〈第45話〉 騎士様に求婚されました

 国王陛下への挨拶を終えてすぐ、クラウドが心配そうにアメリアの顔を覗き込む。


「アメリア、大丈夫か?」

「はい。でも、とても緊張しました」

「それなら、少し休憩しよう」


 クラウドの提案はありがたかった。

 初めての舞踏会ということで緊張していた上に、国王陛下への挨拶。

 慣れないドレスを着て気を張り続けていたから、ダンスも踊っていないのにすでに気疲れしてしまっていた。

 クラウドにエスコートされて、アメリアは庭園へつながるテラスへと出る。

 庭園にはやわらかな光の玉がいくつも浮かび、様々な花が照らされていた。

 そして、休憩のために設けられたベンチにクラウドと二人並んで座る。


「これは、最近王都の令嬢たちに人気な飲み物だそうだ」

「ありがとうございます」


 クラウドが用意してくれたのは、ラズベリーのジュース。

 ラズベリーの甘酸っぱさに、気分も変わる。

 

「とても美味しいです!」

「それはよかった」


 にっこりと笑って、クラウドがアメリアの頭を優しく撫でる。

 その笑顔に胸がきゅんとした。

 クラウドの笑顔を見るだけで、ついさっきまでの疲れなんて忘れてしまう。


「いきなり国王陛下への挨拶となってしまい、すまない」

「いえ。でも私、国王陛下へ何か失礼などはありませんでしたでしょうか?」

「あぁ。むしろ、俺の方が陛下にからかわれて恥ずかしいところを見せてしまった気がする」

「そんなことはありません。国王陛下がクラウド様のことを気にかけてくださっていることが分かって、その、嬉しかったですから」

「あのお方は、幼少期から俺のことを知っているからな」

「それは、とても羨ましいですね」


 アメリアも、クラウドの子どもの頃を見てみたい。

 彼の幼少期を知っている国王陛下が羨ましい。


「俺の幼少期など知っても、何も面白いことはないぞ。剣術しかしてこなかったからな。それより、俺はアメリアの幼少期が気になる」

「私こそ、何も面白くありませんよ」

「いや、絶対に可愛いはずだ」

「そんなこと」


 もう見ることはできない幼少期の話で押し問答を繰り返し、二人で笑みをこぼす。

 かすかに会場から聞こえていた音楽が、いつの間にかテンポの速い軽やかな曲に変わっていた。

 クラウドが笑みを浮かべて、アメリアの前に跪く。


「愛しい人。俺と一曲踊ってくれませんか?」

「ふふ。はい、喜んで」


 クラウドの手を取り、二人は光舞う庭園でダンスを踊る。

 ダンスは苦手だと言っていたクラウドだが、アメリアを優しくリードして完璧なステップを踏む。

 ターンの度にふわりとドレスの裾が花弁のように広がって、細かくちりばめられた宝石がきらきらと輝く。

 練習の時は間違えないように必死だったのに、今は心からダンスを楽しめている。

 愛する人と踊るダンスは、やはり特別だ。

 だからか、曲はあっという間に終わってしまった。


「アメリア」


 クラウドに呼ばれる自分の名前は、とてつもなく甘く感じられる。

 名を呼ばれる度に「愛している」と言われているような錯覚を起こすほど。

 ふいに風が吹き、色とりどりの花弁が舞って視界を遮る。

 一瞬だけ目を閉じて、次に目を開けた時には、目の前に赤いアネモネの花束があった。

 赤いアネモネの花ことばは、“君を愛する”。

 アメリアの前に跪いて、クラウドは熱い眼差しで愛を捧げる。


「アメリアに出会って、俺の世界は変わった。アメリアの笑顔を見るだけで、いつも気を張っていた心が安らいだ。自分の好みになど興味がなかったのに、アメリアのおかげで好きなものが増えた。何より、面白みもない堅物だと言われてきた俺が、こんなにも誰かを愛することができるのだと教えてくれたのは、アメリアだ」


