〈第18話〉 甘すぎる騎士様のために決意しました

 ほわほわと湯けむりが立ち上る。

 数年ぶりに、アメリアは湯に浸かっていた。

 あたたかな湯に身体の疲れがほぐれていく。

 しかし、アメリアの心の内は少しばかり複雑だった。


(居候の身でありながら、クラウド様にお湯を準備していただくなんて……)


 クラウドが湯を準備すると言った時、アメリアは何度か断ったのだ。

 すでに身体は水で清めているから自分の心配は不要だ、と。

 お湯を使うのは高貴な人間の特権で、男爵家にいた時だって、アメリアは使ったことがない。

 継母のためにはお湯を準備させられていたけれど。

 恐れ多くて断ったのに、クラウドも譲らなかった。

 風邪を引いたら大変だとか、こんな家でも少しはくつろいでほしいとか、何より日々の家事のお礼だとかで、半ば強制的にアメリアはお湯を使わせてもらうことになったのだ。


(クラウド様は、本当に優しすぎます)


 アメリアが恩を返したいと思っているのに、それ以上のものをもらってしまう。

 これでは、いつになったらクラウドへ恩を返しきれるのか見当もつかない。

 今日の成果といえば、感謝の気持ちを込めた野菜スープを喜んでもらえたことだろうか。

 しかし、良かれと思って整理した手紙は、余計なお世話だったようだ。

 舞踏会の招待状は、結婚相手を探す必要がないから不要なのだと言っていた。


(見ず知らずの私にこれだけ優しいのだから、きっと婚約者の方にはもっと……)


 胸がズキズキと痛んだ。

 結ばれるはずなどないと分かっている。自分の立場はわきまえている。

 それでも、クラウドからの言葉や態度があまりにも甘く優しいから勘違いしてしまう。

 誰にでもこんな風に接しているのであれば、クラウドは少し女性への態度を改めた方がいい。

 そう思うのに、クラウドに大切に扱われていることが嬉しくて、幸せで、やめてほしいなんて自分からは言えないのだ。

 だからこそ、クラウドが心に決めた人がいるのだと分かった時、彼の婚約者に罪悪感を抱いた。

 婚約者は、酔ったクラウドを送り届けたあの女性だろうか。

 同じ騎士団にいれば、彼の仕事も理解できて、彼のためにできることも多いのだろう。

 アメリアは、クラウドの役に立ちたいと思いながら、ただ守られているだけだ。

 彼がアメリアに求めたことは、笑顔でいることと、食事を作ることだけだ。

 クラウドのことが好きなアメリアにとって、それは幸せ以外の何ものでもない。

 本当に彼への恩返しになるのだろうか。

 それに、アメリアの笑顔で癒されるなんて、そんな風に言ってくれたのはクラウドが初めてだ。


「きっと、クラウド様は本当に困っていることも、悩んでいることも、私には話してくれないのでしょうね」


 アメリアの存在はきっと、騎士であるクラウドにとって守るべき存在で、頼る存在ではないのだろう。

 彼に頼られないのも当然だ。

 アメリアは、花の姿で自分を偽り、素性を明かしていないのだから。

 クラウドの本心に触れられるはずもなかった。

 いつかちゃんと話したい。

 でも、まだ離れたくない。

 いつまでこの関係が許されるだろうか。

 すべてを話した時、クラウドは一体アメリアに何を思うだろう。

 黙っていたことを怒るだろうか。

 悲しむのだろうか。

 アメリアのことを嫌いになるだろうか。

 傷つけてしまうだろうか。

 自分が傷つくことよりも、クラウドを傷つけてしまうことが怖くてたまらない。


「……そういえば、クラウド様は任務のためにこの地にいると言っていました。派遣された騎士はその任務が終わらなければ帰れないのですよね……一体、どんな任務なのでしょう?」


