〈第8話〉 お疲れの騎士様をベッドに寝かせることに成功しました


 アメリアは人の姿に戻って、せっせとラベンダーポプリを作った。

 とはいえ、材料がラベンダー以外ないため、外で花を乾燥させ、ハンカチで包んだだけのものである。

 それでも、きれいな紫色の花は強い芳香を放っている。

 ラベンダー一本だが、ハンカチで包む分だけなら十分だ。


「クラウド様の疲れがどうか癒されますように」


 ポプリに願いを込めて、アメリアは花の姿に戻った。


 ***


「ただいま戻った」


(おかえりなさいませ、クラウド様)


 帰ってきたクラウドは、やはり疲れた顔をしていた。

 彼が屯所に連れて行った男たちとは、どんな話をしたのだろう。


(やはり、ローレンスがあの方たちを迎えに来させたのでしょうか)


 考えないようにしていたが、ローレンスは今何をしているのだろう。

 アメリアをあの林道に置いて、どこに行ってしまったのか。

 置いていくならどうして、アメリアに駆け落ちなど持ち掛けたのか。

 好きだという言葉も嘘だったのだろうか。


「よかった。今日も君に出迎えてもらえた」


 心底ホッとしたような笑顔で、クラウドはアメリアを見つめる。


(クラウド様……)


 慈しむような眼差しを向けられて、嬉しいと思うと同時に胸がきゅっと痛んだ。

 自分が美しい花だから、クラウドは笑いかけてくれるのだ。

 もしアメリアが人の姿であったなら、きっとこんな風に見つめてもらえないだろう。

 本当の自分は、花のように美しくもなく、令嬢として淑やかでもない。

 アメリアには、人の姿でクラウドに向き合う自信はない。

 命の恩人を騙している。

 その罪悪感に苛まれて、アメリアはクラウドの笑顔を見返すことができなかった。


「ん? この香りは……ラベンダーか?」


 いつの間にかクラウドは着替えをすませていた。

 そして、ラベンダーの香りに気づく。


(そ、そうです! クラウド様、ぜひこちらへ来てください!)


 花の姿では手招きすることも、声を出して呼ぶこともできない。

 しかし、香りに引き寄せられるように、クラウドはベッドに近づいて来た。


「君が、この香りを……?」

 

 クラウドは香りの出所を確かめるように、アメリアに顔を近づける。


(ち、近い、です……っ!)


 至近距離にクラウドの顔がある。

 凛々しい眉、熱のこもった赤い瞳、通った鼻梁。

 いつか見た彫像のように端正な顔立ちに、花であるのに思わず息を止めていた。

 かすかな吐息すら、気づかれてしまいそうで。


「君は美しいだけでなく、とても良い香りがするんだな」


 低くて、とてつもなく甘い声だった。

 きっと、花でなければ悲鳴を上げて逃げ出していた。


「君がいてくれるだけで、俺は癒されるんだ」


 クラウドはにっこりと笑みを浮かべて、身体をベッドに預けた。


(あのクラウド様が、ベッドに……っ! ラベンダーの香り、恐るべしです!)


 こんなにもすぐに効果が出るとは思わなかった。

 ベッドで眠ってもらうという第一目標が達成できそうで、アメリアは嬉しくなる。


「でも俺は、君を勝手に連れてきた。君は、誰かを待っていたかもしれないのに……」


 ふいに声のトーンが下がった。

 アメリアはその言葉の真意が分からず、不安になる。


「青紫色のアネモネの花言葉は、『あなたを待っています』だと聞いた」


 クラウドの赤い瞳が、アメリアを捉える。


「君はあの場所で誰を待っていたんだ?」


 その瞳に映る自分はアネモネの花であるはずなのに、何もかも見透かされているような気がした。


(私は……)


 あの場所で待っていたのは、恋人――いや、夫婦になるはずだった人。

 好きだという恋心を抱く前に、彼はアメリアを置いていってしまった。

 それでも待っていたのは、一人ぼっちだと思いたくなかったから。


「でも、駄目だ。君が誰を待っていようと、君を手放すなんてできない……」


 そう言って、クラウドはその武骨な手で、宝物にでも触れるように花弁に触れた。

 頭を優しく撫でられているような心地になって、触れられた場所が熱くてたまらない。


「これから君が待つのは、俺だったらいいのに、な……」


 その言葉を最後に、クラウドの瞼は閉じられた。

 ラベンダーの香りを嗅いだだけですぐに寝てしまうとは、よほど疲れていたのだろう。

 目標達成だ。

 しかし、アメリアはそれどころではない。

 

(……クラウド様、花には刺激が強すぎます)


 本気で求められたような気がして、勘違いしてはいけないと思うのに、ドキドキが止まらない。

 今すぐ冷水に飛び込みたいくらい、身体が火照って熱い。

 だって、クラウドの手はまだしっかりとアメリアに触れている。

 本物の花であったなら、こんな熱さに耐えられずに萎れていただろう。

 しかし、この熱すらアメリアにとっては心地よく、喜びだった。


(今は、クラウド様だけを待っていますよ)


 アメリアが花である限り――。

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