〈第13話〉 騎士様を待つ間に身だしなみを整えました
ドキドキしすぎて眠れない夜を過ごしたアメリアは、朝早くに起きて顔を青くしたり赤くしたりしているクラウドをばっちり見てしまった。
「あぁぁっ、俺は……何を、した!?」
こめかみを抑えて、クラウドは顔をしかめている。
二日酔いはかなりきついらしい。
大丈夫だろうか。
それに、気になることはもう一つ。
(クラウド様は、昨夜のことを覚えているのでしょうか)
昨夜のことを思い出すと、心配と不安とときめきが心の中でぐるぐると巡る。
覚えていたとすれば、クラウドは人の姿のアメリアをどう思っただろうか。
追い出されることも覚悟して、アメリアはクラウドを見つめる。
「……頭を冷やしてくる」
そう宣言して、クラウドは部屋を出た。
しばらくすると、頭をびっしょりと濡らしたクラウドが戻ってきた。
本当に頭を冷やしてきたらしい。
(風邪をひいてしまいますよ……?)
クラウドは乾かすそぶりはまったく見せず、すっきりした顔でアメリアに向き直る。
赤い瞳にじっと見つめられ、ドキッとした。
「魔法の花は、愛情をかければ人の言葉を解し、その姿を変えることもできるという」
突然、魔法の花について聞かされて、アメリアは内心で首を傾げる。
クラウドは一体、何を伝えようというのだろうか。
しかし、次の一言でその意図を理解する。
「きっと昨夜見た美しい人は、君だろう? 俺が愛情をかけている花は、君だけだから」
その言葉に、胸がきゅんと締め付けられた。
花としてクラウドに愛されているのは、アメリアだけ。
たとえ人として、令嬢として愛されなくても、その言葉だけで十分だ。
それに、クラウドがアメリアのことを追及しないのは、彼もまた側にいたいと思ってくれているからだと思えて。
嬉しくて、幸せで、アメリアは泣きそうだった。
(クラウド様、どこまでお優しいのですか)
こんなに甘やかされたら、いつまでも側にいたいと叶うはずのない願いを抱いてしまう。
「もう一度、君と話がしたい」
クラウドは跪いて、アメリアに乞うように言った。
その熱い眼差しだけで、心臓が跳ねる。
「大丈夫だ。俺が君に抱く愛情は、昨夜だけのちっぽけなものではない」
何が大丈夫なのだろう。
アメリアはすでに花の色が青紫から真っ赤に変わってしまうのでは、と心配するほどドキドキしているのに。
「君が姿を変えられるようになったのは、俺の気持ちが伝わったからだと思いたい」
愛情を注いで花が美しく咲くように。
クラウドが愛情を注いだから人の姿に変われたのだろう、と。
優しい嘘に、アメリアは胸が締め付けられた。
自分から何も打ち明けることもできないアメリアを、クラウドは責めることなく、真綿に包むように見守ってくれる。
「だから、今日は人の姿で待っていてくれると信じている」
優しく微笑んで、クラウドは家を出た。
どこか吹っ切れたような顔をして。
(クラウド様、ずるいです)
遠慮のなくなったクラウドの言葉に、アメリアの心がどれほど振り回されたか。
今ほどうるさく喚く心臓を落ち着かせるのに苦労したことはない。
思い出すだけで赤面してしまいそうな言葉ばかりだったのだ。
人の姿に戻っても、しばらくクラウドのせいで何も手に着かなかった。
だって、今日はこのままの姿でクラウドの帰りを待つつもりだから。
***
窓を拭きながら、アメリアは自分の姿を改めて見る。
青紫の髪は肩につくかつかないかの長さだし、このくせ毛ではどう頑張っても貴族令嬢のように結い上げることも、きれいにまとめることもできない。
小さな顔に大きなアメジストの瞳の組み合わせも、よく気持ち悪いと継母に言われた。
母も父もかわいいと褒めてくれたけれど、それは身内贔屓が多分に入っている。
(あぁ、お母様、お父様……)
考えたら悲しくなるから、思い出さないようにしていたのに。
クラウドに優しくされて、甘やかされていた時もあったと思い出してしまった。
でも、アメリアがただ甘やかされるだけの子どもでいられたのはほんのわずかな時だけだった。
五歳の時、母が病気で亡くなった。
元々身体が強い方ではなかったらしい。
それでも、変身魔法を使える魔女として、魔法騎士団の【守護】に所属していた。
両親の出会いは、ディーナス男爵家と魔法騎士団【守護】の薬草取引だったという。
