第3話 大勝利の前祝い! 厚切りロースカツと贅沢フライトポテト 下

 何時の間にか持ち込まれていた、猫が描かれた陶器製のビールグラスへ、プレミアムなビールを注ぐ。

 待て! が出来ず、バリバリと音を立てながらフライドポテトを貪っている駄々っ子が口を開く。


「ビール、ビール、冷たいビール!」

「うぜぇ。トマトケチャップは」

「いらなーい。うふふ~♪」


 四月一日は瞳を輝かせグラスを受け取り、神様に祈りを捧げるかのように掲げた。

 俺も自分の分に注ぎ、翳す。


「まぁ、本命のトンカツは後からだが、一週間」

「二週間!」

「……二週間、お疲れ」

「おつかれ~☆」


 キン。

 硝子と異なるも、気持ちの良い音。

 俺はビールを一口。

 ほぼ同時に心からの声が漏れる。


「「うっめぇぇぇぇ!」」


 社内でも『ビールはちょっと苦手で……』という人は結構多い。東京支店の本間さんなんかも、苦くてダメと年末の忘年会で言っていた。

 ……だが、しかし。

 美味いビールは世の中に存在するのだ。

 少々行儀悪いが、フライドポテトを手で摘まむ。

 バリっ。

 家で揚げたジャガイモが、こういう音を立てるのに感動する。

 味は言わずもがな。滅茶苦茶、美味い。

 早くも一杯目を飲み干した四月一日が、手酌で二杯目を注ぎ、飲む。


「ぷっはぁぁぁぁ……あ~生き返るぅぅぅ…………もう、二度と、高級万年筆の案件なんか、取らないぃぃぃぃ…………」

「あ~……気が抜けないもんな。一番高いの幾らだっけ?」

「販売価格で国産の軽自動車位かな。世界で数本しかないらしいよ」

「…………」


 俺は何とも言えない気持ちになり、フライドポテトを四月一日の口へ運んだ。

 すると、すぐさまむしゃり。

 大エース様は噛み砕きながら、目線を落とした。瞳から光が消える。


「そんなのを、一本、二本じゃなく数十本……クライアントにはレイアウトまで意見を求められてさ……しかも、『私の会社に来ないか?』とか言うんだよ?」

「おお~」

「……む」


 気の抜けた声で応じ、俺は時計を確認。

 一時間寝かせたら、いよいよトンカツを揚げねば。

 完全に飲み会になってしまっているが、今晩の主役はトンカツなのだ。忘れるべからず。

 四月一日が目を細め、フライドポテトをバリバリと貪り――グラスを置いた。

 微笑を浮かべ、詰問口調。


「……篠原雪継君?」

「うん?」

「私の話を聞いていたのかしらぁ? 要は『ヘッドハンティング』されたっていう話をしたんだけどぉぉ?」

「受ける気ないんだろ?」

「…………まぁ、そうだけど。そーだけどぉぉ。もうっ! 雪継のバカ!! にぶにぶっ!!! そんなんだから、女の子にモテないんだからねっ!」

「うぜぇ」


 俺は席を立ち、棚から小鉢とすりこぎ、炒り胡麻を取り出した。

 それらをむくれている四月一日の前へ置く。


「? これは~??」

「胡麻をすっとけ。トンカツソースに使う」

「……りょーかい」


 不承不承ながらも、胡麻を小鉢へ入れ、擦り始める。素直なんだが、素直じゃないんだか、分からんな。

 冷蔵庫から寝かしておいた豚肉を取り出し、耐熱ジッパーへ。

 赤身部分を指で軽く揉み解す。こうしておくと食べる時、柔らかくなるのだ。


「ゆきつぐー、できたよー」

「なら、次はパン粉をミキサーにかけてくれ。それは後で中濃ソースとトマトケチャップ加えてソースにする」

「はーい」


 肉が少し広がったので整形。

 取り出して、軽く塩胡椒。

 ボウルに卵を割り、一文字に混ぜる。

 鍋に米油を準備し、中火で温めておく。隣にやって来た四月一日がパン粉をミキサーに叩きこむ。


「どれくらいー?」

「細かいとさっぱりした揚げ具合になります」

「ん~」


 ミキサーが回る音。

 四月一日が止め、俺を見た。『こんなもの?』。頷く。

 俺は揚げる準備を粛々と進める。

 小麦粉、卵、パン粉を並べ――大エース様が楽しそうに声をかけてきた。


「ねー私もやりたいっ!」

「えー」

「むっ! 揚げるのは怖いけど、これくらいなら出来ますぅ」


 そう言うと、四月一日は分厚い豚肉を手に取り、小麦粉をつけた。

 そのまま卵を潜らせようとするので、止める。


「待て待て。余分な小麦粉を取れ」

「――その心は?」

「衣が厚くなったり、べちゃべちゃにならない」

「……なるほど」


