エピローグ

「…………出やしねぇ」


 翌朝八時過ぎ。

 我ながら律儀なことに、俺は四月一日へ電話をかけていた。

 ……が、一向に出ない。

 昨日、何だかんだ結構飲んだしなぁ。赤ワインと白ワイン、どっちも空けたし。時計を確認。

 行こうと思っていたパン屋は、都内でも有名な店ですぐに売り切れてしまう。

 そして、俺の腹は胡桃パンと胡麻パンを欲している。

 結論――うん、置いていこう。

 帰って来る頃には起きて来るだろう。仕事で疲れてる大エース様を起こすのも忍びねぇ。

 この前買ったダウンコートを羽織り、家を出る。


「……さむっ」


 未だ季節は二月。寒気が厳しい。春はまだまだ先だ。

 一階まで降り証拠作りも兼ね、電話をかけてみる。

 ――……出ず。

 俺は可能な限りの努力をした。奴もそこまで怒るまい。

 携帯を仕舞おうとすると、妹の幸雪からメッセージが入った。


『お兄ぃ、おはよ~。まだ、お仕事始まってないよね? ねね! 土日、お兄ぃの所へ泊まりに行っていい?』


 一難去って、か。

 ここで誤魔化しても碌なことがないので、素直に回答する。


『悪い。土日は東京にいないんだ』

『あ、お仕事?? りょーかいっ! 来週はいる?』

『来週ならいるぞー』

『じゃあ、来週、お泊まりしに行くねっ! ……ちょっと相談したいことがあって』

『ん? ――もしや、恋話か?』

『ちーがーうーっ! もうっ! ……しぃちゃんのこと!!』

『そっちか。分かった』

『うんー。それじゃ、行って来まーす。お兄ぃも御仕事頑張ってっ!』

『お~気をつけてな』


 はしゃぐ可愛い猫のスタンプが送付されてくる。喜んでいるらしい。

 ……すまんな、幸。

 いやだって、ほら? 

