第6話 試供品のカレー粉とちょっと贅沢なカレールー 上
「おお、篠原! ちょっと、こっちへ来い!!」
「……ええー」
ちょっとした資料を東京支店所属の女性事務員さんへ手渡し、総務部へ戻ろうとしていた俺を、支店長が呼び止めてきた。
時刻は既に定時を過ぎているが、未だ誰も帰ろうとしていない。
……うちがブラック企業なわけではなく、中小企業なんて、結局のところ何処もこうなんだろうなぁ。
なお、これまた何だかんだ使われ続けているスケジュールを書くボードの四月一日幸の欄には
『営業回り!!!!!→ちょっきっ!!!!!』
と、荒々しい字で書かれている。
昨晩、陣地を塗り合うゲームで虐め過ぎたせいか、絶賛喧嘩中なのだ。おそらく、今晩はやって来るまい。
中央の机に出向くと、支店長がニヤリ。
「どうだ? 今期の決算は?? ん???」
「まだ、ざっくりベースですけど、当初予定は計画出来そうですよ」
「……何処が良いんだ?」
「支店長の方が詳しいのでは?」
「最新情報を欲してるんだよ、俺は。お前なら、各店とも繋がってるだろ?」
「総務ですからねぇ」
世知辛い話だが、うちくらいの規模の会社における『総務』は謂わば何でも屋。
各店の支店長や主だった人々とも仲良くやっておかないと、仕事が色々と滞ってしまうのだ。因みに、石岡さんから教えてもらった。
俺はさっきまで纏めていた損益内容を思い返す。
「成績TOPは東京ですね。ただ……僅差です」
「……二位は福岡か?」
全国の大都市圏に支店を持つうち会社内でも、東京と福岡は常に営業成績で火花を散らしている。
ただし、ここ数年に限っていえば、東京の連戦連勝。
理由は某ラッキーガール様が無双しているからだ。
『……もう、決算賞与で食洗器買おうかな~。工事代も出すし~』
とか、ゲームで負ける度に本気で脅してくるのだ、あの大エース様は。考えてみると、ワインセラーの時もそうだった。気を着けねば。
俺は内心で決意を固めつつ、支店長へ頭を振った。
「いいえ。今期の二位は札幌です」
「へぇ……要因は? もう、分析済みなんだろ??」
支店長の瞳に怜悧さが宿った。飄々しているが、この人も相当なやり手なのだ。
じゃなければ、最初事務員で入社した四月一日を営業に抜擢し、好き勝手させてなぞいない。
「中途採用した営業さんが、早くも戦力になっているみたいです。話してみたことはないんですけど……かなり、出来る方、と聞いています」
「中途――……ああ、稟議が回ってたな。そうか、札幌がなぁ。うちもうかうかしてられないな。ありがとう。良し! それじゃ、呑みに行くかっ!!」
「健康診断、引っかかったと言ってましたよね? どうせ、春先に飲み会もあるんですから、それまで待ってください。では」
肩を竦め、俺は机から離れた。油断していると、すぐこうなのだ。
通路を歩いて行くと、
「た、ただいま戻りました」
事務所に毛糸の帽子、コート、マフラー、手袋という完全耐寒装備に身を包み、鞄と紙袋を両手に持った眼鏡女性――東京支店営業の本間さんが帰って来た。三月と謂えど、外はまだまだ寒い。
皆が次々とそれに応え、俺も「おかえりなさい」と声をかける。
すると、本間さんが目を瞬き、勢いよく頭を下げてきた。
「あ! チ、チョコ、美味しかったです。ご、御馳走様でしたっ!」
「いえいえ。美味しいですよね、あれ。外寒かったですか?」
「え、えっと……私、寒いの苦手で……。あ、そ、そうだ」
少しだけ恥ずかしそうに俯き、先輩には見えない営業さんは紙袋を広げ、中から小さなビニール袋を取り出した。
「篠原さん、カレーってお好きですか? これ、得意先の試供品で。トマト缶と水と鶏肉だけで簡単に出来るらしいんです。たくさん貰ったので、よろしかったら」
「へぇ~」
試供品を受け取り、説明文を読み、裏返してみた。
――なるほど。香辛料がパックになってるのか。便利そうだな。
本間さんへ御礼を言う。
「では、ありがたくいただきます。今晩、早速作ってみますね」
「はい♪ あ、感想聞かせてくださいね? 得意先に頼まれているので」
ふんわりと先輩が微笑む。
ちょっと前よりも、おどおどしなくなってきたような? それに、この手のことだって、積極的じゃなかった筈だ。
支店長曰く、本間は伸びてきている。なるほど。
わざとらしく敬礼する。
「了解です、本間軍曹殿」
「よ、よろしいです、篠原上等兵。そ、それじゃあ、よろしくお願いします」
本間さんは再び頭を下げ、同僚達へ試供品を配りながら自分の机へと戻って行った。これは、ちょっと頑張ってカレーを作るか、うん。
内心で気合を入れ、運動も兼ねて階段を上っていくと――携帯が震えた。
確認すると、二件の連絡。
『……私がコジャケにやられているのに助けてくれない、人でなし雪継……。そろそろ、謝る気になったぁ? 私は今日、カレーを食べたい気分です。目玉焼きとサラダ付のっ!!』
『お兄ぃ~。忘れてたんだけど……今晩、お母さんとお父さん、結婚記念日で出かけるんだって……。急だけど、お兄ぃの家に行っていい? 私、カレーが食べたいっ!! チキンカレー!!!』
俺は足を止めて、額を押さえた。
……あの二人、仲が良いのか、悪いのか、分からんな。
取りあえず、それぞれに対して簡潔に返信しておく。
『今晩は試供品のカレー粉+業務用カレールーを贅沢に使った、チキンゴロゴロカレーです。目玉焼きは各自焼くように』
篠原君ちのおうちごはん! ~ ただ、隣に住んでいる女の同僚と毎晩、ご飯を食べる話~ 七野りく @yukinagi
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