アメリアは、花としてのんびり林道を見守ることが日常になりつつあった。


(今日も平和ですね。なんだか、このままでもいいような気もしてきました)

 

 最初の数日はかなり不安だったし、ローレンスに何かあったらと心配だった。

 ローレンスはアメリアのために駆け落ちを提案してくれて、幸せになろうと言ってくれたから。

 それがとても心強くて、嬉しかった。

 いつか読んだ恋愛小説のように胸が高鳴る感覚は分からなかったけれど、これが恋かもしれないと思っていた。


 一週間経った頃には、自分からローレンスを捜しに行こうと思った。

 そんな時、普段は人が来ない林道に、強面の男たちが数人やってきたのだ。


「おい、どういうことだ。女がここにいるって話だっただろう」

「たしかに、この道にいると言っていたんだが」

 彼らが捜しているのは、アメリアだろう。

 そんな会話を聞いてしまえば、人の姿に戻る勇気はアメリアにはなかった。

 そもそも、駆け落ちの提案に頷いたのも、殺されるかもしれないという恐怖に切羽詰まっていたからだ。

 普段のアメリアなら、そんな大胆な行動はとれない。

 アメリアは五歳で母を喪ってからずっと、我儘も言わずに受け身で生きてきた。

 拒絶したまま、我儘を言ったまま、置いていかれてしまうことが何よりも恐ろしいから。

 

 ひと月も経てば、花としての生活にも慣れてきた。

 花になっているせいか、空腹は感じなかった。

 雨が降れば気持ちよく、陽光はあたたかい。

 時々、強面の男たちがウロウロすることはあったが、平和そのものだった。

 人の姿に戻れば、きっと面倒なことになる。

 そう思ってしまったからか、人の姿に戻ることもできずにいた。


 そうして、アメリアは数年ぶりの平和を満喫していたのだが。


「グルゥゥ……っ!」


 近くでオオカミの魔獣がよだれを垂らしている。


(どどどど、どうしましょう……!?)


 魔獣は、普通の獣とは違い、魔法の気配に敏感だ。

 それに、その大きさもけた違いだ。

 きっと小さな花のアメリアなど一瞬で散ってしまう。

 今まで魔獣に遭遇することなどなかったのに、突然のことにアメリアは内心で悲鳴を上げる。

 もちろん、他の目から見れば、花が風に揺れているようにしか見えないだろうが。

 人間の姿に戻ったところで、魔法を使えないアメリアでは魔獣など相手にできない。

 きょろきょろと獲物を捜しているオオカミは、だんだんとアメリアに近づいてくる。


(一緒に駆け落ちした人に置いていかれて、最期は花の姿で魔獣に食べられるなんて……)


 自分で言っていて悲しくなる。

 ぽたり、とオオカミのよだれがアメリアの花弁に落ちた。


「ガウゥ……っ!」


 ひぃぃぃ――誰か、助けてください……っ!


 大きな口が目の前に広がる。

 あぁ、食べられてしまう。

 せっかく逃げてきたのに。幸せになりたいと願っただけなのに。

 花だから、誰かに助けを求めることもできない。

 反撃することも、泣き叫ぶことも。


 アメリアが死を覚悟した直後、何故かオオカミの気配が遠のいた。


「魔獣がこんなところまで逃げていたとはな」


 落ちついた、低い声が聞こえた。

 つい先程まで恐怖していたオオカミは、離れたところで伸びている。


(た、助かったのですね……)


 魔獣のすぐ近くには、赤い騎士服の青年がいた。

 魔獣を簡単に倒せた実力からして、おそらく破魔の騎士だろう。

 田舎の男爵令嬢には縁のない職業の人だ。


(騎士様。命を助けていただき、ありがとうございます)


 声にならずとも、心からの感謝を述べた。

 その後、魔獣を倒して去るとばかり思っていた騎士がふいに振り返る。


「怖かっただろう。もう大丈夫だ」


 あきらかにアメリアに向かって告げられた言葉だった。

 

(私は今、花の姿であるはずなのですが……)


 騎士はしゃがみ込み、花であるアメリアを気遣うように見つめている。

 短い黒髪に赤い瞳を持つ騎士は、精悍な顔立ちをしていた。


「美しい花が魔獣に踏み荒らされずに無事でよかった」


 ふっと微笑んだ彼の表情に、初めてアメリアの胸はとくんと跳ねた。

 きっと、彼はよほど花が好きなのだろう。


(花を大切にする騎士様って、素敵です)


 おかげで、アメリアは命を救われた。

 野に咲く花を救った騎士を尊敬の眼差しで見つめていると、彼は何故かアメリアの体に触れた。

 もちろん、花の姿である。


「こんなところで咲いていては、また襲われるかもしれない」


 そして、騎士はどこにも動くことができずにいたアメリアを、大きな手のひらで優しく包みこみ、家まで持ち帰ったのだった。

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