 お前に旅行のこと伝えたら、ついて来かねないだろ? 行動力は凄いし。土産は奮発するから許してくれ。

 内心で妹に謝罪をしている内に、パン屋兼カフェに到着した。歩いて僅か三分。

 コンクリート打ちっ放しで半地下。まー建物自体が洒落ている。

 奥には保育園が併設されている為、子供達を連れた親御さんが行き来し、挨拶している元気の良い声が聞こえてくる。和むわぁ。

 数段、階段を降りカフェの中へ。お、誰も並んでないな。

 入口付近のカウンターには、ずらっとパンが並んでいる。本店から届いたばかりのようで、全部揃っているようだ。

 女性店員さんに話しかけられる。


「おはようございます。お持ち帰りですか?」

「おはようございます。えっと、胡桃パンと胡麻パンを二つずつ。丸いので。あと、食パンを五枚切り――」


 携帯が震えた。

 見なくとも分かる。間違いなく……あいつだろう。結構、怒ってるかもしれない。

 無視し、注文を続ける。……賄賂が必要だ。


「あと、ピーカンナッツ、洋ナシのタルトを一つずつください。ビニール袋はいらないです。すぐ近くなので」



 パンが入った紙袋を受け取り、店を出て電話をかける。

 ワンコール前に四月一日の低い声が響いた。


『………何か、言い訳は………?』

「着信履歴を見ろ。俺は約束を果たした。……寝ていたのは誰かさんだ」

『い、家の玄関を叩いてくれれば良かったでしょっ!?』

「近所迷惑だろうが。俺達は休みでも他の人達は平日です」

『あ―言えば、こーいうっ! ……雪継なんか、嫌いっ!』


 そう叫び、電話が切れた。

 ……少しだけ虐めすぎたか。

 肩を竦め、俺は家路を急いだ。


※※※


 家の玄関は開いていた。ほぉ……。

 当然、鍵をかけて出たのだが。

 中に入ると、お湯が沸く音。

 手を洗い、キッチンへ行くとエプロンを着けた、四月一日が料理をしていた。どうやら、卵とベーコンを焼いているようだ。

 テーブルに紙袋を置き、胡桃パンと胡麻パンを取り出す。

 四月一日に聞く。


「食パンか?」

「…………ハニートーストにして」

「ほいさ」


 まず、食パンに格子状の切れ目入れ、冷蔵庫からバターを取り出す。

 耐熱硝子の小さなボウルにたっぷりのバターを入れ、電子レンジへ。600Wで2分くらいか。

 荒々しく野菜を切る音。時折、此方の様子を覗う視線を感じる。

 仕方ねぇなぁ……。

 珈琲メーカーの電源を入れながら、尋ねる。


「胡桃パンと胡麻パンも買ってきたけど、食べるか?」

「……お昼に食べる。タルトもあった?」

「買ってきた」

「……洋梨だけ?」

「ピーカンナッツと洋梨」

「…………うぅ~。汚いっ。篠原雪継は高校時代から変わらず、汚いっ! 私の扱い方を、どうして私以上に知ってるのは何なわけっ!!」

「はははー。まだまだ、甘いなー」


 電子レンジが鳴った。

 ボウルを取り出し、柔らかくなったバターをナイフでかき混ぜる。うん、こんなもんかな。

 普段、俺達は珈琲に砂糖を入れないけれど、妹の幸は使う為、買ってあるシュガーステッキを取り出し、バターの中へ。良く混ぜ込む。

 それを、ナイフで食パンに塗り塗り。

 オムレツとベーコンを皿に取り出しながら、四月一日が話しかけてきた。


「――……でも、今朝のことは問題だと思う」

「うん?」


 食パンと胡桃パン、胡麻パンをトースターへ。焦げ目がつくまで焼いていく。

 出来上がったサラダやオムレツが載っている皿を持って炬燵へ。

 戻って来ると、四月一日は両腰に手をやり、胸を張って俺へ指を突き付けて来た。


「確かに私は寝坊したわ。それは認める。雪継が何度もモーニングコールしてくれたのも認定する。ありがと。……でも、私は起きれず、篠原雪継君は結局『一人』で! パン屋へ行ってしまった。あんなに約束したのに、『一人』でっ!!」

「…………何が言いたい」


 嫌な予感がしながらも、先を促す。

 すると、四月一日はニヤリ。


「今後、こんな悲劇を防ぐ為の施策は二つ。その一! こういう約束をした時は、私がこっちに泊まる!!」

「却下だ。寝言は寝ていえ」

「――そうね。流石にそれは通らないわよね」

「おう?」


 いきなりのトーンダウン。何を企んで?

 トースターが俺を呼んだ。

 開けると、カリカリに焼けたハニートーストの甘い匂い。

 ……美味そう。俺も作ろうかな。

 皿にハニートーストと、胡桃パン、胡麻パンを取り出す。

 四月一日が微笑。背筋に悪寒が走った。


「だから――二つ目の施策しか手がないと思うの」

「……具体的には?」


 棚から蜂蜜の瓶を取り出し、ハニートーストに適量かける。甘いな。間違いなく甘い。だが……これまた間違いなく、美味い。

 大エース様が両手を合わせた。


「ねね――雪継、私の家の合鍵を持って♪」 

「え、嫌だけど」

「残~念。拒否権は認められていませーん。真面目な話よ――考えて? 私達、二人共独身で、両親は離れた所に暮らしていて、彼氏も彼女もいないのよ? もしも、風邪やインフルエンザに罹ったりしたら、頼れる人はお隣さんでしょう?? そして、私はここの合鍵を持っている。なのに、雪継は持っていない。これは不平等だと思うの。いい加減、是正すべきだわっ!」

「……正論言ってるようだが、滅茶苦茶だからな? 俺とお前はただの――……」


 そこまで言って、言葉に詰まる。

 ――俺と四月一日幸の関係は何なのだろうか。

 高校の同級生。会社の同僚。お隣さんで晩飯を食べたりしている。


 そして……高校時代の俺が半ば振られた相手。


 まぁ、当の本人は覚えちゃいないようだが。

 四月一日は指を弄りながら、やや焦った様子で上目遣い。


「……ゆ、雪継、もしかして、怒った? で、でも、合鍵は本気で持っておいてほしいの。そっちの方が便利だし! ダメ?」

「――……はぁ。考えとく」

「! ――えへへ♪ ありがと☆ よーし、食べよっか! 今日は、夜までゴロゴロしよーね?」

「そのつもりでいる。昼飯はお前が作れよ?」

「え~雪継の方が上手だよ~」

「褒めても無駄だ」

「――なら」


 花が咲いたような笑みを浮かべ、四月一日幸が俺を見た。


「一緒に作ろ? 何時も通りに」

「――……はぁ。分かった。そこで手を打つ。明日、スキー場でココア奢れよ? 火傷するくらい熱くて、とにかく、あっまいやつ」

「りょーかいっ」

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