第1話 大勝利の前祝い! 厚切りロースカツと贅沢フライトポテト 上
あっという間に時が過ぎ、早三月。本日は十三日の金曜日。
俺はキーボードを叩き、資金繰り表を作成していく。
目の前のデスクから石岡さんの声がした。
「篠原ー」
「何ですかー? まだ、出来てません。今月はカツカツなので、ちょっと多めに手形を割ろうと思います」
入社するまで、手形は小切手なんて見たこともなかったが、人は慣れる生き物だ。
今では、額面一億円以上の手形を銀行に持ち込むのも慣れた。なお、出来れば早急に全部電子化するか、ファクタリングになってほしい。
……まぁ、取引先が全て大企業になるなんて、夢のまた夢だから、当面の間はあり得なそうだけれども。
石岡さんが、手をひらひら。
「ちげーって。お前の資金繰りに文句はねーよ。気づいたか?」
「何がですか?」
最後の数字を入力すると、資金繰り表が完成した。
メイン口座に、もう少し積んでおいた方が良いかも?
「だーかーらぁ…………明日は十四日だろうが?」
「? それはそうですね。何かありましたっけ?」
俺は割る手形の微調整をしていると、石岡さんが声を小さくした。
深刻そうな顔だ。
「…………月曜日、ホワイトデーを返さないといけないだろうが?」
「あ~……そーですねー」
微調整終了!
俺は出来上がった、資金繰り表を石岡さんと総務部長だけが閲覧出来るフォルダへ入れ、立ち上がった。
確かに世はホワイトデー。
……が、俺にはあんまり関係がない!
むしろ、腹が減っているのだかららして。時計をチラリ。
――19時前。
デパ地下の投げ売りに間に合いそうだ。
石岡さんが、溜め息を吐いた。
「は~……こっちは真剣に悩んでいるっていうのによぉ。四月一日大明神様にも返してぇが……」
「月曜日も来ないかも、ですね」
ここ二週間程、かの東京支店の大エース様は直行直帰を繰り返している。
外国産の超高級万年筆を扱う案件を担当しているらしく、多忙を極めており、帰宅も終電が続いてようだ。何でも、店のオープン日にはTV取材もあるとのこと。
考えてみると、半月近く一緒に夕飯も食べていないし、顔も土日以外見ていない。
『死ぬ。死んじゃう。もう、私は雪継のご飯を知らなかった初心な私には戻れない。だから――』
まぁ、その分、週二~三日は弁当を持たせているのだが。
律儀に『美味しかった!』と連絡を寄越す素直さは、高校時代と変わらない。
俺は携帯を取り出し、メッセージを確認。
案の上、大エース様からだ。
『今晩は、20時には、絶対に、帰ります! 決戦は月曜日!!!!! 気合注入よろしくっ!!!!!!』
瞳から炎が出ている猫のスタンプが連打される。うぜぇ。
PCの電源を切った。
「あ、ホワイトデーのお返し、俺はアレです。ここ数年、受験シーズンに売るようになった」
「? ……あ~。なるほど、な。はっ! ま、待て!! それを聞いたら、俺が選べなくなるじゃねぇかっ!?」
「お先、失礼します」
※※※
寒い誰もいない部屋へ帰宅。
まずは、手をよく洗って、うがい。
エアコンをつけ、買ってきた材料をテーブルの上へ置く。
スーツのまま、料理はしたくないのでスェットに着替え、エプロンを着ける。
気合注入の飯と言えば――やはり、肉しかない。
袋の中から、いそいそと取り出す。
「お~」
思わず感嘆が漏れた。
そう……今日、俺が買ってきたのは、厚さ2cmを超える豚ロース。
しかも、普段は買わない『特上』のシール付きだ。
値段は……無視。
前祝いにそういうのは無粋だ、無粋。
続けて、鮮度の良いキャベツ。男爵イモ。
これまた普段は買わない、美味いが高い卵。そして、最高級フライ用パン粉。
油は、ラードまで作っていると時間切れなので米油をチョイスした。
後、必要なのは――精神の集中だなっ!
棚からグラスを取り出し、冷蔵庫からビールを取り出し、
「たっだいまー。まー!」
玄関の鍵が開き、明るい声が響いた。……ちっ、早いな。
ちょこんと四月一日が顔を覗かせ、ニンマリ。
「うんうん、よろしい! 篠原雪継君! 私の為に部屋を暖め――あー!!!!! 先に飲もうとしてるーっ!!!!!」
「黙れ、ご近所迷惑だろうが。とっとと、手を洗って来い」
「は~い。……ねー」
「あん?」
ビールを仕舞い、米を炊く準備。酒も飲むし、二合で足りっかな?
四月一日が頬を膨らます。
「ねー!」
「うん? ――……あ~」
目線で訴えられ、察する。
米は明日の分も炊いておこう、三合で。
「おかえり」「――ん♪ にしし~☆」
機嫌を戻し、四月一日は鼻唄を歌いながら洗面台へ向かった。
さて、俺も始めるかなー。
※※※
「さて、と」
米を浸水させ炊く準備をした俺は、本日の主役を手にした。
四月一日は、許可も取らずシャワーを浴びている。……大分、侵食されている気もするが、今は捨て置く。
そう――今晩、作るのはトンカツである。
まず、厚切り2cmの豚ロースの筋を切っていく。これをしないと、揚げた際、トンカツが縮んでしまうのだ。なお、切りすぎると旨味成分が抜ける。何事も加減が大事なのだ。
次に、肉へ塩を刷り込み、キッチンペーパーで挟んで、トレイに載せて冷蔵庫へ。お前の出番は一時間後だ!
浴室の扉が開く音。四月一日が叫んだ。
「ゆきつぐ~、先に飲んじゃ」「飲んでない、飲んでない」
傍若無人な大エース様へ返答している間にも作業は継続。
小麦粉を篩いにかけ、細かくしておく。ここで、炊飯器のスイッチをON。
1時間、暇になるので、この間につまみのフライドポテトを作る。
鍋に水を入れ、火。ドライヤーの音。
男爵芋を洗っていると、スェットに着替えた四月一日がやって来た。
……いや、それ。
「はぁ……生き返ったぁ…………」
「……おい」
「ん~? あ、お味噌汁は作るねー」
「お、おお」
黒猫のエプロンを着け、四月一日は俺の隣に立った。
視線に気づき、ニヤニヤ。
「な~に? どうしたのぉ?? あ、もしかして――私が雪継と色違いのスェットを買ったと思ってる? 違うよぉ~★」
「一言も発してないが!? 今晩は」
「厚切りトンカツ! でしょっ?」
「……正解」
「うふふ~♪」
平日の夜、一緒に過ごすのが久しぶりだからなのか、どうも調子が狂うな。
俺は沸いた鍋の中へ目分量の塩。そして、男爵芋を投入。
冷蔵庫から、余った野菜と豚肉を取り出している四月一日が小首を傾げた。どうやら、豚汁を作るつもりのようだ。
「それは~?」
「手間暇かけた、最高に美味いフライドポテト――に、なる」
「……ほほぉ。それは、ビールに合いますか!」
「つまみとしては」
「と、しては~?」
四月一日が俺の傍に寄って来て、人参を突き出した。インタビューのつもりかよ。
苦笑しつつも、乗ってやる。
普段、こいつはうちでシャワーは浴びない。余程疲れているのだろう。
演技じみた口調で応じる。
「横綱に推薦」
「まーべらす!」
「――……ぷっ」
俺達はお互いに吹き出した。
久方ぶりに楽しい夕飯になりそうだ。
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