貴族社会には珍しく、二人は恋愛結婚だ。
幼い子どもの目から見ても、本当に愛し合っていた。
だからこそ、母が亡くなった時、父も悲しかったはずなのに、そんな素振りはみせずにアメリアが寂しくないようにたくさんの愛情を注いでくれた。
そして、アメリアが十歳の時、父はヴィクトリアと結婚した。
母を亡くして傷ついた父の心を癒してくれる人が現れたのだ。
ようやく、父は自分の幸せを歩める。
少し寂しい気持ちはあったが、アメリアは父の再婚を喜んだ。
だから、自分がどれだけヴィクトリアに嫌われていても、何を言われても、我慢した。
アメリアが我慢するだけで父が笑っていられるなら、それでよかったのだ。
元々、争いごとは好きではない。
誰かと言い合いなんてしたこともない。
だから、ヴィクトリアからぶつけられる暴言にも、返す言葉が見つからなかった。
父は再婚してより一層仕事に励むようになり、アメリアの教育はヴィクトリアに一任していた。
きっと、新しい母と仲良くしてほしかったのだと思う。
そのせいで、アメリアが何の教育も受けられないまま、社交界デビューもできない令嬢に育ってしまうとは思わずに。
アメリア自身、これでは駄目だと時間を見つけては書斎で本を読み漁った。
社交界はマナーや礼儀作法に厳しい場所だ。
とにかく言葉遣いだけでも丁寧にしなければ、とアメリアは付け焼刃の丁寧語を必死で身に着けた。
今では、砕けた物言いは怖くてできない。
それもこれも、すべては愛する父のためだった。
それなのに――。
半年前、父が亡くなったという報せを受けた日に、アメリアの努力の日々はすべて消えてしまった。
(……どうして、お父様まで私をおいていってしまったのですか)
もう二度と会えなくなると分かっていたなら、最後に会ったあの日。
もっとたくさん話をして、たくさん愛情と感謝を伝えたのに。
遺されてしまったアメリアには、もう伝える手段はない。
アメリアの瞳には涙が浮かんだ。
そして、同時に胸が痛む。
(ディーナス男爵家はどうなっているのでしょう……)
父が守り続けてきたあの家を、アメリアは捨てたのだ。
何のために我慢を続ければいいのか分からなくなって、都合よく優しくしてくれたローレンスにすがった。
彼のことを好きでもないのに、継母から逃れたくて、誰かに守ってもらいたくて、駆け落ちに頷いたのだ。
あの時のアメリアは自分のことばかりで、ローレンスのことを考える余裕なんてなかった。
だから、アメリアは置き去りにされたのかもしれない。
誰かを待つことは嫌いだ。
でも、アメリアには待つことしかできなかった。
アメリアにとって、待つ時間は苦しくて辛いものだった。
――クラウドに出会うまでは。
不思議なことにクラウドを待つことは苦ではない。
それはきっと、クラウドはちゃんと帰ってきてくれるから。
そして、いつもアメリアに笑顔を向けてくれるから。
アメリアが待っていることで、彼が喜んでくれるから。
掃除のことも、ラベンダーのことも、アメリアがクラウドのためにしたことに気づいてくれて、お礼を伝えてくれる。
こんな自分でも誰かのためになれる、と実感できた。
いつの間にか、恩返しのためだけではなく、クラウドの力になりたいと思うようになっていた。
「でも、見事にボロボロですね」
布地のほとんどを雑巾やはたきに姿を変えたドレスは、すでに膝があらわになるほどに短い。
貴族令嬢として、あるまじき装いだ。
少しでもクラウドには可愛く見られたい。
こんなみすぼらしい姿で彼を出迎えたくなかった。
「そういえば……先日、裁縫道具を発見したのでした!」
アメリアは偶然見つけた裁縫道具を少し拝借し、破ったドレスの裾を整えた。
それだけではなんだか寂しく思えて、得意の刺繍で飾ることにした。
糸の色は黒と白しかなかったけれど、図柄が分かれば十分である。
久々に自分のための刺繍をしていると、気分が上がる。
刺繍が終わってふと窓の外を見れば、夕陽が沈みはじめていた。
もうすぐクラウドが帰ってくる。
アメリアの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
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