〈第38話〉 もう戻れない幸せな夢をみました

 夢をみていた。

 とても、幸せな夢を。


「かわいいアメリア。大好きよ」


 そう言って優しく頭を撫でてくれるのはお母様。


「ほら、おいで。かわいいアメリア」


 仕事から屋敷に帰ると、真っ先にアメリアを抱きしめてくれるのはお父様。

 両親に可愛がられて、愛情を注がれて、本当に幸せだった。


『かわいいアメリア』


 二人にそう呼ばれるのが大好きだった。

 この絵に描いたような幸せな日で、時間が止まればいいのに。

 ずっと、この夢の中にいたい。

 これから起きる悲劇なんて忘れて、ずっと、ここで。

 そうすれば、アメリアは大好きな両親と一緒にいられる。

 このまま、夢から覚めないように深い眠りにつくのだ。


 ――アメリア……っ!


 ふいに、両親ではない誰かの声が聞こえた。

 切実にアメリアの名を呼ぶ、男性の声。

 この声は、誰だろう。


 ――どうか、目を開けてくれ。


 それは嫌だ。

 目を開けてしまったら、この夢が終わってしまう。


 ――あなたを失いたくない。


 泣きそうな声だった。

 彼の声を聞いて、どうしてこんなにも胸が締め付けられるのだろう。

 アメリアは戸惑った。

 目の前の両親に抱き着いて、その声を聞かないように耳を塞ぐ。

 それでも。

 その声はアメリアの耳に届いた。


 ――アメリア、あなたを心から愛しているんだ。


 あぁ、どうして自分は忘れていたのだろう。

 母を喪って、継母に虐げられて、父も喪って。

 たしかに、アメリアが生きる現実は辛く、苦しいものだった。

 しかし、辛く、苦しい日々もずっとは続かない。

 花の姿で一人ぼっちになっていたアメリアをクラウドが優しく包み込んでくれたから。

 アメリアの傷ついた心は、クラウドに救われたのだ。

 クラウドを愛している。

 彼が呼んでいるから、帰らなければ。

 この幸せな夢から目覚めて、彼のいる現実へ。


「お父様、お母様、大好きです……」


 いつの間にか、幼かったアメリアは十七歳の姿になっていた。


「あらあら、私たちのかわいいアメリアが泣いているわ」

「どうしたんだい? かわいいアメリア」


 両親の顔が、涙のせいでぼやけてしまう。

 涙を拭って、アメリアは笑顔を浮かべる。


「私にも、愛する人ができました。とても優しくて、強くて、かっこよくて、私にはもったいないくらいの素敵な騎士様です。本当に私でいいのかまだ自信はないけれど、彼に相応しい人になりたいと思っています。応援、してくれますか?」


 アメリアの言葉を聞いて、両親はぎゅっと抱きしめてくれた。


「もちろんよ。私たちのかわいいアメリアが愛した人なら、きっと大丈夫」

「あぁ。かわいいアメリア、幸せになるんだよ」


 両親からの抱擁が、少しずつ薄れていく。

 夢が遠のいて、意識がふわりと浮かぶ。

 

 そして――……。


「アメリア、アメリア……」


 クラウドの声が聞こえて、ゆっくりと瞼を開く。

 真っ白な天蓋が見える。

 アメリアの右手は、クラウドの手にぎゅっと包まれていた。

 そっと首を右に傾けると、祈るように目を瞑り、アメリアの手を握るクラウドが見えた。

 騎士服ではなく、ラフなシャツ姿だ。

 仕事はもう終わったのだろうか。

 うつむいているから、顔はよく見えない。


「クラ、ウドさま」


 どれだけ自分は眠っていたのだろう。

 喉がかすれて、声が思うように出なかった。


「アメリアっ!」


 クラウドにぎゅうっと抱きしめられる。

 少し苦しかったが、彼が側にいてくれたことが嬉しかった。


「……はっ、すまない。身体の具合はどうだ? 痛いところはないか? 何かしてほしいことは?」


「えっと、お水が、飲みたいです」

 

 遠慮がちに言うと、クラウドはアメリアの背を支えて、起こしてくれた。

 そして、すぐにコップに水を入れてそっと差し出してくれる。

 水で喉を潤すと、ようやく頭が回ってきた。

 そして、意識を失う前のことを思い出し、今度はアメリアがクラウドの手をつかむ。


「クラウド様は、お怪我をされていませんか? お体に異変はございませんか?」


 あの時、クラウドは地下へ落とされたのだ。

 怪我をしていてもおかしくはない。

 それに、アンポクスに侵されたりはしていないか。

 心配でたまらなくて、アメリアはクラウドの顔を覗き込む。

 心なしか、クラウドの顔色が悪いような気がする。


「俺は大丈夫だ。それよりも、アメリアはあれから三日も眠り続けていたんだ。本当に、なんともないか?」

「えっ、私はそんなに眠っていたのですか? 申し訳ございません、ご迷惑をおかけして」

「まったく迷惑じゃない。アメリアが無事ならそれでいいんだ」


 そう言って、クラウドはアメリアの頭を優しく撫でた。

 クラウドの優しい笑みに、胸がきゅっと締め付けられる。


「もう少し横になっているといい。すぐに食べ物を用意しよう」


 アメリアがベッドに横たわったのを確認して、クラウドは部屋を出て行った。

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