 つけ過ぎていた小麦粉を手で取り、卵に潜らせる。

 これまた余分な卵も取る。トンカツの衣が剥がれる問題は、此処に起因している……らしい。

 最後にパン粉の中へ。

 今日の豚肉は分厚いので、側面も入念に。


「雪継! 雪継! 二枚目は私がやりたいっ!!」

「いいけど、失敗したら」

「雪継の分にする!」

「しません」

「ケチー」


 言い合いながら、パン粉の欠片へ油へ落す。

 パチパチパチと良い音を立て、広がる。いいかな?

 二枚目に衣を着けている四月一日を急かす。


「揚げるぞー」

「うんっ!」


 豚肉を滑らすように中へ。

 四月一日が俺を見た。油に入れるのは怖いらしい。


「二枚同時で揚げると油の温度が下がるから、それは待機せよ! あと、入れたら基本的には触らないようにっ!!」

「り、了解でありますっ!」

「よろしい」


 米油の匂いがキッチンの中に広がり、空腹感が増す。炊飯器が米の炊きあがりを告げた。素晴らしいタイミング。

 四月一日は手を洗い、お椀と皿を取りだし、キャベツを盛り付け始めた。

 油の中のトンカツが上がってきた。タイマーは四分半を経過。そろそろか。


「よっと」


 トンカツを裏返す。ここから、また2~3分。

 先程、四月一日が胡麻を擦った小鉢へトマトケチャップと中濃ソースを入れ、即席トンカツソースを作り、テーブルの中央へ。


「雪継、辛子つけるよね~?」

「ああ。檸檬はどうする?」

「いる~」

「ほいよ」


 揚げている間に、檸檬を取り出し切ってそれぞれの皿へ。

 再びトンカツをひっくり返し、少しだけ強火。


「ご飯、つけていいぞー」

「うん!」


 浮き浮きした様子で、トンカツを眺めていた四月一日は豚汁の鍋にも火を入れた。

 油の音が変化し、泡が細かくなったので取り上げ、油が切れるように縦にしておく。余熱で火が通るので、2~3分放置。

 俺は油カスを取り、二枚目を投入。四月一日へ声をかける。


「出来上がったら食べてていいぞー」

「ん~」


 行儀悪いことに、小山のようなご飯を盛り付けたお椀を手にした四月一日が、何ともいえない声を出した。

 まな板の水気をしっかりと取り、油を切ったきつね色のトンカツをそっと置く。


「さて、御立合い」


 包丁で切り分ける。

 ――ザクっ、ザクっ、ザクっ。

 うん、いい揚がり具合だ。肉汁が染み出て、見るからの美味そうだ。

 四月一日の皿へ盛り付け、促す。


「ほれ、熱い内に食べろ。豚汁も温まったぞー」

「うん~」


 俺は、二枚目のトンカツの見守り作業へ戻る。

 はぁ、腹が減った……トンカツを挟んだ箸が差し出された。


「雪継、あ~ん」

「……いや、お前」

「あ~ん!」

「…………」


 退きそうにないので、そのまま食べる。

 ……………。

 四月一日が小首を傾げた。


「? どうしたの?? 揚がってなかった???」

「――……美味い」

「へっ?」


 俺は振り返ると、四月一日は目をパチクリ。

 全力で力説する。


「すっげぇぇぇ、美味いぞっ! お前、これは……揚げたてで食べないと、駄目だっ!!!!! ほれ、とっとと、喰えっ!!!!!」

「え? ええ?? で、でもぉ……」

「ちっ! 聞き分けの悪いっ!! ほれっ!」

「あ!」


 俺は四月一日の箸を奪い取り、トンカツにソースと辛子をつけ、差し出した。

 大エース様は目を瞬かせ――パクリ。

 瞳を大きくした。


「――おいしっ」

「だろうが? これを冷まして食べるのは、悪!」

「同意! じゃあ、先に食べてるね」


 四月一日は、大きく頷き席へついた。

 ――ふと、気付く。

 今のって間接……いやまぁ、お互い大人だしな。 


「雪継ー」

「ん?」


 トンカツをひっくり返すと、四月一日がニヤニヤ。

 そして、言い放ってきやがった。


「私は、別に間接キスなんか気にしてないからね? でも、箱根には行こう♪」

「……うぜぇぞ、大エース。仕事をまずは落ち着かせろ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。だって、前祝いでこんなに美味しいトンカツ作ってもらったしね☆」


 ……まったく、こいつは。

 鍋の中の油が、パチパチ、と音を立てた。

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