 部屋が荒れ放題になっていたぐらいだ。

 もしかすると、その任務は難航しているのかもしれない。

 父と繋がりがあるとはいえ、アメリアは騎士団の仕事のことは詳しくはない。

 しかし、変身魔法の使い手だった母は、騎士団に所属していた。

 ――となれば。


「もしかして、この魔法はクラウド様のお役に立てるのでは……?」


 母がどのように変身魔法を騎士団で使っていたのかは分からない。

 それでも、騎士団の仕事で必要だったから、母は力を使っていたはずだ。

 母の魔力量だけしか魔法は使えないが、クラウドの仕事に少し役立てることくらいならできるかもしれない。

 そしてきっと、その任務の終わりがクラウドの側にいられる限界だろう。

 それまでペンダントの魔力がもてばの話だが。

 クラウドの婚約者に張り合う訳ではないが、アメリアも彼の隣に立ちたいのだ。

 そうして決意も新たに湯あみをすませ、アメリアは驚きの光景を目にする。


「あの、クラウド様、これは一体何でしょうか?」

「ベッドが一つしかなかっただろう? だから、俺用に少し工夫してみたんだ」


 にっこりと爽やかな笑顔を浮かべているクラウドの足元には、本棚が倒れていた。いや、倒されていた。

 おかげで、本棚に入れていた本や書類は再び散らかっている。それを無理やり壁の隅に山積みにして、スペースを作っていた。


「クラウド様、もしかしてその本棚をベッドの代わりにするおつもりでしょうか?」

「あぁ、心配しないでくれ。この本棚は頑丈だから、俺が乗っても壊れない」

「いえ、私は本棚の心配をしている訳では」

「そうだよな……せっかくきれいにしてくれたのにまた散らかしてしまった。悪い」


 くらり、とアメリアはめまいを感じる。

 湯に浸かりすぎたせいでも、きれいに片づけていた部屋を台無しにされたからでもない。

 クラウドがアメリアにベッドを使わせ、自らは本棚で寝ようとしているからだ。

 花をベッドに寝かせて床に寝ていた時よりはましになったのだろうか。

 しかし、アメリアが受け入れられるはずもない。


「クラウド様、いけません。私は花の姿に戻ればどこでも眠れます。ベッドはクラウド様が使ってください」

「何を言っている? 花の姿の時もベッドで眠っていただろう? 俺は、アメリアを堅い床で眠らせるつもりはないからな」

「お心遣いありがとうございます。ですが、私はただの花ですし、居候です。お湯もいただきましたし、これ以上の贅沢をする訳には」

「ただの花ではない。俺の大切な花だ」


 真剣な瞳と熱い言葉に、アメリアの胸はきゅんとする。

 しかし、このまま流される訳にはいかない。

 甘やかされているだけでは、クラウドの役には立てない。

 気を引き締めて、アメリアはクラウドに向き直る。


「……クラウド様」

「ん? どうした?」

「とても気持ちの良いお湯でした。クラウド様もお疲れでしょう。どうぞごゆっくり浸かってきてください」

「あ、あぁ。そうしよう」


 アメリアの空気の変化に気づいたのか、クラウドは素直に従った。

 そして。


「さて。この本棚をどうにかしなければなりません」


 あの様子では、クラウドは譲らないだろう。

 花の姿になることも考えたが、それでは強制的にベッドに寝かされてしまうことは目に見えている。

 それならいっそ、この本棚をベッドのように寝心地よくすることを考えよう。

 クラウドは倒しただけで満足していたようだが、これでは床で眠るのと変わらない。

 クッションになるような素材がないか周囲を見回し、アメリアはふと片づけた衣類に目をつける。


「しわになってしまうかもしれませんが……」


 きれいに畳んでおいたシャツやズボンなど、装飾が少ないものを本棚の背の上に並べていく。

 その上からシーツをかぶせ、手触りを確認する。


「ふかふかとは言えませんが、少しはましになりました」


 ごわごわしている部分もあるが、眠れるだろう。

 寝心地も試してみようと横になり、アメリアは数秒で睡魔に襲われた。


「……ふぁ、だめです、今、寝ては……」


 日中は掃除や片付けで体を動かし、夜は好きな人と食事をとり、あたたかな湯に浸かった。

 その上、寝心地が良いとは言えないが即席ベッドに横になってしまえば、気持ちの良い眠りに誘われてしまう。

 

 その後、クラウドが部屋に戻ってきた時にはアメリアは完全に夢の世界。

 だから、クラウドがアメリアの寝顔を見て「天使だ」「いや、女神だ」などと口走り、頭を冷やすためにせっかく温もった身体に冷水を浴びて精神統一して眠りについたことは知る由もない。

 もちろん、クラウドは理性という鎖で己をがんじがらめにして、眠るアメリアをちゃんとベッドに寝かせた。

 しかし、アメリアの甘い香りが残った即席本棚ベッドではどちらにせよ眠れなかった。

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