 アメリアが変身した青紫のアネモネの花ことばは、“あなたを待っています”だった。

 アメリアがあの場所で待っていたのはきっと、ローレンスではなく、クラウドだったのだと今なら思える。

 クラウドは、誰かを待つことに疲れ、傷ついていたアメリアにたくさんの優しい愛をくれた。


「愛している、アメリア。俺と結婚してほしい」


 まっすぐな求婚の言葉に、アメリアの胸は熱くなる。

 ここで泣いてはいけないと思いながらも、アメリアの目には涙が浮かぶ。


「はい。私も、クラウド様を愛しています。あの時、私を見つけてくださって、本当にありがとうございました。クラウド様に出会えたことは、私の人生最大の奇跡です」


 クラウドからアネモネの花束を受け取ると、きらきらと光を放つ何かが見えた。

 それは、赤と紫の宝石が花弁のように埋め込まれた指輪で。


「それを言うなら、アメリアというこの世界で最も美しい花に出会えたことは、俺の人生最大の奇跡だ。だから、アメリアがどこにいても見つけられるように、俺が愛する人なのだという証をつけさせてくれ」


 アメリアの左手の薬指に、クラウドの手によって二人の瞳の色を模した指輪が収まる。

 クラウドに愛されている証なのだと思うと、無機質な指輪のはずなのに、なんだかとてもあたたかく感じるから不思議だ。

 

「ありがとうございます、クラウド様」


 嬉しくて、幸せすぎて、いつもなら自分から抱きついたりしないのに、アメリアは甘えるようにクラウドの胸に飛び込んだ。

 鍛えられたクラウドの体は、危なげなくアメリアを受け止めて、ぎゅっと抱きしめてくれる。

 クラウドのぬくもりに包まれて、ドキドキするのに不思議と落ち着く。


「アメリア」


 名を呼ばれ、顔を上げると、クラウドの赤い瞳と間近で見つめ合う形となった。


「口づけたい」


 熱のこもった視線と言葉に、いっきに顔が熱くなる。

 愛し合うということは、言葉だけでなく、触れ合うことも大切だ。

 知ってはいても、いざとなるとどうすればいいのか分からない。

 しかし、クラウドを拒否する理由などない。

 アメリアは了承の意味を込めて、そっと目を閉じた。


(キスされる時って、どんな顔をしていればいいのでしょう!?)


 息を止めていたアメリアの唇に、クラウドの親指がそっと触れた。

 口を開けるように促され、少しだけ空気を取り入れる。

 近づいてくる気配を感じて、無意識に身体は緊張で震えていた。

 次の瞬間、やわらかくてあたたかな感触が――唇ではなく、額に触れた。


「そんなに緊張しないでくれ」


 思わず目を開くと、クラウドの優しい笑みがあった。


「アメリアと結婚できることが嬉しくて、浮かれていた。アメリアが嫌がることはしないから、安心してほしい」

「クラウド様」


 アメリアが緊張しすぎて、キスを嫌がっていると思われてしまった。

 嬉しいのはアメリアも同じだ。

 クラウドに触れたいと思うのも。

 だから、アメリアはクラウドの頬に手を伸ばす。


「アメリア……?」

「たしかに緊張はしていますが、愛するクラウド様に触れられることは、私にとっても幸せなのです。嫌なはずないじゃありませんか」

「そんなことを言われては、もう我慢できない」

「はい。我慢なんてしないでください」

「……俺の理性を壊せるのは、アメリアだけだな」


 クラウドの手が、壊れ物を扱うように優しく、アメリアの頬に触れる。

 ドキドキしながら目を閉じると、額やまぶた、頬にキスの雨が降ってきた。

 少しだけくすぐったいその感触に慣れてきた時、ようやく唇が重なった。

 優しく重なった唇から、全身に熱が広がっていく。


「愛している、アメリア」


 キスの合間にこぼれる愛の言葉に返事をする間もなく、次のキスが落ちてくる。

 いつまでも触れあっていたいなんて夢のようなことを考えながら、アメリアはクラウドに身を任せていた。

 そんな二人を祝福するように、幻想的な光と花弁がふわりふわりと舞っていた。


 クラウドが求婚のためだけに、この美しい庭園を貸し切り状態にしていたことをアメリアが知るのは、もっと後のお話。 

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